第71話
王宮の中は騒然としていた。元々、ロレッタたちが侵入を試みた時点で騒然としてはいたものの、当時のそれと現在とでは、少し様子が違う気がする。
廊下で出会す兵士たちが、真っ直ぐこちらへ向かって来ないのだ。攻撃を仕掛けてくる兵士がいる一方で、逡巡の末にロレッタたちの駆ける道を迂回して行く兵士たちもいる。炎の国へ来たばかりの頃と比べて、敵の目的意識が統一されていないように見受けられた。
ロレッタのペースに合わせて先導してくれているリューズナードに尋ねてみれば、彼は普段と変わらぬ口調で淡々と答えた。
「ああ。お前の居た祭事の間へ辿り着くまでの間に、向かって来た奴全員に『国王を殺した』と触れ回ったからな。今頃、事実確認や対応に追われているんだろう」
改めて突き付けられた事実に、ロレッタは小さく息を呑む。
「……リューズナードさん、その……本当に、国王陛下のことを……?」
「さっきから、そう言っている。俺はその為にここへ来たんだ」
「さ、左様ですか……」
彼はかつて戦場に身を置いていた戦士だが、手当たり次第に他者を殺める殺人鬼ではない。今回の一連の行動にも、彼の中には確固たる理由があり、必要だと判断したから実行に移したのだろう。尋ねれば、それらをきちんと説明してくれるはずだ。
一方、ロレッタは自分の言動を説明できる自信が持てずにいた。王宮へ乗り込むと告げたリューズナードについて来たのは、彼を止めたかったからなのか、国王の殺害に加担したかったからなのか、胸を張って答えることができない。対話という手段に思い至ったのも、偶然レオンと接触した為である。もしもリューズナードとはぐれることなく共に国王と対峙していたら、果たして自分はどうしていたのだろうか。
自身の意志を持たず、ただ流されるまま生きる世間知らず。そんな自分に、彼の行いを批難する資格などありはしない。
「……これから、炎の国はどうなるのでしょうか?」
「さあな。興味がない。なるようになるだろう」
「…………」
君主を亡くした国家がどのような変遷を辿るのか、ロレッタは知らない。ただ、王の崩御や代替わりが国にとっての一大事であることくらいは想像がつく。これからすぐに次代の王を立て、国民に衆知し、その王が目指す新たな国作りが始まるのだろう。目まぐるしく移ろう時間の中で、いつしか先代の王は歴史の一部と成り果てる。
ふと、病床の身になって久しい父の姿が浮かんだ。他人事ではないのかも知れない、と想像しかけて、ロレッタは慌てて首を振った。
手薄くなった追手を躱し、どうにか王宮の玄関扉まで辿り着く。リューズナードが体当たりするような勢いで扉を開くと、その先には生々しい戦闘の痕跡が広がっていた。
闇に沈んだ庭園一帯に、焼け焦げたような臭いと、血液の臭いとが混ざった不快な空気が漂っている。本来はさぞ美しく咲き誇っていたのだろう草花たちは、焼かれ、切られ、踏み躙られ、蹴散らされ、無惨な姿になっていた。その上に、気絶していると思われる兵士たちが点々と転がっているのも見える。
この庭園を突っ切って正門を潜れば、街へ戻ることができる。今のところ、庭園で待ち構える兵士の姿はない。
しかし、その正門の向こう側、王宮の敷地の外にぼんやり赤い魔力の光が浮いているのが見えて、リューズナードが進む足を止めた。
「正門から出て来たところを狙い撃ちする算段なのかも知れないな。広い庭園で戦うよりも、的が絞りやすい」
「なるほど……。それでは、また戦闘になるのですね」
「その可能性が高い。……少しだけ、息を整えてから行くか」
「はい」
ロレッタもリューズナードも、すっかり肩で息をしている。ロレッタに関しては、もはや立っているのもつらいが、これ以上彼の足を引っ張るわけにはいかないと、気力のみで己を奮い立たせている状態だ。彼の提案を快諾し、二人で庭園の端へと移動した。
敷地を囲うアイアンフェンスに背中を預け、揃って地面に腰を下ろす。一日中、ほとんど休みなく動き回った疲労感が、一気に押し寄せて来るようだった。リューズナードも、周囲を警戒しつつ少しぼんやりしているように見える。
「この後は、王都の街へ戻るのですよね?」
「ああ。フェリクスたちと合流して、すぐに炎の国を出る。また長旅になるが、平気か?」
「はい。共に居させてください」
「……ん」
リューズナードの目を見てはっきり答えると、彼はどこか安心したような表情で小さく頷いた。その表情は原石の村に居る時によく見るものだったが、だからこそ、返り血を吸い込んだ衣服の異常さが際立っていた。抱き合ったせいか、ロレッタの衣服にも赤が移っている。
「この姿のまま合流したのでは、フェリクスさんたちが驚いてしまうかも知れませんね……。応急処置をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「? ……構わないが」
「ありがとうございます。それでは、失礼しますね」
ロレッタは深呼吸を挟むと、自分と彼の衣服に水の魔力を染み込ませて汚れを浮かせ、その水を空中で霧散させた。薄っすら赤いシミが残ってしまっているものの、先ほどまでと比べれば物騒な見た目ではなくなったように思う。
リューズナードが感心したように呟いた。
「……便利なものだな」
「使い方次第です。ああ、ですが、普段のお洗濯はきちんと手洗いや天日干しをしておりますよ。やはりそちらのほうが綺麗に仕上がりますので」
「そうか。いつも、ありがとう」
「いえ、お気になさらず」
およそ敵地でするには相応しくない日常会話が、ロレッタの肩に入っていた力を抜いてくれた。リューズナードの隣は息がしやすい。彼にも同じだけのものを与えてあげられるようになりたいと強く思う。