第53話
突然現れた強い魔力の光に怯え、混乱する人々の声と、リューズナードの「全員、建物へ避難しろ! 絶対に外へは出るな!」という叫び声が聞こえる。そうしてサイレンのように避難勧告を呼び掛けた彼は、通用門を開く手間も惜しかったのか、己の腕力と脚力のみで石の壁を飛び越え、光源があると思われる方向へ消えた。
ロレッタは住人たちの邪魔にならないよう注意しつつ、なんと通用門までたどり着いた。慎重に開いたが、周囲に人の影はない。外へ出て、再び門を閉じたところで、どこからか、ガキン! と鋭い音が響いてきた。
音のするほうへ駆けてみれば、その先には一台の馬車と、コバルトブルーの装束に身を包んだ兵士へ切り掛かるリューズナードの姿があった。兵士は、襲い来る鋼の刃を、自身の魔力で生成した槍で受け止めている。
魔力そのものは固体ではないが、高密度に圧縮することで物理攻撃に対応できる武具も生成可能だ。ただし、使用者の練度や魔力量が不足している場合、相手の魔法で相殺されるケースもある。故に、国を守る兵士たちは魔法と体術の鍛錬を欠かさない。
その兵士たちの頂点に立つ男の名前を、ロレッタは必死に叫んだ。
「やめてください、アドルフ!」
「!」
ロレッタに気付いた兵士は、重心を前へ傾けながら、手にしていた槍を思いきり振り抜いた。勢いを往なす為、リューズナードが後方へ跳んで距離を取る。
「……このような姿勢で口を利く無礼を、どうかお許しください。御身にお変わりないようで安堵致しました、ロレッタ様」
青い槍の先端をリューズナードへと向けたまま、水の国近衛兵団団長アドルフ・ストックウィンが口を開いた。
「突然、あれほど大きな信号を打ち上げるだなんて、なんのつもりですか。住民の皆様が怯えていらっしゃいます」
「申し訳ございません。関所も呼び鈴も見当たらなかったもので、来訪を報せる手段に心当たりがなかったのです」
「用件を話してください」
「無論です。この男が刀を納めた暁には、すぐにでも」
互いに武器を構えて睨み合う二人の元へ歩み寄る。戦闘態勢のリューズナードは、何度見ても見慣れないほど迫力があるが、怯んでいる場合ではない。
「リューズナードさん、ひとまず話を聞きませんか?」
「中に居ろ、と言っただろう」
「申し訳ありません。ですが、相手が水の国の人間であれば、私が危害を加えられる可能性は低いかと存じます」
「…………」
不服そうではあるものの、リューズナードが構えを解いた。抜身の刀の切っ先が地面へ向けられる。
会話を聞いていたアドルフが、リューズナードを鋭く睨み付けた。
「リューズナード・ハイジック。我が国の王女殿下に謝罪させるなど、何様のつもりだ? 本来ならば、言葉を交わすことすら許されない身分であると自覚しろ」
「構いません。それよりも、私はあなたに、用件を尋ねたはずですが」
「……失礼致しました」
アドルフの手から槍が消える。そうして、未だリューズナードを警戒するような目をしつつ、その横に立つロレッタが居るほうへ体を向け、片膝を着いた。
「現在、ここより南の地にて、雷の国、風の国、土の国の三国間による緊迫状態が続いております。何かの弾みで、いつ戦争へと発展しても不思議でない状況です。……つきましては、ロレッタ様に一度、水の国へお戻りいただきたいのです」
「私が、国へ戻る……? なんの為に、ですか?」
「ミランダ様は、貴女様に、国防としての戦力となることをご所望です」
「戦力……?」
他国の情勢と自分の帰郷、そして戦力という言葉が全く結び付かず、混乱するロレッタ。先に話を理解したらしいリューズナードが、焦りの滲んだ声を上げる。
「おい、待て。こいつを、戦場へ出す気でいるのか……!?」
「え……」
国で最も強力な魔法を扱えるのは王族の血を引く人間なので、王族が前線へ出るケースも前例がないわけではない。しかし、王宮で不自由なく育てられ、戦闘とは無縁の生活を送ってきたロレッタにその指令が下されたことなど、もちろん一度たりともなかった。それなのに、急に何を言っているのだろう。
「『こいつ』呼ばわりするな、無礼者。お前には関係のない話だ。部外者が口を挟むな。……詳細は、ミランダ様より直々にご説明いただける、とのことでした。ご対応願えますか、ロレッタ様」
「…………」
他国の情勢も、戦の実情も、姉の思惑も、ロレッタには何一つ分からない。けれど、確かなこともある。今、目の前には、ロレッタの欲しかったものが揃っているのだ。
即ち、祖国への移動手段と、姉に謁見する機会が。
(水の国へ戻ることができる……お姉様と交渉ができる……!)
この村とも、リューズナードとも、縁を切るよう直談判しに行ける。こんな好機は、恐らくもう巡ってこない。ロレッタは、ぎゅっ、と手を握った。
「血溜まりを見て腰が引けるような奴に、何を期待している? 戦場で役に立つはずがないだろ!」
「黙れ、と言ったつもりだったのだがな。非人は言葉も通じないのか?」
「あ゛あ……?」
「……承知致しました。参りましょう」
「!? 何を言っている、おい!」
自身や仲間たちが危険に晒されているわけでもないのに、やたらと食ってかかっているリューズナードの横を離れた。彼がミランダとの交渉に反対していた理由は聞けず仕舞いだったが、今更、詮の無いことだ。協力を仰ぎ、彼の手を煩わせる必要もなくなったのだから。
この先は、ロレッタが一人で片を付けなければならない。姉の横暴を止められず、住人たちを巻き込んだ贖罪を果たしに行くのだ。
中で待機していたもう一人の兵士に誘導され、ロレッタは馬車へ乗り込んだ。リューズナードが動き出そうとする気配がしたが、すかさずアドルフが水魔法を放って静止させる。
「まだ何か用があるのか? ロレッタ様が自ら決定されたことだぞ。妨害する権利も理由も、お前にはないだろう。……一歩でも動けば、水の国への反逆とみなす」
「……っ」
リューズナードの息を呑む音が微かに聞こえて、胸が痛くなる。今はまだ、彼と姉との間で交わされた契約が生きているから、アドルフの最後の言葉が脅しとして機能してしまう。その効力を失くす為の戦いを挑みに向かうのだ。
運転役に「出せ」と短い指令を下したアドルフが、馬車へ乗り込んだ。間もなく、馬の鳴き声と、蹄が地面を蹴る音が響き、やがて台車も動き始める。
(……ああ、花束は持って行きたかったわ……)
それだけが、唯一の心残りだった。