第61話
意味もなく自宅へ戻って来た。開けっ放しになっていた玄関から中へ入る。薄暗い。明かりは点いていないし、迎えてくれる声も、静かに佇む気配もない。当然だ。ここは自分が主の家なのだから。主が不在なら、何もないのが当たり前だろう。
……当たり前、だったはずだった。暗い家に帰って、一人で適当な休息を取って、空の家を残して出て行く。それが当たり前だったはずなのだ。けれどもう、リューズナードの当たり前は、書き換えられてしまったから。
(冷たい……)
両手の指先から、温度が失われていく。薄暗くて、物は増えたのに空虚で、自分一人では確実に持て余すほど広い、この家。これからここで一人、生活していく光景を想像すると、なんだかとても、寒くて冷たい。
――彼女がくれる熱が、恋しい。
ふと、土間の隅に置かれていた物が目に入った。数刻前にロレッタへ押し付けた花束だ。あんな、子供たちに作らせたほうがまだまともな見映えになっただろう粗末な代物を受け取って、見惚れるほど美しく微笑んだ彼女。飾り気のない心からの笑顔は、何度見ても変わらず、綺麗だと思う。
そんな彼女が、戦場へ駆り出される。自分たちとの縁を切る為に。
(……嫌だ)
命を奪う魔法が飛び交い、視界のどこかで常に血飛沫が上がり、耳障りな断末魔が木霊する、あの戦場へ。戦い慣れている自分でさえ傷を負うこともある、あの戦場へ。ロレッタが、放り込まれる。
(嫌だ)
もう、ここへは戻って来ないかもしれない。
(嫌だ……行かせたく、ない……!)
冷えた手で強く拳を握り込み、再び家を飛び出した。
村の中央では、住人たちが皆、家から出てきて話し合いをしていた。サラからロレッタが帰ったことを聞かされているのだろう。こちらに気付くなり、神妙な顔で声をかけてくる。
「あ、おい、リュー! ロレッタちゃんが帰っちまった、って……」
「悪い。これからしばらく、村を空けても良いか」
「は……?」
「水の国へ行く」
呼びかけと応答が噛み合っておらず、皆がポカンとしている。どう考えても言葉が足りていないが、説明している時間も惜しい。
「それと……俺のせいで、村に迷惑がかかるかもしれない。悪いが、いつでも逃げられる準備をしていてくれないか」
ミランダの遣いで来た兵士から直々に、水の国への反逆だと告げられた。村の為を想うなら、こんな行動を起こすべきではない。しかも、自ら進んで出て行ったロレッタ本人の意思にも、反している可能性が高い。全部、分かっている。
ロレッタを連れ戻したい。それが、ただの自分の我が儘であることくらい、分かっているのだ。
生まれて初めて、自分だけの為の我が儘を口にしたリューズナードを見て、サラが優しく笑った。
「……こんな生活をしているのだから、逃げる準備なんて、いつでもできているに決まっているじゃない。今さら何を言っているの?」
「!」
続けて、ウェルナーが手を振って追い払うような仕種をしながら言う。
「お前もたまには、俺たちに迷惑かけろよ。ほら、頭でグダグダ考えるのなんて向いてねえんだから、さっさと行ってこい」
「っ……」
周りも全員が頷く。「迷惑」の本質を理解しているのはサラだけのはずだが、聞かなくとも受け止めてくれる仲間たちの存在が心強い。自分の帰る場所はここだと、何度でも思う。
できるなら、彼女にもそう思ってほしい。
「リュー、どこか行くの?」
「りゅー、いってらしゃい!」
足元に寄って来た子供たちの頭を、わしゃわしゃ撫でた。
「ああ……行ってきます!」