第3話
「ふん。ヒビトの考えは理解に苦しむわね。まあ、ここであなたが頷かないのは想定内だわ」
「むしろ、こんな手段に出た時点で、俺が味方になる可能性は完全に消え失せている、ということくらい分からなかったか?」
「普通に交渉を迫ったところで、あなたは承諾しなかったでしょう? だったら、どんな手段をとっても同じことよ。比較して、より手っ取り早く、成功率が上がりそうな手段を選んだだけ」
「上手くいかなくて残念だったな。もういいだろう。さっさとネイキスを返せ」
「いいわよ。何の取柄もない子供の相手をしていられるほど、王族は暇ではないもの。……ただし、条件がある」
ミランダが妖しく微笑んだ。
「あなた、私の妹のロレッタと結婚しなさい」
「……は?」
「え」
突然、名前を呼ばれたロレッタは、思わず小さく声を上げる。もちろん、何も聞かされてなどいない。結婚、とは? 誰と誰が? なんの為に? いい加減、頭がショートしてしまいそうだ。
当事者なのに話を飲み込めなかったのはリューズナードも同じだったようで、険しい視線をミランダへと向け続けている。少しの沈黙を挟み、ようやく口を開いた。
「……気が狂ったか?」
「本当に無礼な男ね、本来ならとっくに首と胴体を切り離しているところだわ。……単純な話よ。味方にできないのなら、せめて敵にもならないように根回ししておこう、というだけ。今は『どこの国にもつかない』なんて言っているけれど、何かのきっかけで他国に肩入れされるようなことになったら面倒じゃない? だから、そんなことが簡単には起こらないような状況を仕立て上げるの」
再びミランダが片手を挙げると、今度は玉座の後方に待機していた兵士が動き出した。懐から書類と筆記用具を取り出して、屈従の体勢を維持しているリューズナードの眼前へと差し出す。
「国家間での戦争や外交について、今まで不干渉を貫いてきたあなたの横に、水の国の王女がいる。その様子を見た他国は、あなたが水の国と友好関係を結んだ、と勝手に勘違いしてくれるわ。そうなれば、うちの国への手出しもしづらくなるでしょうし、あなたも無闇に交渉を持ちかけられることはなくなるでしょうね。良いこと尽くしだわ」
どうやら自分は、外交上の都合で嫁がされるらしい。それだけはぼんやりと理解できてきた。ミランダの言う「良いこと」の中に「ロレッタの意思」が介在する余地は、きっとないのだろう。当然の成り行きだと諦めてしまえる自分が、ロレッタは少し嫌になる。
「それが原因で、俺たちの村が他国から襲撃でもされたらどうする」
「その時はもちろん、兵を送ってあげるわよ。まあ、ここから村まではそれなりに距離があるから、間に合う保証はないけれどね」
姉の笑い方を見るに、この発言は偽言なのだろうと思う。おそらく彼女は、リューズナードの村とやらが窮地に陥ったところで、手を差し伸べることなどしない。搾取するだけ搾取して、不都合があれば容赦なく切り捨てる。彼女の得意とする政治手腕の一つだった。
そんな気配を悟ってのことなのか、リューズナードは未だ筆記用具を手に取ろうとはしていない。
「ふざけたことを……。そんな小細工の為に、肉親を利用するのか」
「ええ、好きに扱って頂戴。さほど魅力はないけれど、生物学上は女だから、慰み者くらいにはなるのではないかしら」
「……血の通った人間の言葉とは思えないな。反吐が出る」
「使える物はなんでも使わないと、損じゃない。あなたがその契約書にサインすれば、子供は返しましょう。そして、あなたが契約を守り続ける限り、私たちもあなたの村に干渉しないと約束するわ」
「……破れば、どうなる」
「ふふ、知れたこと。その時は――」
ミランダが右の手のひらを天井へ向け、その上で魔力を滞留させて見せる。螺旋を描くように渦巻いていた青いそれは、やがて鋭い矢じりのような形を成して凄まじい速度で飛んで行き、捕らわれているネイキス少年の目の前を横切った。
「あなたの大切なものを全て、水の底に沈めてあげる」
一直線に突き進んだ矢じりは、その先に聳える部屋の壁を深く抉り取って霧散した。風圧なのか、実際に掠っていたのか、ネイキスの前髪がはらはらと揺れている。突然のことに声も出なかったようで、彼はただ静かに涙を流していた。ロレッタも思わず息を呑む。
リューズナードが立ち上がって身を乗り出そうと動いた。
「ネイキス!!」
「動くな!」
「邪魔だ、どけ!」
水の槍を向けていた兵士が制止を試みるも、俊敏な動作で武器を構えている手を抑え込まれ、鳩尾に肘を入れられ、背負うような体制から一気に床へと叩き付けられた。背中を強かに打ち付けた衝撃で魔力の制御が乱れたらしく、水の槍が消滅する。仰向けで咳き込む兵士の喉元へ、今度はリューズナードが刀の切っ先を突き付けた。
部屋の端に控えていた兵士たちが一斉に取り囲んだものの、リューズナードの剣幕に気圧されて動けずにいる。