第63話
「~~っ!!」
ツェーザル自身の腕力は然程でもないが、それを補う剣の質量によって、リューズナードの体が仰向けに薙ぎ倒される。背中に走った激痛に歯を食いしばった。咄嗟に刀を握り込み、なんとか武器を手放すことだけは回避する。
目を開けば、眼前に青い半透明の障壁が映り込んだ。薄っすらとヒビが入っているように見えて、息を呑む。障壁の破損が、攻撃を受け続けたことによる耐久力の低下の為なのか、ロレッタの身に何かが起きていることを示唆しているのか、魔法の挙動に明るくないリューズナードには、判断できない。
体勢を立て直すのが遅れてしまったその隙に、障壁のヒビ割れた箇所へ、巨大な両手剣の切っ先が勢いよく突き立てられた。破壊こそされないものの、ミシミシと心許ない音を上げている。
「なるほど、頑丈ですね。表舞台に出ることのない第二王女も、最低限の魔法は習得しているということですか。人質か供物にするくらいしか用途はないものかと思っていましたが……使い方次第で、他にも役に立てられそうだ」
「……あ゛あ?」
自分の頭に一瞬で血が上ったのを感じた。怒り任せに振り上げた足を、ツェーザルが身を引いて躱す。体を跳ね起こし、再び刀を構えながら敵を睨んだ。ふらつく足にも力を込める。
第二王女、人質、供物。不愉快極まりない単語の羅列が癪に障った。人質も大概だが、殊更に引っ掛かりを覚えたのはその後である。
「供物だ? あいつを殺す気でいたのか!?」
腹立たしくはあるが、人質ならばまだ理解はできる。何せ、敵国の王女の身柄だ。戦争中であることも踏まえ、かなり有用な交渉手段となり得るだろう。しかし、殺してしまったのでは意味がない。亡骸となった彼女の体を、一体何に捧げようと言うのか。
憤るリューズナードを、ツェーザルが見下すように嗤う。
「水の国の王は、『家族ができた』などという理由で前線を退くような、軟派な男ですからね。変わり果てた姿の娘を届けてやれば、正気を失うのは目に見えている。暴れ回って自国を破壊するも良し、その場で自決を選ぶも良し。どちらを採っても、水の国陥落の決定打となるでしょう。残された第一王女独りで、どこまで国を守ることができるのか、見ものです」
「…………」
「第二王女をここまで連れて来てくれたこと、私はお前に感謝するべきなのかも知れませんね」
「…………」
人質として捕らえられたのなら、少なくとも殺されることはないだろうと思っていた。しかし、その死に意味があるとなれば、目の前の男は躊躇いなく彼女を殺める。そういう人物だ。
水の国の陥落には、もちろん猛毒を詰めた化学兵器も使われるのだろう。その兵器の制作過程における実験に、原石の村が巻き込まれる。その上で、国王を発狂させる為に娘のロレッタをあっさり葬るのだと言う。人を人とも思わない、鬼畜のような所業。
妹だけでは飽き足らず、自分から何もかもを奪おうとするこの男が、もはや人間に見えなくなってきた。話が通じる気がしない。分かり合える気がしない。ならば、どうするか。リューズナードの瞳に、仄暗い光が灯る。
(こいつだけは、今ここで殺さないと駄目だ……)
特定の誰かに、これほど強烈な殺意を抱いたのは初めてだった。この感情が、フェリクスたちの掲げていた復讐と、果たしてどれだけ違うものなのか。境界線が分からなくなってゆく。
怒りと殺意に呑まれる今の自分をロレッタが見たら、きっとまた怖がるようになるのだろう。「傍に置いてほしい」だなんて、二度と言ってくれなくなるのかも知れない。
敵の返り血を浴びる度、自分が彼女と釣り合わない存在であることを、改めて突き付けられるような心地がしていた。生きているだけでどんどん汚れてゆく醜い自分と、どんな場所に在っても綺麗で高貴な一国の王女。最初から、並び立てる要素なんてどこにもなかったのだ。
それでも、ここで止まることは選ばない。炎の国に居た頃から今でもずっと、リューズナードの奥底に根付く気持ちは変わっていないのだから。
自分はどうなっても構わない。たとえどれだけ汚れても、命を落としても、仲間に失望されても、ロレッタに忌避されても。大切な人たちが無事に明日を生きられるなら、それで良い。その為ならば、この身などいくらでもくれてやる。「守る」だなんて高潔な意志の下ではなく、復讐にも似たシンプルな「殺意」で敵を排除してみせる。
この人でなしを道連れに、地獄の底まで落ちてやろうじゃないか。