第64話
(面倒だな……)
正直、ここでの戦いにあまり時間をかけたくはない。村が心配だから一刻も早く戻りたかったし、これ以上血を流してロレッタを怯えさせたくもなかった。
自分の身に傷が増えること自体は特にどうとも思わないが、傷だらけの体を見た彼女がまた自分を怖がるようになってしまうのなら、それは嫌だ。恐る恐る声をかけられるのも、機嫌を窺うように謝られるのも、何も話してくれなくなるのも、綺麗な笑顔を見せてくれなくなるのも。全部、全部、リューズナードは嫌なのだ。
嫌だ、嫌だ、と子供のように駄々をこねる自分を彼女が知ったら、果たしてどう思うのだろう。呆れられてしまうのだろうか。それも嫌だったけれど、怖がられるよりは、ずっと良い。
明確に左肩を狙って飛んで来るようになった斬撃を躱し、間合いを詰めていく。このままでは先ほどの一連を繰り返すことになりそうだが、さて、どうしたものか。
見たところ、アドルフは武芸に精通した者の動きをしていた。槍術としての基本の型や動作をその身に深く刻み、まるで発砲された弾丸のような威力の突きを自在に繰り出してくる。刀と槍のリーチの違いも熟知しているらしく、対剣術用の体裁きでこちらの攻撃にも卒なく対応されていた。その上で魔法まで組み込んでくるのだから、もはやどの間合いでも死角がほとんどない。
ただ、リューズナードは行儀の良い剣術など学んだ覚えはない。その身に刻まれた戦法は全て、足掻きながら生きる中で自然と身に付いてしまった、完全な我流だ。
対剣術用の稽古ではお目に掛かれない、野蛮な非人の戦い方を見せてやろうじゃないか。
あと数メートルで互いの得物が届く距離まで接近したリューズナードは、アドルフが斬撃から槍術へと動作を切り替えるタイミングで、握り締めていた愛刀を上空へ高く、高く、放り投げた。
「!?」
想定外の行動に驚いたアドルフは、しかしすぐに視線を刀からリューズナードへ戻し、鋭い突きを繰り出してくる。一気に迫りつつ、体を横に捻ってそれを躱すと、リューズナードはそのまま一回転して、アドルフの胸部へ勢いよく回し蹴りを叩き込んだ。
「ぐ、う……っ」
ギリギリ、腕で防がれたらしい。
アドルフの手から槍が離れた。しかし、魔力でいくらでも創造できる以上、武器を弾くだけでは意味がない。相手の体勢が崩れたところへ、重い一撃を浴びせる必要がある。
長い足を振り抜いて着地させ、続けざまに拳を握って殴りかかった。が、素手で器用に受け流される。武器の扱いだけでなく、体術にも秀でているらしい。本当に面倒だ。
それでも構わず、リューズナードは矢継ぎ早に攻撃を繰り出した。刀を手放したことで一撃ごとの殺傷能力は下がったものの、その分、攻撃のペースは上がる。魔法を使う暇など与えない。拳で、足で、肘で、膝で、頭で。全身を十二分に使ってひたすら殴打を撃ち込んでいく。
型も規則も何もないリューズナードの動作は、アドルフの動作と比べて酷く粗雑だった。体術なんて呼んで良い代物ではない。純然たる、ただの暴力だ。
しかし、人間一人を軽々支える腕力と、特殊素材の扉や金属の施錠を破壊する脚力で以って繰り出されるそれらは、常軌を逸した威力を宿している。さらに、先ほどまでと攻撃のテンポが急激に変わった為、アドルフもなかなか攻勢に転じられずにいるようだった。
とは言え、この状態が長く続けば、やはりいずれは対応されてしまうだろう。少しずつだが、すでにこちらの動きに慣れてきている節がある。早めに決着をつけねばならない。機を見計らい、リューズナードは両手を頭上へ振り上げた。
そのまま拳が振り下ろされるものだと判断し、アドルフが受け流す構えをとる。しかし、次の瞬間、その判断が謝りだったことに彼は気付く。
上空から落下してきた白刃の柄を、リューズナードが両手でガシリと受け止めていた。
上段の構えから、刀の背を力強く標的へと振り下ろす。アドルフは咄嗟に両腕で頭部を庇っていた為、致命傷には至らなかったものの、勢いを殺しきれずに大きく体勢を崩してよろけた。
すかさず足を踏み込んでしっかり体重を乗せると、リューズナードは全身全霊で再び刀を振り下ろした。踏ん張りの利かない体勢で正面から打撃を受けたアドルフの体が、真下へ強く叩き付けられる。
「ガハッ!!」
硬い床に頭と背中を強打したアドルフは、その場で何度か体をバウンドさせた後、白目を剥いて意識を飛ばした。