第61話
虚空を彷徨っていたレオンの視線が、突然ロレッタへと向けられた。
「……そうだ。僕は、言い付けを守って、良い子にしていなくちゃいけないんだ……。だ、だから、貴女をここから出さないし、場合によっては、こ、殺します……っ」
幼い頃に巣食った呪いが彼の体を突き動かしているらしい。独り言とも、宣言とも取れるその言葉に、ロレッタは驚く。
「こ、殺す……? 私は、人質なのではないのですか?」
「知りません。でも、陛下の命令があれば、この場で、殺します…………そう、言われているので……」
自分の身柄など、人質にするくらいしか利用価値はない。ロレッタはそう理解している。だからこそ、手荒に扱われる可能性はあっても、命を取られる可能性まではないだろうと思っていた。生きていなければ、人質として利用することはできないはずだ。ロレッタを殺めることで、何か炎の国に利益が生まれるケースがあるのだろうか。
どれだけ考えても分からない。それに、レオン自身も「知らない」と言った。知らされていないし、本人も知ろうとしていないのかもしれない。尋ねても答えは得られないのだろう。
(何も知らないのに、どうしてそんなことができるの……?)
心臓がキリキリ痛む。人質の監視くらいならともかく、人を殺めるのは相当だ。実の親からは愛されていた自覚があるロレッタに、親を恐れてそこまでしようとするレオンの気持ちは、汲み取れそうになかった。
「……左様ですか」
ただ、他人事だと割り切って突き放すことも、できそうにない。
「それでは、それらについて殿下は……レオン様は、どうお考えなのでしょうか?」
「……え?」
姉の言いなりになって生きていくものだと諦観していたロレッタを、リューズナードや原石の村の人々が変えてくれた。自分の目で見て、自分の手で触れて、自分の頭で考えて行動することの大切さを学んだ。
「お父様の言い付けに無条件で従い、ご自身で人を殺めること、騎士団の皆様を永遠に戦わせ続けること、罪のない人々に犠牲を強いること。それらについて、レオン様はどうお考えですか? ご自身やお父様の行いを、正しいものであると信じていらっしゃいますか?」
「そ、そんなの……分からない、です。国を動かすのに、僕の意思なんて、必要ないから……。僕はただ、父さんの言い付けを守って、皆の邪魔にならないようにして、良い子にしていれば、それで良いんです! そうすれば、怒られない、から……」
レオンにも、そんな出会いがあったなら。不遜で身勝手な押し付けだと分かってはいるけれど、そう思ってしまったのだ。放っておけなくなった、と表すのが近い気がする。
「はい。そのご意見が間違えているとは思いません。ただ、貴方様には、他にも選べる道があるのだということを、心に留めておいていただきたいのです」
「え、選べる、道……?」
レオンは他の誰にも劣らない突出した能力の持ち主だ。その力を以て、全身全霊で抗ったなら、自身の環境を変えられる可能性は十分にある。これまでとは違う一歩を踏み出す勇気さえ持つことができれば、きっと。
「……何を、言っているんですか……? ……! こ、来ないでください!」
ロレッタが再びレオンの元へ向かって歩き出すと、先ほどよりもやや大きな火炎弾が飛んで来た。魔力の乱れが見られるそれが、祭事の間の美しい床と絨毯を焼滅させる。煙を吸わないよう腕で顔の下半分を覆いながら、ロレッタは進んだ。
「たとえ国政にご意思を反映させる余地がなかったとしても、レオン様の人生においては、その限りではないはずです。ご自分の歩まれる道は、ご自分で決めて良いのですよ。お父様の言い付けが全てではありません」
「来ないで! ……そ、そんなの、僕は知らない……分かんないよ……!!」
レオンが両手で頭を抱えて叫ぶ。次の瞬間、彼の体を起点に凄まじい爆炎が巻き起こった。ソファも、絵画も、シャンデリアも、次々飲み込まれてゆく。
ロレッタはすぐさま水魔法での応戦を試みた。しかし、広範囲に広がる爆炎の全てを消し去ることは、万全でない今の状態では難しい。また魔力の質や量で押し負けてしまう。だから、ひとまず自分の周りだけを囲う球状の障壁へと切り替えた。範囲が限定的な分、魔力の密度が高くなり、なんとかレオンの魔法も相殺できている。
一歩進む度、焼けるような熱が襲い掛かってくる。それでも、ロレッタは足を止めなかった。
「貴方様はもっと、外の世界を知るべきかと思います。広大な世界へ出て、見聞を広め、ご自分の成したいことを考えてはみませんか?」
「僕は、僕、は……っ! そ、そんなの、分かんない。僕には、できないよぉ……!」
レオンに近付くほど、爆炎の威力が上がってゆく。障壁がビリビリと揺れ動き、今にも砕けてしまいそうだ。でも、あともう少し。
「……できますよ。私も今、この身を以て学んでいるところなのです」
かつて、リューズナードがロレッタにしてくれたように。ロレッタは、怯えるレオンへ向けて自分の右手を差し出した。
「一緒に、頑張ってみませんか?」
力強く背中を押したり、腕を掴んで引っ張り上げたりするような大層な真似は、未熟な自分にはまだできない。けれど、せめて横に並んで励まし合うような関係性を築けたら、と心から思う。王族の末裔に生まれた人間同士、通ずる部分もあるはずだ。
彼の中の怯えを解きたくて、笑顔を作った。熱さやら、疲労やらで、不格好に歪んでしまっていたかもしれないが、精一杯の気持ちを乗せた。
頭を抱えて蹲っていたレオンが、恐る恐る目線を上げた。まだ少し距離はあったものの、確実に自身へ向けられているロレッタの手と笑顔を、黙って眺めている。ロレッタもそれ以上は言葉を重ねず、彼の返答を待った。
やがて、レオンがおずおずと口を開いた。
「………………僕、は…………僕に、何か、できることがあるのでしょうか……」
「まだ、分かりません。ですが、ご興味がおありでしたら、ぜひ探しに参りましょう」
彼を包む炎魔法の威力が、下がった。
「僕……良い子にしていなくても、良いの……?」
「ふふふ。悪い子になっても、レオン様はレオン様です」
「…………」
レオンは変わらず蹲っている。右手は側頭部を抑え、左手はいつの間にか心臓を強く握っていた。自分の中の何かと葛藤しているのだろうか。
浅くなっていた呼吸を取り戻すかのように、レオンが大きく息を吸って、吐き出す。同じことを一度、二度と繰り返し、三度目のそれを終えた時、部屋全体にまで延焼していた爆炎が、フッと跡形もなく消え去った。
「!」
障壁をあらゆる角度から圧迫していた魔法がなくなり、身が軽くなったのを感じる。同時に、ついに魔力の限界が訪れて、自分が放出していた全ての魔法を維持できなくなってしまった。兵士たちを囲っていた青い檻が、バリンと割れて消失してゆく。ロレッタもその場にへたり込んだ。
首を曲げて後方を確認すれば、爆炎と共に、部屋の出入り口を覆っていた炎も消えていた。これでリューズナードの所へ駆けて行ける。しかし、足に力が入らない。魔力も、体力も、底を尽きかけている。
どうしたものかと悩み始めた、その時。レオンと兵士たちの体が、赤く輝き出した。体に仕込まれた蘇生魔法が発動するのだろうか。けれど、彼らは絶命などしていないはず。動けないロレッタは、目を丸くしながら眺めているしかできない。
赤い光は、やがて各々の体を離れて宙へと浮かび上がり、パン! と弾けて消えた。