第21話
「あなたが今、命をかけてでも守りたいものはなんですか? ご自分の意地なのですか? 村の人々なのではないのですか!?」
「!」
「目的の為ならば、使えるものはなんでも使う。何かを守るには、そのくらいの器量を持ち合わせていなければなりません。そうでしょう?」
「…………」
そう。今必要なのは、過程ではなく結果だ。「村も住人たちも無事だった」という結果だけ。強大な敵を前に、手段を選んでいる暇などない。嫌悪の象徴のような力であっても、どうか使ってほしいのだ。
「……何を偉そうに、知ったようなことを……」
「これでも一応、王女ですから」
「…………そう、だったな」
リューズナードの声から、威圧するような響きが抜け落ちた。
「……どうするつもりだ」
話を聞く気になってくれたらしいリューズナードを見て、ロレッタは密かに安堵する。多少、意固地なところもあるようだが、一番重要な芯の部分は見失わない人物で良かった。
「川の終着点には、海があるはずですよね。海ならば、よほどでない限り増水で災害へ繋がることはないでしょう。なので、この周辺を流れる水に私の魔力を注ぎ込み、海へ転移させます」
「そんなこと、できるのか……?」
「転移先の座標位置が正確に分かっていれば、可能です。ただ、私はこの村と海の位置関係を存じ上げておりません。ですのでどうか、現在地から海までの方角や距離を、私に教えてください」
大陸全体の地図であればすぐに思い出せるが、この村が地図の中のどこに位置しているのかが、ロレッタには分からない。移動の過程で水の国からもだいぶ離れてしまったので、感覚的にも曖昧だ。目測を誤って陸地へ大量の水を送り込めば、取り返しのつかない大災害を引き起こしてしまう。
リューズナードが、思案しながら口を開いた。
「……海はこの村の北東、今のお前の体の向きで考えるなら、右後方四十五度くらいの方角だ。距離は……そうだな、ここから三十キロも離れれば、陸地のない場所に出る」
「今この時間帯に、その地点を船が通過する可能性はありますか?」
「あの辺りは海流が不安定だ。まともな航海士なら航路には選ばない」
「左様ですか。それならば人的な被害は出ませんね。……では、いきます!」
ロレッタは濁った激流へ両腕を差し込み、一気に魔力を放出させた。
水属性特有の青い光を放つ魔力が、手から川の水へと伝わっていく。不透明の濁流がロレッタの周囲のみ青く発光し、やがて、抉り取られたかのような痕跡を残してその場から消え去った。
同時刻。
どの国の領土にも属さない中立の、とある海域。その日は、数日前から崩れ始めた天候に煽られるようにして、一段と波が荒れ狂っていた。船、鳥、海洋生物、何者をも寄せ付けない激しさで暴れ続けている。
その上空に突如、青く輝く光が出現した。実体を持たない光源の中心部で空間に亀裂が入り、轟音と共に多量の濁水が溢れ出す。滝のように流れ落ちていくそれは、あっという間に海面へ到達し、荒波に呑まれて見えなくなっていった。
体温が奪われて寒い。体中を雨で殴られて痛い。強風で呼吸がしづらい。少しでも気を抜けば、体ごと吹き飛ばされてしまいそうだ。けれど、ロレッタは懸命に堪えて深呼吸を繰り返す。魔力の制御を乱さない為に。
河川から海への水の転移は、あくまでも魔力を注ぎ込める範囲内での、局所的な応急処置に過ぎない。現在、ロレッタのいる地点より下流側では水の流れが緩やかになっているが、魔力の解放を止めれば氾濫は再開するだろう。一瞬、その場の水を無くしただけでは意味がないのだ。増水が続く限り、ロレッタも魔力を流して転移させ続ける必要がある。
(魔力の流れを途切れさせては駄目……集中……もっと……!)
増水、すなわち雨がいつ収まるのかは皆目見当が付かない為、ペース配分も難しい。濁流や風雨の圧に負けてしまわないよう、必死で両手に力を込める。
――バキッ! ゴオォ!
どこからか、それほど遠くない場所から、鈍い音が聞こえた。顔を上げると、強風でへし折られたらしい太い木の枝が、ロレッタ目掛けて飛んで来るのが見える。
両腕は使えないし、体も下手に動かせない。魔法のリソースを転移以外の部分に割くわけにもいかない。
(避けられない……!)
強い衝撃を覚悟した、その時、
「伏せていろ」
――ヒュッ、スパン!
頭の上を、一陣の風が滑らかに通り過ぎる。次の瞬間には、ロレッタの腰回りほどもあった太い枝が真っ二つ、どころか、細切れになって四方へ飛んで行くのが見えた。ロレッタにはひと欠けらも届いていない。
愛刀を携えたリューズナードが、隣に立っていた。
「他のことは気にしなくていい。お前が村を守ってくれるのなら、お前のことは俺が守ろう」
ロレッタより上背も厚みもある体が、下から見上げることで一段と大きく映る。外套を纏っていても分かる屈強な体躯。彼の背中を見ていると、言葉の通り「守られている」という実感が強く湧き上がってくる。無数の兵士に囲われるよりも、彼一人の背に匿われるほうが、不思議と安心できる気がした。
(きっと、大丈夫だわ。私は私にできることをしなくては……!)
周囲への警戒をやめて、再び濁流と向き合う。止まってしまっていた深呼吸を再開し、内臓から絞り出すように、ありったけの魔力を注ぎ込んだ。