第2話
ともすれば命の危機だと言うのに、ミランダの表情は変わらない。魔法という超常現象を操ることができる彼女にとって、刀など大した脅威ではないのかもしれないが、そうだとしてもすごい胆力だと思う。自分に向けられているわけでもないのに、ロレッタは身が竦んで動けなくなっている。
「刀を下ろしなさい、無礼者。誰に楯突いているのか、分かっているの?」
「お前だよ、ミランダ・ウィレムス」
青年の不遜な態度に、ミランダがわざとらしくため息を吐く。
「……あなたは炎の国の出身だと聞いているのだけれど、炎の国は下民の躾も満足にできないのかしら。先ほどから、王族の前だというのに、言葉も態度も野蛮で嫌になるわ」
「俺はもう、あの国とは関係ない。それよりも、子供を攫って交渉へ持ち込もうとするほうが、よほど野蛮で下劣だと思うがな」
「それは仕方がないじゃない。私はあなたと話がしたかっただけなのに、全く応じてくれないのだもの」
「応じる理由がないからな」
「だから、理由を作ってあげたのでしょう?」
ミランダが片手を挙げて合図を出すと、兵士の一人が部屋の奥から幼い少年を連れてきた。後ろ手に拘束され、口元は厚い布地で固く縛られている。
「ネイキス!」
「んーーー!!」
ひどく焦った様子で少年の名を呼ぶ青年を見て、ミランダが妖艶に微笑んだ。
「自分の立場が分かったかしら? ……もう一度言うわよ、刀を下ろしなさい」
「………」
青年が、大人しく刀を鞘へ戻した。ミランダはさらに続ける。
「頭が高い」
「っ………」
またしても、青年が静かに膝を折った。すかさず兵士がやってきて、水魔法で生成した青い槍を青年の喉元へ突き付ける。
生まれつき高い魔力を持つ王族や、魔法の扱いに長けた者ならば、あの程度の武器など恐るるに足りない。自身の魔法で打ち消すことも難しくはないだろう。しかし、青年はそうしなかった。
「その程度で済ませてあげている私に感謝なさい。本来なら、“ヒビトの村”の住人が王族と言葉を交わすことなんて許されないのだから。もちろん、あなたも含めてね」
「やめろ、俺たちの居場所をその名で呼ぶな」
「あら、そう? 呼称がないと不便だったものだから。気に障ったのなら謝罪するわ。ごめんなさいね」
謝る気持ちなど微塵も感じられない上辺だけの言葉に、青年が強い敵意を向ける。
ロレッタは頭に大陸の勢力図を思い浮かべたが、その中に“ヒビトの村”という地名は見当たらなかった。姉の言葉の一体何が青年の逆鱗に触れたのか、分からない。こんな時、顕著に己の無知を思い知る。
ここまでの話を聞いてなんとか汲み取れたのは、ミランダが青年との交渉を望んでいたこと、青年がそれを拒否し続けていたこと、そして痺れを切らしたミランダが青年の知り合いの少年を人質に取って呼び出したことくらいだ。
「さて、と。そろそろ本題に入りましょうか。リューズナード・ハイジック、あなた、水の国へいらっしゃい。近衛兵として使ってあげる」
「断る」
「少しは考えなさいよ」
近衛兵は、王族を守護する直属の戦力だ。他国との戦争が始まれば、雑兵を率いて最前線へ派遣されることもある。そんな重要な役職を、他国の出身者に割り当てるケースなど、この国ではほとんどない。
ミランダにとって、彼はそれほど価値のある人材なのだろうか。
「考えるまでもないな。俺が魔法国家に加担するなんて、未来永劫あり得ない。どこの国にも、そう言っている」
「あなたが頷けば、あなたの大事な村の住人たちも王都へ迎えてあげるわよ? 今よりもずっと豊かな暮らしをさせてあげられるわ」
「必要ない。俺たちは自立した生活を送っている。魔法なんてなくても、な」
リューズナードと呼ばれた青年が最後の一言を強調すると、ミランダは不快そうに眉を顰めた。
人間は生まれつき、体内に魔力を生成・制御する器官を備えている。操れる魔力の総量には個人差があり、王族の血を引く者は遺伝的に魔力の総量が高い。その王族が治める国を魔法国家と呼ぶ。水魔法を操る王族が統べる国・水の国が属する大陸には、他にも複数の魔法国家があり、数十年に渡って領土を巡る戦争を繰り返してきた。
教養の一環として教え込まれた知識を脳の奥から引っ張り出し、何とか話を理解しようと試みるロレッタ。それらによれば、各地の魔法国家は全て、魔力や魔法を制御できることを前提とした発展を遂げてきたはずだ。現代においては機械や乗り物、ライフラインなど、生活を支える多くの要素が魔力を原動力に作動している。国民全員が魔力を持っているのだから、当然の理のように思う。
しかし、姉に真っ向から反発している彼は今、「魔法なんてなくても生活できている」と言わなかったか。魔法なしでどうやって生きているのだろう? どうして使わないのだろう? 考えるほど疑問符が増えていく。