第30話
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あと半刻も経てば日付が変わるだろう頃合いに、茂る草木を踏み均しながら森を進む二つの人影があった。
同じジョンブリアンの装束に身を包んだ男たちは、共に軍人である。一方が昨年から補給部隊へ配属された新人隊員、もう一方が二十年近く前線を戦い抜いてきた実績を持つ上官だ。上官の男が常に半歩前を進み、新人の男へ細かく指示を出しながら、注意深く周囲を観察している。
魔法を使った戦闘技術を習得している兵士たちは、基本的に武器を携帯する必要がない。攻撃の範囲やパターンが限られてしまう武器を使用するよりも、技量次第で無限大の攻撃手段を編み出せる魔法を駆使するほうが戦いやすいからだ。さらに、重量のある武器を携帯しての移動は、それだけで体力を奪われる。そんなリスクをわざわざ背負う物好きはいない。故に、男たちも見かけは軽装だった。
一定のペースで鳴っていた二人分の足音が、突然、ピタリと止まった。正確には、前を行く上官の男が新人を静止させながら、歩を止めたのだ。
決定的な理由があったわけではない。ただ、得体の知れない何かが、闇の中に潜んでような気がした。混乱する新人の男を他所に、神経を研ぎ澄ませて周囲の気配を探る。
ほとんど直感で、上官の男は新人の男を強く真横へ突き飛ばした。そして彼が尻餅をつくより速く、自身は這いつくばるような勢いで体勢を低くする。その直後、数秒前まで二人の頭部が並んでいた場所を、鋼の刃が重低音を響かせながら通過して行った。すぐさま後方へ飛び退いて距離を取る。
二人の軍人の間には、殺気と刀を携えた青年が立っていた。
「ヒッ! い、今、どこから……!?」
「さっさと立て!」
脅える新人の男を一喝し、青年をまじまじと観察する。どこの国のものでもない衣服。鋼の刀。完璧に気配を絶ち、軍人相手に容易く背後を取る戦闘技術。
上官の男の額に汗が浮かぶ。
「……こいつまさか、リューズナード・ハイジック……!?」
「え……?」
「炎の国にいた、非人の剣士だ! こいつ一人に、うちの兵が相当数やられている! 刀の間合いには決して入るな!」
「は、はい! ……え、非人の剣士、ですか……?」
「…………」
リューズナードが炎の国の王宮騎士団を抜け、祖国を捨てたのは、もう七年近く前の話になる。ここ数年で新しく兵役についた人間は知らないだろうし、語って聞かせても信じないかもしれない。かつて、魔法の飛び交う戦場で、魔法を使わず誰よりも苛烈な戦果を挙げた剣士が存在した、だなんて。
名前を呼ばれたリューズナードが、感情の乗っていない目を上官の男へ向けた。
「……その装束は、雷の国だな。ここで何してる」
「っ……関係ないだろう。貴様にも、非人の村にも、用はない」
「その名で呼ぶな。何をしているのか、と訊いている」
低く、静かな声が、夜の闇に混ざって滲む。下手な嘘を吐いて刺激するのは愚策と判断した上官の男が、言葉を選びながら答えた。
「……戦の備えだ。補給路と野営地の開拓に来た」
夜に見て回ると、歩きづらさや見通しの悪さといった環境の欠点がよく分かる。闇の中でも敵の姿を視認できて、かつ足元にも不自由なく戦える立地が理想的だ。敵兵と出くわさない安全なルートを探して、二人はここまでやって来ていた。
「そうか。……ここから先へは、立ち入るな。森を抜けるのなら、海沿いか山の麓まで迂回しろ」
ゆっくりと、刃の先端が上官の男へ向けられる。
「向かって来る奴は、全員殺す」
「……っ」
男たちは、上層部から下されている命令で、この先を突っ切って森を抜けるルートの安全性を確認するはずだった。ここまで多少、悪路ではあったが、歩くにも戦うにも許容範囲の森道だと感じていた。
しかし、このまま進めばいずれ、非人の暮らす集落を横切ることになる。その場合、その地点を通りかかる度に、目の前の剣士と白刃を交えなければならない。前線を離れたらしい剣士の腕が、それでも全く鈍ってなどいないことは、先ほどの邂逅で嫌と言うほど分かった。敵国へたどり着く前に軍が消耗、あるいは壊滅させられたのでは、たまったものではない。
いくつか想定している開拓ルートの中でも、ここが最も危険の付き纏うものであることは、予め示唆されていた。だから、わざわざ実務経験が豊富な自分が選ばれたのだ。やはり外れくじだったな、と上官の男が悔やんでいると、新人の男が両手に魔力を滞留させているのが目に入った。
「おい、何をしているんだ! やめろ!」
「さっきは不意打ちだったから驚きましたけど、もう後れは取りません。そいつ、非人なんでしょう? たった一人で何ができるって言うんですか」
雷属性の黄色い魔力が、静電気を模したかのように帯電し、手の周囲でバチバチと音をかき鳴らす。完全に臨戦態勢に入っている。