第60話
ロレッタのその問いに、レオンが硬直する。はっきりとは確認できないが、苦しそうに肩で息をしているようにも見えた。呼吸が浅くなっているし、変わらず顔色も悪い。
誰かのこんな反応を、つい最近、どこかで目にした気がする。返答がないのを良いことに、ロレッタは自分の中の漠然とした既視感の正体を探った。目の前にある何かを恐れているというより、その奥に広がる暗い幻影に呑まれているような、その様子は。
(……ああ、リューズナードさんだわ……)
炎の国を目指して進んでいた最中、遠目に街を見たリューズナードが、正に現在のレオンのような反応を示していたのだ。あの時彼は、余計なことを思い出した、と言っていた。故郷で暮らしていた頃の、「もう殺してほしい」と願ってしまいたくなるような、凄惨な記憶。当事者ではないロレッタでさえ、聞いただけで悲しくて、苦しくて、堪らなかった。
ただ、リューズナードのそれは、大陸全土に深く根付いた差別意識に由来するものである。強力な魔法が使えて、王族という地位まで持っているレオンに、同じ理由は適用されない。ならば、レオンを苦しめるものは一体なんなのか。
他人の心の深いところへ、不躾に踏み込んでしまっているのかもしれない。自分の浅はかさに気付いたロレッタが、次の言葉に迷っていると、レオンが服の上から自身の心臓を握ったのが見えた。
「……父さんは、悪くない……」
「え?」
「他の皆も、悪くない。僕が、悪いんです…………ちゃんと、言い付け通りにできないから、良い子じゃないから、だから皆、怒るんだ。すみません、すみません、すみません……っ!」
そう言って震え出した彼の瞳に、きっともうロレッタは映っていない。歳の割に随分と幼い言い回しの独白も、ロレッタに向けられたものではない。謝罪の言葉は、「父さん」と「皆」に向けられたものなのだろう。けれども、どうして謝っているのかが分からない。
「……殿下は、何か悪いことをなさったのですか?」
恐る恐る尋ねてみる。
ロレッタの知る限りでは、彼の「父さん」であるツェーザル国王陛下のほうが、よほど悪いことをしているように思う。凄まじい数の死者を出したウイルス兵器の漏洩事件を国民に隠蔽し、その兵器で他国の陥落を目論み、さらには全く関係のない原石の村の人々を実験に巻き込もうとまでしているのだから。
そんな人間が誰かを叱ること、そしてレオンが縮こまって謝罪すること。それらに正当性はあるのだろうか。
「……分からない……でも、僕が悪い…………だって、父さんも、皆も、『お前が悪い』って言って怒るんだ……僕が悪いって、怒鳴って、叩いて、蹴って、刺して、斬って、燃やして……! ……だから、きっと、僕が悪いんです。僕が悪い子だから、父さんたちが、また怒る……っ」
「……!」
ロレッタの背筋を嫌悪感が這いずった。
青年と呼んで差し支えない年頃のレオンが、自身を「悪い子」と称して怯えている。それはつまり、彼は幼い頃からずっと同じ環境に身を置いてきた、ということなのではないだろうか。理由も根拠も明かされぬまま、ただ自身を「悪い子」だと、「何をされても仕方のない立場」だと、そう刷り込まれ続けてきたのではないだろうか。
彼の言う「父さん」はツェーザル国王陛下だとして、「皆」は誰を指しているのか。これまでの兵士たちとのやり取りを見るに、恐らくは騎士団の面々だ。もしかすると、王宮仕えの侍従も含まれているのかもしれない。彼の周りに居た大人全般が、年端もいかない王子の自尊心を粉々に砕いたのだ。反抗する、という選択肢が思い浮かばなくなるほどに。
王太子殿下の肩書きを持つ人間を冷遇して良い理由など、本来ならば存在しない。役立たずのロレッタでさえ、王宮では最低限の礼節を守った扱いをされていた。しかし、他でもないその国の王が率先して悪辣な態度を取っていたのなら、下の人間もそれに倣うしかなくなる。レオンに手を差し伸べることは、ツェーザルの意に背くことになりかねないのだから。