第49話
この村で最も裁縫を得意としているのは、ジーナという女性の住人である。ジーナはロレッタと歳が近く、さっぱりした性格で、いつも明るく接してくれる。聞いたところによると、嵐でずぶ濡れになったロレッタを着替えさせてくれたのも、彼女だったらしい。
数時間前に突然やって来て、突然「裁縫を教えてほしい」と言ったロレッタを、ジーナは嫌な顔一つせず、喜んで迎え入れてくれた。
「ロレッタって、器用だよねえ。飲み込み早くて羨ましい。あたし、これ覚えるまでかなり時間かかったのに……」
「教え方が良い証ですよ。それに、ジーナほど上手くはできません」
「そうかな? えへへ、ありがと!」
以前は他の住人たちと同じように敬称を付けて呼んでいたが、本人からやめてほしいという申し出があった為、ロレッタはジーナのことだけは村で唯一、呼び捨てしている。「仲良くなれた気がして嬉しい」と笑った彼女は、同性で同年代のロレッタが見ても、とても愛らしかった。
「……ところでさあ。リューに愛想尽かして実家に帰ろうとしてる、って話、本当?」
それまで順調に動かしていた手をピタリと止めて、ジーナを見詰める。
「……あの、最近、他の皆様からも似たことをよく尋ねられるようになったのですが、どうして、そのようなお話になっているのでしょうか……?」
「違うの? 喧嘩した、とかじゃなくて?」
「違いますよ。そのようなことは、ありません」
ロレッタが旅支度の確認をし始めてからというもの、住人たちがやたらと心配した様子で声をかけてくるようになった。実家に帰る。確かに、それはそうなのだが、原因は断じてリューズナードとの喧嘩ではないのだ。そもそも、対等に喧嘩ができるほどの関係値を築けてすらない。
「あ……それとも、リューズナードさんのご機嫌がよろしくない、というお話だったのでしょうか?」
「ううん。リューは、なんかふわふわしてるらしいけど」
「ふわふわ……?」
「子供たちが、そう言ってた。……まあ、問題がないなら別に良いよ。でも、ロレッタもため込み過ぎてパンクしないように、気を付けてね? ロレッタの優しいところはあたしも好きだけど、飲み込むだけが優しさじゃないからね。特にリューみたいな奴は、ちゃんと言ってやらないと分からないんだから」
「……優しさ、ですか」
視線を落とし、自分の行いを振り返る。
リューズナードの前で言葉を飲み込んだことは、確かにある。それも、数えきれないほど、たくさん。口調でも表情でも、彼の不機嫌が伝わってくると、それ以上会話を続けることをロレッタは諦めてしまう。
けれど、そもそもどうして彼が不機嫌になったのか、その理由を尋ねてみたことはあっただろうか。何が原因で機嫌を損ねたのかを理解しないまま逃げているから、何度も同じことを繰り返しているのではないのか。話がしたいと望んでおきながら、彼と向き合うことを拒否していたのは、自分のほうなのではないのか。
仮にも同じ家で生活している相手に、腫れ物のような扱いをされ続けたら、さぞ気分も悪いだろう。そんなもの、優しさでもなんでもない。
「……確かに、そうかもしれませんね」
「そうそう。複雑な女心を汲み取ってスマートに対応する、なんて、リューにできるわけないもん。……でも、話せばちゃんと聞いてくれると思うよ」
「……はい、その通りですね。折を見て、お話できる機会を設けてみようと思います。ありがとう、ジーナ」
顔を上げて礼を言うと、ジーナは愛らしい笑みを浮かべた。
思い返せば、ロレッタはリューズナードに嫌われていて当然の立場だが、無視だけはされたことがない。声をかければ、たとえ渋々だったとしても、きちんと立ち止まって耳を傾けてくれていた。それなのに、勝手に怯えて口を噤んでしまったのは、ロレッタのほうだ。
今回の件だって、婚約や契約を破棄する為に国へ戻るのならば、真っ先に相談するべきは、同じく当事者である彼だったのだ。尋ねてみようか、ではなく、話さなければならなかった。
自分のことしか考えていなかった自己嫌悪を抱えながら、ロレッタは作業を再開した。今日は彼の帰宅を待っていよう、と決めて。
その日の夕刻。裁縫の勉強と農作業の手伝いを終えたロレッタは、改装を経て綺麗になった居候先の家屋の扉を開くなり、驚いて悲鳴を上げた。
目の前にリューズナードが立っていたからだ。
「きゃっ!? …………あ、リューズナードさん……。も、申し訳ありません、いらっしゃると思いませんでした……」
「……いや……」
心臓がバクバクと飛び跳ねている。話がしたい、と考えてはいたけれど、心の準備をする時間は欲しかった。それに、ロレッタの力では押し退けることができないであろう体躯で眼前に立たれると、威圧感がすごい。言葉や表情だけでなく、彼のこの佇まいも、自分が言葉を飲み込んでしまう理由の一つなのかもしれない、とぼんやり思う。
これから外出するところだったのかと考えて道を譲ってみたが、リューズナードが足を動かそうとする気配はない。黙ってロレッタの動向を目で追っている。何をしているのだろう。また、機嫌を損ねるようなことをしてしまったのだろうか。
(……そうだとしても、逃げてはいけないわ。きちんと理由を尋ねるのよ……!)
小さく息を吐いて呼吸を整え、意を決して、ロレッタは口を開こうとした。が、それよりも少しだけ早く、リューズナードが口を開いた。
「…………ご、めん、なさい……」
「………………え?」