第22話
数時間後。
川を包んでいた青い光が、徐々にその範囲を狭めて一点に収束していき、やがてプツリと途絶えた。ロレッタの両手はすでに、濁流の水面まで届かなくなっている。水位が下がったのだ。普段と比べればまだ高いのかもしれないが、すぐに氾濫を起こす危険はないだろう。
雨は、ほとんど止んでいた。まだ雨雲は残っているし、風も吹き荒れているものの、ひとまず水害の脅威は去ったと言っていい。
ただ、ロレッタは現在の状況を正しく認識できる状態ではなくなっていた。
(……あれ、魔法が使えない……? 雨は止んだの……? みんな、無事かしら……村は……リューズナードさん、は……)
体力と魔力の枯渇で限界を迎えた体が、支えをなくしてふらつき始める。「おい、しっかりしろ!」という声を拾ったのを最後に、ロレッタの意識は闇に沈んだ。
「……ん……ぅ……」
目を開くと、すっかり見慣れた家屋の天井が視界いっぱいに広がっていた。乾いた服と温かな布団、そして固めの枕の感触。どうやら寝かせられていたらしい。眠る前は何をしていたのだったか。
(……ええと、嵐が起きて、川が氾濫して、魔法を使って、それから……)
「起きたか」
「! ……リューズナードさん……」
横から聞こえた声に、ロレッタは過剰に驚いてしまう。この村に来て以来、目覚めはいつも一人きりだった。隣に人がいる朝など初めてのことだ。いや、彼が自宅に居るということは、現在は夜中なのだろうか。それにしては周囲が明るい気がする。何から考えればいいのか、よく分からない。
ひとまず、体をゆっくりと起こしてみる。なんとか上半身を起こすことはできたが、頭痛とめまいが酷くて目を瞑った。体が熱いし、脱力感も凄まじい。恐らく、長時間に渡って暴風雨に晒されたことによる発熱と、それに伴う魔力の欠乏症が生じている。幼少期を思い出すような、懐かしい感覚だった。
寝床の横に腰を下ろしていたリューズナードが、水の入ったコップを差し出してくる。この家に食器があったことにも驚きつつ、ありがたく頂戴して体内へ流し込んだ。
「意識は、はっきりしているか?」
「はい……。あの、私はどのくらい眠っていたのでしょう? 村は、大丈夫でしたか?」
「明け方に嵐が収まって、今は夕刻だ。村では、畑が冠水していたのと、家も何件か浸水していた。手分けして復興作業にあたっている」
「左様ですか……」
川の氾濫は防げたようだが、大雨による洪水被害は避けられなかったのだろう。改めて、凄まじい嵐だったのだなと痛感する。
「だが、住人は全員無事だった。……この程度で済んだのは、お前のおかげだ」
ロレッタを真っすぐ見詰めてから、リューズナードが深々と頭を下げた。
「村を救ってくれたこと、心から感謝している。本来なら、被害はこんなものでは済まなかったはずだ。人も、村も、どうなっていたか分からない。……魔法国家の人間に、こんなことを言う日が来るとは思わなかったが……本当に、ありがとう」
村に来て最初の日に彼は、魔力の光は敵襲の合図だ、と言っていた。しかし、今はその光に助けられたことを認めて礼を述べている。彼の中で、多少なりとも心境の変化があったのだろうか。
サラが雷を恐れるように、住人たちの中には、水や水魔法を恐れる者もいるのだろうと考えると、胸が痛い。許されたいとも、無理に克服させたいとも思わないけれど、せめて、傷付ける意思のない魔法も存在するのだと信じられるようになる日が来ることを、願うばかりだ。
「……頭をお上げください」
ロレッタは自分の手のひらを見詰めた。
「王族の血を引く者が、膨大な魔力を持って生まれる理由。医学的な解明はされていないそうですが、今回のことで、私はきっと、より多くの人々を守る為に与えられた力なのだと思いました」
王宮に閉じ籠っていたロレッタが、徒に持て余していた力。ずっと使い道が分からずにいたこの力の役割を、ようやく理解できた気がする。
人間と魔法の共存とは、魔法の力で人間の居場所を奪うのではなく、人間には解決できない事象を魔法の力で解決することで成り立つ関係であるべきだ。そうして、全ての人々が分け隔てなく豊かな幸福を享受できる世界を創ることこそ、王族の天命なのだと自覚した。
「私のことも、魔法のことも、まだ信用してはいただけないかもしれません。ですが、いつかまたお役に立てる機会が訪れるようであれば、その時はどうか、遠慮なくお使いくださいね」
頭を上げ、黙って話を聞いてくれていたリューズナードへ向けて、ロレッタはニコリと微笑んだ。敵意がないことを伝えたくて。少しでも安心してほしくて。
思えば、彼の前で笑うのは初めてだった気もするが、自分の下手くそな笑顔はきちんと届いてくれるのだろうか。少し不安になってくる。