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Gemstone  作者: 粂原
第7章 悪夢と熱
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第38話

――――――――――――――――――――



 雷の国(シトリン)の兵を追い払い、ロレッタと言葉を交わしたその後も、リューズナードはしばらく村の外を見て回っていた。他の伏兵を警戒した周辺警備という目的ももちろんあったが、どちらかと言えば、不快に乱れた自身の脈拍を落ち着ける為という意味合いのほうが大きい。


 ……呼吸が浅い、指先が冷たい、思考が乱れる。自分の中に息づいて、時折、呼び起こされるこの感覚が、ひどく不快だ。けれど、上手く飼い慣らすこともできなくて、七年前のあの日から、未だに変わらず持て余している。


 普段であれば、さすがにそろそろ床に着こうかと考えるような時間帯になっても、全くそんな心持ちになどなれず、そのまま歩き回っていたら、いつの間にか夜が明けていた。


 仕方がないのでいつも通りの日課をこなしたものの、昼を過ぎた辺りで体が疲労を訴え始めた。経験上、徹夜は駄目だ。思考力も、判断力も、反応速度も、鈍る。村に何かが起きた時、仲間たちを守りきれなくなってしまう。


 少しでもいいから休まなければと、渋々避難所へ戻った。夕刻前まで仮眠を取るだけだ、わざわざ布団を敷く必要もない。腰元から刀を外し、壁に背を預けて眠れる体勢を作る。不快な感覚は残っているが、構わず無理やり目を閉じた。疲労に引きずられるように、意識が落ちていく。ああ、でも、きっと。


 こんな日は、夢をみる。




 十代も半ばに差し掛かった頃、リューズナードは妹のエルフリーデと共に生家を追い出された。


 特に驚くことはない。むしろ、よく今まで保ったな、と感心したくらいだ。両親のストレスの捌け口として飼われていたに過ぎないが、もはや視界に入ることすら忌まわしくなったのだろう。魔法を使える自分たちから産まれた、魔法を使えない子供たちの存在が。


 体の不自由な妹を背負い、街の廃棄物を漁りながら生き延びる毎日が始まった。妹の体がどうして不自由なのか、原因は知らない。優秀な医療機関がいくらでもある国なのに、妹がそこへ連れて行ってもらえたことは一度もなかった。常に熱っぽくて、少し動くと咳をして、たまに手足が痙攣していて。この症状をなんと呼ぶのか、なんて、勉強らしいことをさせてもらった経験のないリューズナードには、分からなかったのだ。


 非人という事実を抜いても、みすぼらしい身形で街を歩いていると、知らない人間に絡まれる。恐らくは両親と同じ、自身の欲の為だけに意味もなく他者を傷付けられる人種だったのだろう。自分一人なら無視しても構わないが、動けない妹にまで手を出されるのは腹立たしくて、可能な限り反撃した。体だけは丈夫だったので、魔法に目が慣れさえすれば、立ち向かえないことはなかった。


 ……本当は、妹が人並みに健やかな生活を送れるのであれば、自分にばかりこんな丈夫な体など要らなかった。きっと自分が、妹から健康を奪い取って産まれてしまったのだと、本気でそう思っていた。だからせめて、命に代えても守りきると固く決意したのだ。


 自分と変わらないくらいの歳の相手なら、素手でも互角以上に渡り合える。しかし、自分より体格の良い大人が相手になると、少し厳しい。妹を確実に守るには、何かしらの武器が要る。そう判断して以降、リューズナードは廃棄物の中からたまたま見つけたドロップポイントナイフを振り回すようになった。




 ウェルナーたちに会えたのは、生まれて初めて感じた幸運だったように思う。自分がいつ、どこで気を失ったのかも定かではなかったが、目覚めた時、自分と妹を心配してくれる存在がいたことに、計り知れない安心感を覚えた。恩に報いる術を持っておらず、どの道、それしかできないのだからと、彼らの居場所の為に戦うことを選んだ。


 王宮で国王と謁見し、カーディナルレッドの装束と、ナイフ代わりの刀を一つずつ渡された。妹や仲間たちに住処を与える条件として提示されたのは、リューズナードが国王の指示に逆らわないことと、同じ騎士団の人間には絶対に手を上げないこと。自分が何かを我慢するだけで皆が真っ当な生活を送れるのなら、安いものだった。


 王宮騎士団の所属となったものの、リューズナードが騎士を名乗ることは許されなかった。そもそも騎士とは、役職や階級ではなく称号の一種である。国の為に戦う特別な兵士にのみ与えられるべきそれを、非人が名乗るな、とのことらしい。そんなものを欲していたわけではないので、名乗ることも、呼ばれることも、最後までなかったが、特に気にはならなかった。


 響きは大層立派だが、所詮は王宮騎士団も人間の集まりだ。差別意識は街の連中と遜色ない。知らない人間に絡まれていたのが、知っている人間に絡まれるようになったに過ぎず、リューズナードの生活はあまり変わっていなかった。騎士団の人間に手を上げるな、とはつまり、何をされても反撃するな、ということ。もはや戦場で負う傷よりも、騎士団の連中に与えられる傷のほうが重症だったが、それも妹や仲間たちの顔を見れば耐えていられた。




 ある日、国内で猛威を振るう伝染病に、エルフリーデが感染してしまった、との報せを受けた。健常な人間であっても高確率で死に至る病に、妹の体が耐えられるはずがない。


 仲間たちと共に国中の医療機関を回ったが、相手にされなかった。金や保険といった名目で断られるのならば、まだ分からないでもない。しかし、非人だからという一点のみで突っぱねられるのは、いつもながら全く意味が分からなくて腹立たしく思う。


 民間の機関が駄目ならと、王宮へ乗り込んで治療を頼んだ。一応、騎士団の所属ではある為、装束を着ていれば王宮へ立ち入ることはできる。強力な治癒魔法が使える王子本人は主体性が無く、親の言いなりになって動く傀儡(かいらい)のような男なので、埒が明かないと国王へ直談判した。しかし、結果は散々だった。


『お前が戦う見返りは、住処の提供のみでしょう。勝手に病気になっておいて、その責任までこちらへ押し付けるな、厚かましい』


『ところで、ハイジック。お前、何故、今ここに居るのです? 騎士団の主力部隊と共に遠征へ行くよう指示してあったはずですが』


『……なるほど。戦うことしか能がない癖に、それさえ拒否する、と。それなら、お前ももう不要ですね。どうせ妹も助からないのですから、いっそのこと、一緒に死んでやれば、少しは喜ばれるのではありませんか?』


 振り返ると、王宮に残っていた騎士団の面々に取り囲まれていた。全員とはいかないが、見覚えのある顔もある。この身に傷を与えて嘲笑っていた連中だ。本当に、嫌になる。奴らはこちらを非人と呼ぶが、人じゃないのはどちらだ、という話だ。


 しかしもう、反撃できない理由はなくなった。こんな所に長居している暇などない。一刻も早く、妹たちの元へ戻らなければ。戦場で敵を前にした時と寸分違わぬ眼差しで、リューズナードは刀を鞘から引き抜いた。




 刀と装束を赤黒く染め上げたリューズナードを見て、出迎えてくれたウェルナーがギョッとした顔をした。


「お前、それ……ああいや、それよりも、エルフリーデちゃんが……!」


 狭く薄暗い小屋の奥。定位置となっている寝台で、いつも通りエルフリーデが横になっていた。顔面は青白く、唇と手足が紫に変色している。もう動かないのだろうな、と、教養のない自分でも一目で理解できる様相だった。


 手から力が抜けて、刀が床に落下する。次に足から力が抜けて、体が地へ沈み込むようにずり落ちていった。目は開いているはずなのに、視界がぼやけて色が認識できなくなっていく。


「…………ろ、して、くれ……」


「え……?」


「……もう、殺してくれ……」


「っ! おい、何言って……」


「俺は! ……なんの、為に……!」


 なんの為に、生まれて。


 なんの為に、戦って。


 なんの為に、迫害に耐えて。


 なんの為に、こんな世界でこれからも生きていかなければならないのか。


 分からない。


 もう、何も。

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