第48話
さらに深く考え込みそうになったところで、正面の道からウェルナーが歩いて来るのが見えた。ズカズカと足早に近付いてきた彼は、目の前で大きく右腕を振りかぶったかと思うと、そのままリューズナードの頭を思い切り引っ叩いた。
「いっ……!? なんだ!!」
「なんだ、じゃねえ! お前、ロレッタちゃんに何したんだよ!?」
「あ゛あ!?」
ふわふわもモヤモヤも綺麗に消し飛び、理由も分からず与えられた痛みのみが残ったリューズナードは、相手がロレッタであれば竦み上がっているような剣幕でウェルナーを睨んだ。けれど、ウェルナーはそんなものでは怯みもしない。
「ちょうど良かった、ウェルナー。こいつ、ロレッタちゃんに相当やらかしてるみたいだから、謝りに行け、って言ってたところだよ」
「あ゛あ!? ……ああ、そうなの? いやでも、もう普通に謝るだけじゃ足りねえよ、あれは! 日頃の感謝とかも伝えて……あと、あれだ。プレゼントでも持って行け!」
「プレゼント……?」
「ロレッタちゃんの好きな物! 花とか、食い物とか、服とか、アクセサリーとか、なんか一つくらい知ってるだろ? 一緒に住んでるんだから!」
そもそもウェルナーが何故これほど怒っているのかもよく分からなかったが、異なるタイミングで声をかけてきた友人二人が、揃って「謝りに行け」と言うのだから、よほど深刻な状況なのかもしれない。
彼女の、好きな物。考えてはみたものの、思い当たる物がなかった。
以前、ルワガの実を食べて嬉しそうにしていた記憶はあるが、あれは魔力が回復して体調が楽になったからであって、味が好きなわけではないのだと思う。この村の料理が好きだ、とも言っていたが、そう言えば具体的に何が好きなのかまでは聞かなかった。それから、手を握られた時も微かに笑っていたが、あれは未だに意図が分からない。
――これら以外に、彼女の笑顔を見た記憶がない。彼女がどうすれば喜ぶのか、見当もつかない。
リューズナードは、ロレッタのことを、何も。
「……知ら、ない……」
ぼそりと呟いたリューズナードに、友人二人が信じられないものを見るような目を向けてくる。
「お前、本当さあ……ロレッタちゃんがあんなに歩み寄ろうとしてくれてんのに……!」
「捨てられても文句言えねえな、これは。もう大人しく帰してやったほうが、ロレッタちゃんの為なんじゃねえか?」
「…………」
愛想を尽かすだの、捨てられるだの、偽りの婚姻にまつわるあれこれは一旦、置いておくとして。
悪いことをしたら、ごめんなさい。それは、素直にその通りだと思った。
彼女が自分にだけ何も言ってこないのも、すぐに謝ってくるのも、笑顔を見る機会が極端に少ないのも。全ては、彼女が自分を怖がっているからなのではないのか。その可能性に、リューズナードはようやく行き着いたのだった。
――――――――――――――――――――
翌日も、ロレッタは旅支度に悩んだ。
大陸の地図は王宮でも何度も目にして覚えているので、持って行く必要はない。寝床の他には、水と食料、怪我をした時の為の包帯、火を点けられる道具、ナイフ、少しの着替え、それらを詰め込める鞄、あとは方角を確認できる手段も欲しい。
考えれば考えるほど荷物が増えてしまって辟易する。自分の腕力と体力で持ち運べる荷物の積載容量など、たかが知れているのに。
寝床は最悪、テントでなくとも、体を完全に包み込める厚手の布があれば、なんとかなりそうだ。早めに用意して、それで眠れる訓練をしておけば良い。薄くて硬い布団にだって順応できたのだから、要は慣れだ。ただ、それを用意するにもやはり、裁縫の技術は必要だろう。
食料については、村から持ち出して行くのは気が引けるので、なるべく道中で現地調達したい。そうなると、口にして平気な物と、そうでない物とを見極めるスキルも必要になる。すぐにでも勉強を始めたいところだが、誰に訊けば良いのだろうか。
火を起こす方法は、村での生活の中で学んでいる。火打石と火種があれば、どこででも着火は可能なはずだ。ただ、住人たちが自宅で使用している火打石は少々特殊な素材で作られている物らしく、その辺の石では代用できないそうだ。精製技術を習得するべきか、どこかの家庭で余っている物がないか尋ねて回るべきか。
包帯やナイフも、尋ねて回ればどこかの家庭で分けてもらえるかもしれない。しかし、方角を知る道具だけは、村の中では見かけたことがなかった。方位磁針には磁石が要るが、そんな物、そもそもこの村で製造可能なのだろうか。鍬や斧など、鉄製の道具を作る技術はあるのだろうけれど、生活必需品でない磁石となると、果たして。
(……そう言えば、リューズナードさんは、どうやって水の国まで移動したのかしら?)
ネイキスが攫われたという報せを聞いた後、どのような手段を用いて水の国までたどり着いたのだろう。王宮へと乗り込んで来た彼は、長旅用の荷物など持ってはいなかったし、帰りの馬車にもそれらしい物は積まれていなかった。まさか、その身と刀だけで森を抜けた、というのか。
……彼ならば、できてしまいそうではある。参考にならない可能性も高いが、一応、移動手段を尋ねてみようか。
ぐるぐる思考を巡らせながら、ひとまず重要かつ手軽に学習を始められる分野として、ロレッタは裁縫技術を教わりに行こうと考えた。