第74話
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ロレッタたちを乗せた馬車が炎の国を出立してから間もなく。壁に背を預けて座っていたリューズナードが、静かに寝息を立て始めた。溜まりに溜まった疲労が限界を超えたらしい。馬車の揺れを物ともせず、驚異的な体幹で以って束の間の休息を堪能している。
かく言うロレッタも他人事ではなく、先ほどからうつらうつらと舟を漕いでいた。これまでのことやこれからのことを、シルヴィアたちと話し合っておくべきだと理解しているものの、襲い来る睡魔が邪魔をする。
ロレッタたちと共に原石の村から炎の国まで徒歩で移動し、その後もほぼ一日中走り回っていたフェリクスは、ロレッタとリューズナードが王宮で戦っている間に幾らかの仮眠を摂ったそうだ。疲労は色濃く残っているだろうけれども、せめて炎の国の国境を離れるまではと、現在も馬車の操縦を頑張ってくれている。
話をしようとしても呂律が回らず、定期的に目蓋も下りてしまうロレッタに、シルヴィアが「休んでもらって大丈夫ですよ」と毛布を渡してくれた。申し訳ないと思いつつ、ロレッタは厚意に甘えて毛布を受け取った。
次にロレッタが目を覚ましたのは、随分と日が高くなってからだった。馬車の揺れは完全に収まっており、周囲にはシルヴィアの母親の姿しかない。眠たい目を擦りながら、懸命に状況の把握を試みる。
すると、馬車の出入口からリューズナードが乗り込んで来た。
「ロレッタ、起きたか」
「……はい……」
体の大きな彼が乗り降りをすると、それだけで馬車は少し揺れる。ロレッタは片手を床に着けてバランスを取った。頭をぶつけないよう屈みながら移動して来たリューズナードが、ロレッタの隣に腰を下ろす。
「今はおおよそ、昼前だ。馬の飯を食わせる為に休憩を摂っている」
「左様、ですか……」
「……平気か? 原石の村まではまだ距離がある。休んでいて構わないぞ」
そう言って、ロレッタに水筒を差し出してくる。炎の国へ向かうにあたり、ロレッタが持参していたものだ。新たに水を汲んできてくれたらしい。受け取って少しだけ水を流し込むと、空っぽの消化器官を上から下へ真っ直ぐ突き抜けて落ちてゆくような感覚があった。程よい冷たさも心地好い。二口、三口と続けると、慌て過ぎたのか軽く噎せてしまった。
「ありがとうございます。あの、リューズナードさんはお休みにならないのですか?」
ロレッタも未だ酷い倦怠感を覚えているが、ロレッタ以上の運動量だった上に、祖国の地を踏んだ精神的な疲労も凄まじかったであろうリューズナードのほうこそ、休まなくて平気なのだろうか。一応尋ねてみるも、返ってきたのは予想通りの言葉だった。
「俺は十分休んだから平気だ。何かあった時、戦える奴がいないと困るだろう。周囲の警戒は俺に任せて、お前は休め」
「…………」
調子を尋ねたところで、彼が「平気だ」としか言わないことは分かっていた。ロレッタから見ても、他の仲間たちから見ても、彼はそういう人間である。目の下に痛々しいほどくっきり隈ができていることにも気付いていないのだろうと思う。
彼のこの特性は、きっと口で言ったところですぐには直らない。それならばと、ロレッタは強硬手段に打って出る。シルヴィアに借りていた毛布を、半分ほどリューズナードの体にも被せてやった。
「おい、なんだ」
「申し訳ありませんが、あと少しだけ共に居ていただけませんか? 一人になると、王宮で貴方と離れ離れになった時のことを思い出し、怖くなってしまうのです。私が再び眠れるまでの間のみで構いませんので、どうかお願い致します」
「っ…………」
リューズナードが口を結んで押し黙る。何か言いた気ではあったものの、結局、その口から反論と取れる言葉が出力されることはなかった。諦めたように溜め息を吐き、腰元から刀を外して横に置いてくれる。
それからしばらく、会話らしい会話もしないまま寛いでいると、やがてリューズナードの首がガクッと曲がった。本人はすぐに目を開き、眉間に皺を寄せて睡魔に抗っている様子である。ロレッタは、幼い子供を寝かし付けるかのように、右手で彼の肩を優しく叩いた。
「……ロレッタ……?」
「今は眠りましょう。貴方が倒れてしまったら、私も原石の村の皆様も悲しいのです」
「ん……」
「おやすみなさい、リューズナードさん。良い夢を」
「…………うん」
心許ない返事を残し、リューズナードは眠りへ誘われていった。彼の寝顔を見られる機会は、そう多くない。少しの間眺めていたが、そのうちロレッタもまた眠たくなってきてしまった。
リューズナードが悪夢に魘されないよう祈りながら、彼の手に自分の手を重ね合わせる。そうして、彼の体に寄り掛かる体勢を作ると、ロレッタも再び意識を手放したのだった。
「……あの二人って、本当に夫婦だったのね……」
「な! 俺も初めて見た時ビックリした。家に居る時なんか、花束渡したりしてたんだぜ」
「え、素敵! いいな~」
「……シルヴィアも、花とか貰ったら嬉しいの?」
「え? うん、嬉しいと思うよ」
「へえ……」
「?」
一つの毛布を分け合い、寄り添いながら眠るロレッタたちの姿を覗き見て、フェリクスとシルヴィアがこんな会話をしていたことを、もちろんロレッタたちは知らない。