第69話
二人はしばらくそうしていたが、ふと、リューズナードが動く気配がした。ロレッタの肩口にうずめていた顔を上げ、その向こう側へと目を向ける。
「…………あ?」
「ヒッ!?」
もはや振り向かずとも、レオンが怯えたのが分かる。彼はずっとそこに居たわけだが、リューズナードは今初めて気が付いたらしい。ロレッタしか見えていなかったようだ。
名残惜しそうにロレッタの体を解放すると、リューズナードはゆらりと立ち上がり、愛刀を握り直した。瞳に殺気が戻っている。その視線が射抜くのは無論、この国の王太子殿下だ。
ロレッタは慌てて立ち上がった。両腕を横に伸ばしてリューズナードの行く手を塞ぐ。体格にも筋力にも露骨な差がある為、いくらでも躱す手段はあったのだろうけれど、彼は律儀に止まってくれた。
「少し離れていてくれ」
「なりません。落ち着いてください」
「何故、庇う? 炎の国の王族だぞ」
「存じております。ですが、レオン様に戦う意思はありません」
「あいつの意思なんて、知るか。俺はあいつを信用できない」
「え……」
どうして、と尋ねようとした口を、ロレッタは既のところで閉ざした。疲労で鈍った脳を無理やり回転させ、記憶を辿る。
七年前、リューズナードはウイルスに罹患してしまった妹を助けてほしいと直談判しに、この王宮へ赴いたらしい。治癒魔法や蘇生魔法を得意としているのはレオンなので、実質彼はレオンに会いに来た、ということになる。しかし嘆願は受け入れられず、最終的にはレオンの父であるツェーザルの指示で彼自身も命の危機に晒されたのだと聞いた。
その際、彼はレオンに直接会うことはできたのか。そもそも、彼とレオンは面識があったのか。その辺りの仔細までは聞き及んでいなかったが、どうやら顔見知りではありそうだ。レオン個人を嫌っている様子がありありと見て取れる。
背後から物音がして振り向けば、顔面蒼白となったレオンが壁際へ駆けて行くのが見えた。遮蔽物になりそうな物は先ほど、自らの魔法でほとんど焼き払ってしまっていた為、身を隠せる場所がない。全身を返り血で彩った剣士を前に、なんとか命だけでも守り通そうと、震えながら小さく蹲っている。
互いに友好的とは言えない態度の二人。両者の間に挟まれたロレッタは、これまでに見聞きした双方の気持ちや立場を反芻しながら、改めてリューズナードに向き直った。
「……レオン様は、捕虜となった私に危害を加えることをせず、また対話にも応じる姿勢を示してくださいました。こちらの対応次第では、敵対以外の関係を築ける可能性があります」
「対話? 誰かの指示がなければ、まともに動けないような奴だぞ。話すだけ時間の無駄だ」
「僭越ながら、私は、そうは思いません。先ほどいくらか言葉を交わした中で、レオン様は物事を客観的に捉えて思考できる方だと感じました。王族としてのお立場も、私よりよほど正しく理解されていらっしゃいます。我々にはない知見をお持ちのレオン様に協力を仰げたなら、武力制圧以外の道を見つけられるやも知れません」
レオンに指摘された通り、ロレッタたちが採った手段は、炎の国へ戦争を仕掛けたと言われても反論できないものだった。最初にリューズナードから作戦を提案された際は、ロレッタ自身も水の国の危機を知って余裕を無くしており、そうするしかないのだと判断してしまった。けれども、本当は他の手段もあったのではないかと、今さらになって気付かされたのだ。
己の武力のみでずっと仲間たちを守ってきたリューズナードのやり方を否定するつもりはないが、必要な時に別のやり方を提案して共に吟味できることも、彼を支える上で重要な能力なのではないだろうか。
――お前にできないことは俺がやってやる。だから、俺にできないことはお前がやってくれ。
以前、そう告げられたことを思い出す。
彼がレオンを信用できないと言うのなら、自分はレオンを信用し、手を取り合える道を作ろう。それが、自分なりの守り方であり、妻としての役割であると信じて。ロレッタは両手に力を込めた。
「……お前があいつとどんな会話をしたのか知らないが、俺は……っ」
リューズナードは変わらず難色を示している。彼にとって、この国の王族は忌まわしい記憶の象徴とも呼べる存在なので、当然の反応なのだろう。ただ、少し葛藤しているように見えるのは、ロレッタの意思に歩み寄ろうとしてくれている証だ。優しい人だと、つくづく思う。
優しい彼の手を、これ以上汚させたくはなかった。
「あくまでも、私個人の交流関係に留め、リューズナードさんにご負担をかける真似はしないよう努めます。どうか、私を信じてこの場は収めていただけないでしょうか?」