第40話
ロレッタがミランダとは違う人間なのだと認識すると、今度はどう接すれば良いのか分からなくなった。魔法が使えるのに悪意を向けてこない相手だなんて、リューズナードはほとんど出会ったことがない。
住人たちが彼女を村へ受け入れたのは、連れてきたのが他でもない自分だったからだ。誰よりも魔法を嫌う自分が連れてきた人間なのだから、少なくとも害はない存在なのだと判断したのだろう。それは、自惚れでなくそう思う。
一方、彼女が住人たちと打ち解けたのは、彼女自身の行いによるものである。彼女が自分の意思で行動し、住人たちと真摯に向き合った結果だ。魔法が使えるからという理由だけでその行いまでも否定するのは、魔法が使えないからという理由だけで自分たちを拒絶した国の人間と、同じ思想なのではないか。そう考えて、ゾッとした。
だからせめて、他の住人たちと同じように。そうは思ったものの、突然手のひらを返すような器用な真似が、リューズナードにはできなかった。敵対とも、仲間意識とも違う距離感に、どうしても、ぎこちなさが出てしまう。さらに、こちらがそんな態度だったからなのか、ロレッタのほうも戸惑っているように見えた。
住人たち曰く、彼女はリューズナードの自宅に風呂や食器が無いことで困っていたらしい。しかし、これまで彼女からそんな意見を聞いた覚えは一度もない。どんな悪辣な環境でも生きてこられたリューズナードには、それらが無くて困る気持ちが全く想像できていなかった。言葉が足りないと叱られることは多々あるが、こちらだって言われなければ分からないのだ。けれど、彼女は何も要求してこなかった。
その癖、家事をやらせてほしいと頼んでくるのも、よく分からない。自分の為のものは何一つ要求してこないのに、こちらにばかり一方的に与えようとしてくる。
住人たちとの助け合いは、互いが生きていく為に必要なものであり、大きく括れば全て村全体の為でもある。貰った分だけ自分の働きで返すことができるから、なんの抵抗もなく受け取れる。
しかし、ロレッタがリューズナードへ与えようとしてくるものは、それらとは違う。自宅の家事など、他の住人たちにはなんの得にもならない、リューズナードの為でしかないものだ。しかも、戦闘以外のことが大抵苦手な自分には、同じだけのものを返すことができない。どんな顔で受け取れと言うのだろう。
断る選択肢だって、もちろんあった。けれど彼女が、あまりにしおらしく、恐る恐る頼んでくるものだから、思わず承諾してしまった。あれは、本当に良くない。無碍にできない。断りづらい。
それに、彼女は普段から、萎縮しているように見える。
こちらが普通に話しているつもりでも、何かあると、肩を落として謝罪してくる。気に食わないことがあるのなら、他の住人たちのようにその場で強く言い返してくればいいものを、すぐに身を引いて謝り始めるので、余計に接し方が分からなくなるのだ。そんな彼女が珍しくも要求したというのだから、自宅を改装して風呂を付けるくらい、もういいかと思ってしまった。
マティたちから渡したい物があるらしいと聞いた時、一瞬だけ、子供の名前を使って……という考えが浮かんだ。しかし結局、どうせ今回もそんな意図などないのだろうな、という結論に行きついて、わざわざ確かめようとまでは思わなかった。初日と同じ状況だったにも関わらず、自分の中の何かが変わっていることに、リューズナード自身も戸惑っている。
(…………)
これまでを振り返れば、ロレッタに攻撃の意思がないことは明白だ。奪うことも、傷付けることも、彼女が進んで実行するとは思えない。
昨夜の彼女が怒って見えたのも、決してこちらから何かを奪おうとしていたのではなく、別の理由があったのだろうと思う。短絡的に取り乱してしまったけれど、落ち着いてからもう一度尋ねたら、噛み砕いて説明してくれるだろうか。
体は動かさないまま、薄っすら目を開ける。多少ぼやける視界の中心に、彼女の両手で包まれている自分の右手が映った。
(温かい……)
自分より一回りも、二回りも小さい手から、優しく穏やかな熱が伝わってくる。すると不思議なことに、ノイズが走っていたような気持ちの悪い思考がクリアになって、悴むような体感すらあった手に血液が巡って、呼吸がしやすくなって。あれほど不快だった感覚が、じんわり溶けて消えていった。右手の熱に誘われるように、目蓋も意識も落ちていく。
リューズナードが次に目を覚ましたのは、夜が明けてからだった。
夢は、みなかった。