第4話
ミランダが、スッと目を細めた。
「……本当はね、味方にできないと判断した時点であなたを殺すことだって、手段の一つとして考えてはみたのよ? けれど、炎の国の二の舞にでもなったら笑えないもの。だからなるべく穏便に、と思っていたのに」
「誘拐と脅迫のどこが穏便だ、外道が」
「あなたの聞き分けが悪いからでしょう。それ以上暴れるなら、子供は無事では返せなくなるわ。村の安全も保障できない。どうするのが一番良いのか、分かるわよね?」
「……………、くそっ!」
ミランダを鋭く睨みつけていたが、視界の端に怯えきったネイキスの姿を捉えると、ようやく観念したらしい。リューズナードが自分の足元でぐしゃぐしゃになっていた書類を乱暴に広げ、筆記用具で文字を書き殴り始めた。
姉を相手にここまで抵抗し続けた人間を、ロレッタは見たことがなかった。権力も魔力も知力も持ち合わせる彼女を敵に回せば、どんな仕打ちが待っているか分からない。王宮で働く近衛兵や、身内であるロレッタでさえ、彼女を前にすると緊張が走る。
それなのに、リューズナードには怯む気配が全くない。それどころか、人質の件がなければ、最後まで折れることもなく、直接姉に切り掛かっていたのではないだろうか。そんな様子さえ見て取れる。
王族を敵に回すことも厭わないほど、彼にとっては仲間が大切なのだろう。それに、自分は槍を突き付けられても黙っていたのに、少年の怯えた顔を見るなり、怒り狂って兵士を投げ飛ばした。大切な人のために本気で怒ることができる、情の厚い人間なのかもしれない。
父が病床に伏せて以降、他者から大切に扱われた記憶がないロレッタは、なんとも言えない不思議な気持ちで男を見詰めた。
「ロレッタ」
「! ……は、はい。なんでしょう?」
冷たい声に呼ばれて振り向くと、ミランダが無関心な目でロレッタを見ていた。
「何を呆けているのよ。お前も書きなさい。結婚だと言ったでしょう?」
「え……あ、はい……」
姉に反抗するどころか、余計な口を挟む勇気さえない自分を恥ずかしく思いながら、ロレッタは小走りで男の元へ駆け寄る。
集まっていた兵士たちが、一斉に道を開けた。その先には当然ながらリューズナードがいて、床に広がった書類を親の仇でも見るかのような目つきで睨んでいる。
ロレッタが近くで足を止めると、彼は鋭い目線だけをこちらへ寄越した。そして右手で持っていた筆記用具を、乱暴に投げ付けてきた。脛のあたりにぶつかったそれに、反射で小さく悲鳴を上げてしまう。
これから自分は、この男の伴侶にならなければならない。その事実が恐ろしくて堪らなかった。
「……そうね。形式だけでも夫になる相手のことなのだから、少しだけ教えておいてあげましょうか」
機嫌の良さそうなミランダの声が聞こえる。
「その男の名は、リューズナード・ハイジック。元、炎の国の剣士。下民の生まれで、しかも生まれつき魔法が使えないという下等な生物よ。けれど、刀一つで他国の兵を相手に凄まじい戦果を挙げ続け、炎の国の王宮騎士団に抜擢された。そして数年前、その騎士団をたった一人で壊滅させて逃亡。現在は、自分と同じく魔法の使えない連中を集めた集落でみすぼらしい生活をしている。……だったかしら?」
「………」
何も言い返さない、ということは、全て真実なのだろうか。男の出自について、ここでミランダが嘘を吹き込む理由もない。
水の国と並ぶ魔法国家の一つ、炎属性の魔法を得意とする王族が統べる国・炎の国。水の国では近衛兵団と呼んでいるが、炎の国では騎士団と呼ばれているらしい王族直下の兵隊の中でも、彼は特別強い剣士だった。先ほどの身のこなしを見れば、それが偽りでないことは分かる。
そして、なんらかの理由で国を捨て、今は別の場所で暮らしている。そこもひとまずは飲み込める。それよりも、だ。
(……生まれつき、魔法が使えない……?)
ロレッタが最も強い引っ掛かりを覚えたのは、そこだった。扱える魔力の量には個人差があると教わったけれど、全く扱えない人間がいるだなんて、聞いたことがない。王宮で居場所を失くしつつあったロレッタでさえ、子供の頃から当たり前に魔力操作ができていた。だから、それができない人間がいる可能性など、考えもしなかったのだ。生まれつき、と言っていたから、つまりは体質の問題なのだろうか。