第69話
ロレッタは、この国が好きだ。
直接触れ合う機会はそれほど多くはなかったけれど、豊かな水資源と自由な魔法に支えられ、人々の笑顔が溢れているこの国が大好きだ。
そして同じくらい、いつでも優しく、温かく、時に圧倒されるほど賑やかな笑顔が溢れているあの村も、大好きなのだ。
どちらも大切にしたい。それがロレッタの中に芽生えた気持ちだった。だからこそ、それらにはっきり優劣をつけて差別する姉には、もはや黙って従う理由がない。
リューズナードが、小さく笑った。
「……味方が居る戦いなんて、初めてだ」
「え……?」
「魔法の対処は任せて良いか。……俺は恐らく、一人では王族に勝てない。だが、お前が居てくれたら、俺は誰にも負けない」
「! ……はい! 一緒に戦って、一緒に村へ帰りましょう!」
「ああ!」
生まれた国も、与えられた身分も、備わった能力も、育った環境も、培った考え方も、何もかもが違う。本来ならば、絶対に出会うことのなかった相手。
そんな相手と今、心を通わせ、共に並び立っている。偶然と謀略によって繋がれた奇妙な縁が、確かな絆に変わってロレッタを奮い立たせてくれる。心臓がドクドクと音を立て、体に熱い血が巡る。
(この人が一緒に居てくれるから、大丈夫……!)
確固たる自信を胸に、ロレッタは青い魔力を滞留させた。
「っ…………ああ、そう……。どいつも、こいつも、使えない駒ばかり……! もう要らないわよ!!」
体勢を立て直したミランダが、手にしていた薙刀に魔力を込める。これまでとは比べものにならない、強い輝き。溢れ出る怒りを閉じ込めた、途方もなく大きな魔法を放つ気だ。リューズナードを守りきれるように、とロレッタも手に力を込める。
間もなく、ミランダが薙刀を振りかぶり、ロレッタたち目掛けて力強く振り下ろした。
――その時、
「……なんの、騒ぎだ……!」
どこからともなく、男性の唸るような声が聞こえたかと思うと、瞬きできるかも怪しいほんの一瞬の間に、謁見の間が丸ごと水に沈んだ。床一面、どころではなく、床から天井までの空間、全てだ。
呼吸の自由さえ一瞬で奪われたロレッタは、混乱しながらも自分の周りに魔力を放出し、水を中和して酸素を確保する。ミランダも同様の対処をしているようだ。
声がしたほうを振り返れば、扉が吹き飛んで枠だけになっている出入口の向こう側に、右手に強い光を宿した男性が立っていた。青白くやつれた顔で、兵士二人に体を支えられている。どう見ても体調が芳しくなさそうだが、それでも尚、ミランダとロレッタの魔法を同時に飲み込む出力で自身の魔法を放つ、その男は。
「お父様……!?」
もう何年も床に臥せる姿しか見ていない、水の国現国王グレイグ・ウィレムスだった。
どうして、父がここに? 寝ていなくて平気なのか? しばし茫然とするロレッタだったが、横からゴポッ! という音が聞こえて我に返る。
「! リューズナードさん!」
この場で唯一、魔法への対抗策を持たないリューズナードが、口を開いて溺れかけていた。咄嗟に息を止めたものの、限界が来たのだろう。ロレッタは急ぎ駆け寄ってリューズナードの腕を掴むと、自分で放出している魔力の範囲を広げ、彼の体も酸素で包んだ。
「ゲホッ、ゲホッ、ガハッ!」
呼吸ができるようになると、リューズナードはその場で膝と手を床に着いて噎せた。咳をする度に気管から水が溢れ出してくる。だいぶ飲み込んでしまったらしい。その上、全身の傷口から血が滲んでいた。ロレッタは必死に呼びかけながら背中を擦る。
突然、部屋全体を覆っていた水が一気に消失した。何事かと顔を上げれば、苦しそうに肩で息をするグレイグの姿が目に入る。
「陛下! やはり、お戻りになられたほうがよろしいのでは……!?」
「はあ、はあ…………構わん。座らせろ」
「……か、畏まりました……」
兵士たちにも心配されているようだが、本人が強い意思で跳ね除ける。そうして両側からの支えを借りつつ、グレイグがゆっくり玉座まで移動し、腰掛けた。
兵士の装束と同じく、水属性の魔力を象徴するコバルトブルーのマントを纏い、玉座に収まる父の姿を見るのは、何年ぶりになるだろう。記憶の中の姿と比べると、くたびれた印象に映ってしまうものの、威厳や貫禄は変わりない。
ミランダ、ロレッタ、そしてリューズナードを順に視界へ収めた後、静かに口を開いた。
「……大切な兵と王宮を傷付けられて、眠ってなどいられるか。お前たち、私の王宮で何をしている? その男は誰だ? ミランダ、ロレッタ、説明しろ」
この国で最も偉く、最も強い父から向けられた鋭い視線に、ロレッタも、ミランダさえも、たじろぐ。やがてミランダが、渋々これまでの経緯を話し始めた。リューズナードという非人の剣士のこと、ミランダが彼を脅して契約と婚姻を承諾させたこと、ロレッタが彼の村で暮らしていたこと、他国の情勢を鑑みてロレッタを呼び戻したこと、そして彼がロレッタを追って王宮へ乗り込んで来たこと。