第13話
時計がないので正確な時刻は分からなかったが、空の明るさや太陽の位置を鑑みるに、まだ朝も早い時間帯なのだろうとは思う。しかし、住人たちは大人も子供も関係なく、皆が一様に活動を開始していた。友好的に挨拶してくれる人々に返事をしつつ、邪魔にならないよう注意して道の端を進む。
そうして歩くこと、数分。ロレッタは昨日覚えたネイキスたちの家に、再びやって来た。子供が攫われ、並々ならない不安や恐怖を感じていただろうサラへ、謝罪と説明をする為に。
「ロレッタお姉ちゃんだ! おはよう!」
「れーたん! おはよ!」
「おはようございます。あの、お母様はいらっしゃいますか?」
「母さん? 家にいるよ! こっち!」
「こっち!」
元気いっぱいな子供たちに手を引かれ、玄関の内側へと案内される。掃除の行き届いた室内では、サラが足を崩した状態で針仕事に勤しんでいた。子供サイズの服に空いた穴を縫い合わせている最中のようだ。
「母さん、ロレッタお姉ちゃんが用事だって!」
「れーたん、よーじ!」
「そんなに大声を出さなくても聞こえているわよ、まったく……。おはよう、ロレッタちゃん。うるさくてごめんなさいね。何かあった?」
「おはようございます。私のほうこそ、朝から突然押しかけてしまい、申し訳ありません。少々、お話ししたいことがありまして……」
「……そう。どうぞ、上がって」
「お邪魔致します」
玄関でしっかりと頭を下げてから、靴を脱いで中へ入った。間取りはリューズナードの自宅とそれほど変わらないが、敷地面積はこちらのほうが広い気がする。子供たちが走り回ることを想定して建てられたのかもしれない。
椅子もソファもない室内で、客人としてはどこに陣取るのが正しいのかを逡巡し、ゆっくり話ができるようにと、サラの正面に腰を下ろす。珍しい来客に子供たちも興味津々のようだったが、母親に外へ出ているよう促され、すごすごと退散して行った。後で一緒に遊んであげられたら、と思う。
何かを察して難しい顔をしているサラに、ロレッタは水の国での出来事を包み隠さず説明した。自分が水の国の王女であること、政治の実権を握る姉がネイキスを交渉の材料に利用したこと、リューズナードが村とネイキスを守る為に膝を折ったこと、その証としてロレッタとの婚姻を言い渡されたこと。
自分の子供が関わる話なのだから、サラはずっと気になっていたのだと思う。けれど、どれだけ言葉を選んで説明しても、最後には彼女が息子や自分を責める気持ちを抱いてしまうだろうことは想像に難くない。だからきっと、リューズナードも説明を渋っていたのだ。
サラの気持ちも、リューズナードの気持ちも、理解できる。その上でロレッタは、真相を隠したままにしておくのは違うように感じた。何も知らされず、いたずらに不安を募らせるよりも、きちんと知って考えるという選択肢を与えられたほうが、サラもいくらか気持ちの整理がしやすくなるのではないか、と。
話をしている間、サラの顔からは完全に血の気が引いており、終わる頃には目に涙が浮かんでいた。微かに鼻をすする音も聞こえる。
「……そんな、ことが……っ」
渦巻く感情を言葉にできないでいる彼女へ向けて、ロレッタは額を床につける勢いで深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
サラが目を見開く。
「……どうして、あなたが……貴女様が謝罪なさるのですか、王女殿下」
「おやめください。私はすでに、王族の姓を剥奪された身。敬う言葉など不要です。……私はこれまで、『第二王女』という肩書きに甘えて、政治のことも、王宮の外で生きる人々のことも、何も知ろうとしてこなかった。有り余る時間で知識を蓄え、姉に進言を聞き入れてもらえる程度の立場を確立できていれば、今回のようなことも未然に防げていたかもしれないのに、何ひとつ行動を起こさなかったのです。その結果、あなたのことも、ネイキス君のことも、リューズナードさんのことも、深く傷付けてしまいました。恨んでいただいて構いません。許されたいとも思っていません。ただ……申し訳ありませんでした」
ミランダとリューズナードが、なんの話をしていたのか、まるで分からなかった。そして、分からないのだから、自分が知る必要はないことなのだと決め付けた。無知で世間知らずの自覚はあったものの、それに罪の意識を抱いたことがなかったのだ。
知っていたら、ミランダの横暴を止められた可能性はある。もっと穏便な別の手段を提案することが、できたかもしれない。国王たる父が病床に伏せている今、それができたのは自分だけだったのに。
姉の行いが罪なのだとしたら、止めずに見過ごした自分も立派な共犯者だ。ネイキスとサラの涙の原因も、リューズナードの人生の一部が狂ってしまった原因も、その一端は自分にあることを深く刻まなければならない。
「……頭を、上げて」
静かな声でサラが言った。恐る恐る従うと、彼女は泣いているような、微かに笑っているような、不思議な表情でロレッタを見ていた。
「王族が頭を下げているところなんて、初めて見たわ。それも、こんな……魔法も使えないような非人相手に」
「そのようなことを、仰らないで下さい! 魔法の有無など関係ありません。私も、あなたも、対等な一人の人間です!」
反射的に叫んでしまったその言葉に、今度こそサラの瞳から涙が零れた。
「人間……そう、だったのね…………私たち、ちゃんと人間なのね……」
「っ……! はい、もちろんです……!」
一体どれだけの傷を受ければ、そんな言葉が出るようになるのか。想像するだけで身の引き裂かれるような思いがする。
膨大な魔力を宿して生まれたロレッタに、本当の意味でこの村の人々の心に寄り添うことは、できないのかもしれない。けれど、せめて、自分がこの村の人々の平穏を願っていることだけは、伝わってほしいと思った。