第41話
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水田の水面に夕日が反射し、きらきらと輝きを増す時刻。ウェルナーは一人、避難所を目指して歩を進めていた。
今日は村で炊き出しが行われる日だ。住人全員で火と簡易テーブルを囲い、持ち寄った食材を混ぜて一緒に夕食を摂る恒例行事である。すでに催しは始まっているが、その中にロレッタとリューズナードの姿がなかった。
もう十年の付き合いになる年下の友人は元々、気まぐれで参加したり、しなかったりしていたので、あまり気にしてはいない。ただ、ロレッタに関しては心配だった。昼間に自分が喋り過ぎたせいで、優しい彼女が変に気落ちしてしまっているのではないか、と。
だいぶ言葉は選んだつもりだったが、何せ話の元となる自分たちの人生が碌でもないものなので、あれ以上柔らかくは語れなかった。やはり刺激が強かったのだろうか。だとしたら、きちんとケアしてやる必要がある。
避難所の階段をすたすた上り、出入り口の扉に手を掛けた。
「ロレッタちゃん? 炊き出しやってるけど来ない、の……」
中へ入ろうとした足が、思わず静止する。
扉の先では、リューズナードが壁に背を預けて眠っていて、そのリューズナードに寄り添うようにロレッタも隣で眠っていた。互いの手を重ね合わせた状態で、二人とも穏やかに寝息を立てている。
しばし唖然とその光景を眺めていたウェルナーだったが、やがて我に返ってゆっくり扉を閉めた。
「……来ないですね、はい。お邪魔しました……」
小声で呟き、さっさとその場から退散することを選ぶ。何があったかは知らないが、仲直りできたのなら、ひとまず良かった。明日になったら目一杯、友人をからかってやろうと決意する。
自然と上がる口角を隠すこともなく、ウェルナーは今来た道を引き返した。
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翌朝。足の痺れと、右半身にかかる不自然な重量で、リューズナードは目を覚ました。目蓋を持ち上げれば、眠る前と変わらず自分の右手とそれを包む小さな手が映り込み、その小さな手を辿っていけば、持ち主であるロレッタが自分にもたれ掛かるようにして眠っていることに気付く。動揺して少し体を揺らしてしまったが、彼女が起きる様子はない。
ひとまずロレッタを布団に寝かせ、刀を腰元に戻して外へ出た。地平線の向こうから顔を覗かせる太陽が、闇一色の空にグラデーションを描き出している。いつもと同じ、夜明けの刻のようだ。仮眠のつもりだったのに、しっかりと眠りこけてしまった。
久しぶりに長時間の睡眠を取ったせいか、体が軽い。頭もスッキリしている。今ならどこの戦場へ放り込まれても、無傷で一騎当千の働きができる気がした。そんな予定はないけれど。
普段通りに村の周辺を巡回し、他の住人たちが起き出す頃に、薪や水などの資源を届けて回った。行動は普段と変わらなかったものの、その合間、合間で、無意識に自分の右手を眺めてしまう。
冷静になると、昨日の状況で自分が眠れてしまったことに驚くばかりだ。魔法を使える人間があの距離に居て、利き手まで抑え込まれていたというのに。自分の体が、彼女を敵だと認識できなくなっている。それが問題のないことなのか、危険なことなのかも、よく分からない。
ただ、この手に残る微かな熱は、確かなものだ。この七年、何をしても消せなかった不快な感覚を綺麗に溶かしてくれた、不思議な温かさ。教養のないリューズナードが、自身の少ない語彙力の中で無理やり名前を付けるなら、あれは――安心?
自分は、彼女の手に触れて、安心したのだろうか?
答えが出せないまま右手を眺めていた時、住人の男性に声をかけられた。
「よう、リュー。今日も早いな。どうした? そんなに自分の手なんか見て」
彼は炎の国の出身ではないが、村ができてから二年目に移住してきた、なかなかの古株である。不可思議な熱の正体を探すべく、気心の知れた男の名前を呼んだ。
「ああ。……フィリップ、少し手を貸してくれないか」
「珍しいな、お前がそんなこと言うなんて。もちろん良いぜ。何するんだ?」
「いや、右手を貸してほしい」
「右手? ……ああ、手を貸す、って、そういう意味か。別に良いけど、なんだよ?」
訝し気に差し出された右手をしばし眺めてから、リューズナードは自身の右手でそれを握り返した。
「!?」
「…………」
感覚を右手に集中させる。……が、特に何も思わない。昨日感じた熱とは全く違う。そもそも、これほどゴツい手に利き手を抑え込まれたら、眠っていても反射で投げ飛ばしたかもしれない。
他人の体温に心地好さを覚えたわけではないのだろうか。しかし、それならば昨日は、どうして。思考がぐるぐる回り出し、眉間に皺が寄って行く。