第45話
玄関の扉を閉め、愛刀を刀掛けに置いたリューズナードが、居間の床に腰を下ろした。なんとか掃除の間に合っていた箇所で安心する。
「お口に合えば良いのですが……どうぞ、召し上がってください」
体の正面に膳を置いて差し出すと、彼は少しの間それを眺めてから、「……いただきます」と呟いてスプーンを手に取った。
穀物と具材を適当なバランスでスプーンに乗せて、大きな口でカブリと噛み付く。そしてゆっくり味わうように何度も咀嚼し、最後に喉仏を上下させて消化管へと流し込んだ。
自分一人で作った料理を目の前で食べてもらうのは、これが初めてである。囲炉裏を挟んだ対岸でその食事風景を見ていたロレッタは、緊張しながら感想を尋ねた。
「お味はいかがでしょうか?」
「…………うん、美味い」
普段の荒さが取れた、どこか幼ささえ感じるような声が返ってくる。向けられたことのない声音に驚いて声が出そうになったが、食事の邪魔はできないので必死に呑み込んだ。
リューズナードは笑っているわけではないものの、ロレッタと一緒に居る時にしては珍しく、ずいぶん穏やかな表情を浮かべているように見える。よほど機嫌が良いのだろうか。
(もう少しだけなら、お話ししても大丈夫かしら……)
ロレッタが倒れた日以来、リューズナードと落ち着いて話す時間はほとんど取れていなかった。今の、どことなく機嫌の良さそうな状態の彼であれば、少しの雑談くらいなら興じてくれるかもしれない。
「あの……リューズナードさんは、お食事で好きな物や、苦手な物はありますか? 食材でも味付けでも、構わないのですけれど」
「……特にない。なんでも食える」
「左様ですか。……この村で振舞っていただくお食事は、王宮では口にすることなかったものばかりです。素朴で、優しくて、温かくて、今ではとても好きになりました」
「そうか。……俺も、ここでの食事は好きだ」
「! はい。私も、もっとたくさん、いろんなお料理を作れるようになりたいです。他の皆様の腕には遠く及びませんが、また召し上がっていただけますか?」
「ああ」
食事の合間に、ぽつりぽつりと返ってくる相槌が、静かで、穏やかで、嬉しくなる。ロレッタが食事を用意した時、彼はいつもこれほど長閑な様子で食べてくれていたのだろうか。想像すると、なんだか胸の奥がきゅう……と締め付けられるような心地がした。
水の国へ帰ったら、こんな時間はもう過ごせなくなる。王宮では、ロレッタはそもそも料理をする必要がないし、作ったとしても振舞う相手がいない。
自分は元々、この村の人間ではないのだから、婚姻や契約を破棄した後は、そのまま祖国での生活に戻ることになるのだろう。もしかすると、ミランダの反感を買ったことで、王宮からは追い出されるかもしれない。そうしたら、本格的に帰る場所がなくなってしまう。
一人になるのは、怖い。けれど、この村の人々や、リューズナードを巻き込むよりは、遥かに良いと思える。この穏やかな時間を脅かすような真似を、これ以上、していたくなかった。
どんな行動を起こすにも、とにかく水の国とこの村の位置関係を把握しないことには、始まらない。
「え、この村の位置? リューから説明されていないの? ……明かりや流し台の使い方といい、本当に言葉が足りないわね、あの子は……。少しだけ、待っていてくれる? 大陸の地図がどこかにしまってあったはずだから」
「ありがとうございます」
昼食を摂った後、食休みの雑談の中で、ロレッタはサラに村の位置を尋ねた。駆け回る子供たちを器用に躱しながら、サラが目当ての物を探し当てて戻って来る。
床に直接広げられたそれは、ロレッタが王宮で目にしていたものと変わりなかった。
「この大陸の主要な魔法国家は五つ。こちら側から順に、水の国、炎の国、雷の国、風の国、土の国。それで、私たちの村が、大体この辺りね」
一つ一つ、指をさしながら説明してくれるサラ。当然と言えば当然だが、やはりこの村は、地図には記載されていない。ロレッタは以前教わった海までの距離や方角を頭の中で照らし合わせ、ようやく村の正確な座標位置を理解した。
「なるほど……最も近いのが炎の国で、次が水の国なのですね」
「そうね。この村は元々、炎の国出身の皆が作った、という話だもの。国を出た後、なるべく離れたい気持ちでいたのだと思うけれど、移動手段が徒歩しかないから、限界があったのでしょうね」
「移動手段……」
話によれば、リューズナードたちが祖国を捨てたのは、綿密な計画を練った上で決行したことではなく、突発的な行動だったはずだ。事前の準備など碌にできていなかっただろう。国内には魔力を原動力にして走る乗り物も流通しているものの、魔法が使えない彼らには利用できない。せめて馬車があれば違ったかもしれないが、手配する余裕もなかった、ということなのだろうか。