第39話
「――……っ!!」
一気に意識が覚醒して、飛び起きた。目の先には、妹が横たわる寝台……ではなく、避難所の床板が広がっている。自分も炎の国の装束など身に纏っていない。
また、あの日の夢をみていたのか。碌に回らない頭で、ぼんやりと状況を理解する。もう何度目になるのだろう。数えるのも馬鹿らしいほど、リューズナードはこんな目覚めを繰り返してきた。七年前から、何度も、何度も。
忘れることはできないだろうけれど、いい加減、前を向くべきなのは分かっている。仲間たちが、茫然自失した自分を必死で繋ぎ止めようとしてくれていることも。全部、頭では分かっているのだ。しかし、どうしても、体に染みついた不快な感覚が消えてくれない。
呼吸が浅くなっていることに気付き、わざとらしいほど大きく息を吐き出した。体が重い。疲労が全く取れていないし、窓から差し込む日差しもまだ強い。眠りについてから、それほど時間が経っていないのだろう。休みに来たのに、逆に疲れていたのでは、世話がない。
今度こそしっかり仮眠を取ろうと、目を閉じた。中途半端に意識が覚醒してしまった為、寝付くのに時間がかかりそうだ。それならそれで、もういい。目を閉じて、じっとしているだけでも、いくらか休息にはなる。
ゆっくり呼吸を整えていた時、出入り口の向こうから、誰かが階段を上って来る気配がした。やがて出入口の扉が開き、気配の主が静かに中へ歩み入る。
わざわざ姿を確認しなくとも、足音を聞けば、その主がロレッタであるとすぐに識別できた。他の住人は、これほど淑やかには歩かない。
どう考えても、まだ床に着くような時間ではないはずだ。何をしに来たのかは知らないが、用事があって立ち寄ったのなら、その用事が済めばすぐに出て行くだろう。体を動かすのが億劫だったリューズナードは、その場で黙ってやり過ごすことを選んだ。……それなのに。
とてとて近付いて来たロレッタが、自分の横で座り込む気配がした。
(???)
そして、何故か右手を握られた。
(!?!?!?)
相手が分かっているので、迎撃態勢を取るようなことはしなかったものの、混乱はした。本当に、何をしに来たのだろう。正直なところ、今は一人で静寂に身を委ねていたい心持ちだったのだが、これはさすがに声をかけるべきなのではないか。気だるさと困惑を天秤にかけて迷っていると、ロレッタが静かに口を開いた。
「……私は、あなたからも、この村の皆様からも、何も奪うことなど致しません。あなたには穏やかな日常が……平和が似合います」
(! …………)
話しかけられたわけではないのだと思う。けれど、独り言のような彼女の言葉が、先日、自分が口走ってしまった言葉への返答に聞こえて、なんとも言えない心境になった。
ロレッタがこちらを傷付けようとする意思を微塵も持っていないことは、すでに理解している。
最初は、他の人間と同じだと思っていた。魔法国家の王族であり、しかも血の繋がった姉があの態度なのだから、彼女もどうせ同じ人種なのだろう、と。もちろん村へ足を踏み入れさせたくなどなかったし、必要ならば縛り付けてどこかへ幽閉しておくことだって考えていたくらいだ。
ロレッタが村へやって来た日。敷地の外で見かけた彼女は、ネイキスがリューズナードと話したがっている、と言った。その言葉が欠片も信用できず、真偽を確かめるべく一緒に連れ帰った。子供の名前を使ってまで卑劣な謀略を企てるような、姉と同じことを平気でできる人間だと分かったなら、契約など無視して斬り捨てるつもりでいたのだ。しかし、ネイキスたちとのやり取りを経て、彼女の言葉に嘘が一つもなかったことを知った。
その後の村での様子も、可能な限り目を光らせてはいた。少しでも不審な動きがあれば、先手を打って対処ができるように。
ところが、彼女は他に何をするでもなく、自然と村の生活へ溶け込んでいった。明らかに慣れていない農作業を懸命に手伝い、住人たちと楽し気に言葉を交わす毎日。住人たちからも、彼女の悪い噂など一切聞かない。そのうち、真面目に監視している自分が馬鹿らしく思えてきて、とうとうやめてしまった。
そして、かつてないほど強い嵐が村を襲った、あの日。魔法を使わず生きることに固執していたリューズナードに、彼女は声を荒らげた。それも、「私が守る」だなんて傲慢なことは言わない。「守る為に私を使え」と言ってくる。
単に自己肯定感の低さから出た言い回しだったのか、こちらが手を取りやすいように選んだ言葉だったのかは、分からない。ただ、恩着せがましく上からものを言われていたら、リューズナードは間違いなく最後まで彼女を拒絶していたことだろう。仲間を守るという、自分にとって何よりも大切な目的を見失いかけていたのだと、気付かされた気分だった。
明け方に気を失い、夕方に目を覚ましたロレッタは、「これからも私を使ってほしい」と言って笑った。真っ直ぐな言葉を聞き、その笑顔を見た時にようやく、彼女がミランダとは違う人間であることを認識した。
『あなたの大切なものを全て、水の底に沈めてあげる』
『より多くの人々を守る為に与えられた力なのだと思いました』
同じ血を引き、同じ力も持っているのに、言動がまるで違う。玉座に鎮座したまま子供を使って脅迫してきたミランダと、自身が倒れてまで必死に村を救ってくれたロレッタ。魔法国家の人間、という言葉で一括りにするには、あまりにもかけ離れている。
容姿ですら、そうだ。肌も、瞳も、髪も、同じ色をしてはいるが、二人が似ているとは思わない。そもそも、ミランダと対峙していた際は、怒りと嫌悪で視界が染まっていた為、細かい造形など碌に覚えていない。
ただ、人を見下して高飛車に笑うミランダよりも、住人たちの無事を喜んで素朴に笑うロレッタのほうが、ずっとずっと、綺麗だと思った。