第70話
「…………」
リューズナードが、ロレッタに向けていた視線をレオンへ移した。信頼と困惑、嫌悪と懐疑。いくつもの感情を乗せ、彼の瞳が揺れている。
原石の村を守る為に対峙するべきは、あくまで国王陛下のツェーザルだ。この場でレオンに手を下しても、ツェーザルの意思が揺らがなければ状況は変わらない。そして、話を聞いた限り、レオンの安否がツェーザルの意思に影響を及ぼすとも考えににくい。
かつて炎の国の兵士として戦い、王族とも面識のあるリューズナードであれば、その辺りの事情も理解しているだろうと思う。それでもレオンを斬ると言うなら、もはや私怨の域である。他者に対してそこまで強い嫌悪を抱いた経験のないロレッタでは、彼のその感情に寄り添うことはできないかもしれないけれど、暗い感情に呑み込まれてほしくは――。
「俺が今ここであいつを斬ったら、お前は困るのか?」
ぐるぐる考え込んでいたところで、リューズナードから質問を一つ投げかけられた。彼の視線はロレッタのほうへと戻っている。
「……はい? ……私が、ですか……?」
「ん」
何故そんなことを尋ねてきたのか分からないが、訊かれたのだから答えなければならない。不思議に思いつつも、ロレッタは再び考え始める。彼がレオンを斬ったなら、自分は困るのだろうか。
原石の村に身を置く彼が炎の国の王太子を手にかけた場合、原石の村には炎の国からの報復を受ける理由ができてしまう。親子としての情の有無は関係ない。ただ「王太子を外の人間に殺された」という事実さえあれば、ツェーザルは躊躇なく制裁に動くはずだ。危険な実験に巻き込むだとか、人質を取ってリューズナードを働かせるだとか、恐ろしい想像がいくらでもできる。兵士を差し向けられるだけならどうとでもなると本人は言い張っていたが、他の住人たちは心穏やかに暮らすことなどできなくなるだろう。皆がつらい思いをするのは、ロレッタだって嫌だ。
その上、水の国の王女たるロレッタがレオンの処分を黙認したとなると、水の国と炎の国との国際問題に発展しかねない。元々が友好的な関係ではなく、頻繁に戦争を繰り返してきたような間柄なのだから、今さら外交的な部分に気を揉む必要はないのかもしれない。しかし、だからこそ、自分の行いを引き金としてどんな方向に事態が進んでしまうのかが、ロレッタには予測できなかった。ともかく、故郷の人々に迷惑をかけるようなことは避けたいところである。
世間知らずの浅知恵ではあるものの、総合的に考えると、たぶん困る気がする。
「ええと、そうですね……。後々、困ってしまう可能性はあるかと思います」
「……………………そうか。分かった」
何一つ腑に落ちていなさそうな表情で、リューズナードが呟いた。手にしていた愛刀を軽く振って鮮血を払い、鞘に納めてゆく。戦う意思がなくなったのだろうか。
「あの、よろしいのですか?」
「……お前の嫌がることはしない。だが、お前はもっと、人を疑うことを覚えたほうが良い。世の中は、お前の尺度で測れる善人ばかりじゃないぞ」
「は、はい。肝に銘じます」
どうやら、ロレッタの意思を尊重することを選んでくれたらしい。ロレッタは胸を撫で下ろした。小言も貰ってしまったが、しっかりと咀嚼して考えるのは、心身共に回復してからにしようと決める。
渋い顔をしたリューズナードが、これまでよりも少しだけ声を張って話し始めた。
「おい」
「!!」
明確な敵意を宿した声色に、思わず肩が竦む。たとえ自分に向けられたものではなくとも、怖いものは怖い。慣れることはなさそうだ。
その声色を向けられたのだろうレオンも、自分が話しかけられたことを悟ったようだった。ロレッタの比ではないほど震え上がっている。
「お前の父親は、俺が殺した」
「え……!?」
先に声を上げてしまったのはロレッタだ。レオンの父親と言えば、もちろんこの国の王である。首を刎ね飛ばすと宣言していたが、まさか本当に実行してきたと言うのか。彼の衣服が赤黒く染まっているのも、国王と死闘を繰り広げた証ということなのか。
原石の村に危害を及ぼそうとしていた国王陛下を、原石の村の人間が手にかけた場合、炎の国との関係はどうなるのだろう。やはり報復されてしまうのか、何かしら違う反応が起きるのか。ロレッタにはもう分からなくて、それ以上口を挟めなくなった。
レオンの体の震えが、ピタリと止まる。やがて少しの間を空けてから、ゆっくりと振り向いた。
「…………え?」
その顔に、他者へ対する過剰な怯えは見えなかった。恐怖より驚愕が勝ったらしい。突然告げられた父の訃報に、ただ目を丸くしている。
「聞こえなかったか? お前の父親は、俺が殺した。俺の仲間たちに危害を加えようとしたからだ。同じ思想を持っているなら、お前も斬る。答えろ。お前に、原石の村を攻撃する意思はあるか」
レオンはしばらく静止していたが、やがて我に返ったのか、千切れそうな勢いで首を横に振った。
「なな、ない、です……!」
「ロレッタを騙す魂胆は」
「ないです!」
「その言葉、違えるなよ。どちらか片方でも反故にしてみろ。お前がどこに居ても、必ず見つけ出して斬りに行くからな」
「ひいぃぃ……!!」
再び、レオンが体を丸めて縮こまる。もはや会話を続けるのも難しそうだ。ロレッタが恐る恐る視線を戻すと、いくらか普段の柔らかさを取り戻したリューズナードと目が合った。
「……もうこの国に用はない。帰るぞ。動けるか?」
「は、はい……」
頭の整理が追い付かないロレッタは、手を引かれるまま、リューズナードと共に祭事の間を後にした。