第50話
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研究室の外、渡り廊下、階段、エントランス、そして敷地内のアプローチ。あらゆる地点で待ち構えている兵士たちを悉く蹴散らして、ロレッタたちは研究施設を脱出した。言うに及ばず、敵を蹴散らしたのは全てリューズナードであり、ロレッタは自分とフェリクス、シルヴィアを障壁で囲い、流れ弾の着弾をひたすら防いだのみである。
必要であれば、可能な範囲で彼の援護もするつもりでいたものの、できなかった。余計な手出しなど許されない、鬼気迫る雰囲気が漂っていた。後ろで見ているだけでも伝わるほど、リューズナードが激昂していたのだ。
敵を視認するや否や、自身の危険も顧みずに飛び掛かって行く。水の国で複数の兵士たちを相手取った際は、もっと敵の攻撃や陣形を見ながら冷静に戦っていたように思う。しかし、先ほどの彼からそんな様子は見受けられなかった。ただ真っ直ぐ突っ込んで、ひたすら暴れ回っていた。フェリクスとシルヴィアが、ひどく怯えた様子で彼を見ていた。
炎の国の王が原石の村へ危害を加えるつもりでいる。そう聞いた瞬間に宿った強すぎるほどの怒りが、建物を離れた今もまだ、彼の瞳から消え去っていない。返り血を存分に浴びた愛刀を引っ提げ、荒い息を吐いている。
ロレッタとリューズナードは今、施設襲撃前に身を潜めた物陰へ、再び戻って来ていた。研究施設の入り口では、侵入者の捜索や怪我人の搬送、被害状況の確認などで、人が目まぐるしく行き来している。
フェリクスとシルヴィアは、先にシルヴィアの自宅へ向かわせた。研究室で話していた通り、国を脱出する準備を整えさせる為だ。
リューズナードから「お前も一緒に行け」と言われたが、ロレッタはそれを拒否してこの場に留まっている。とても冷静とは思えない今の彼を、一人で戦地へ送り出すことなどしたくない。その一心だった。
「……リューズナードさん、少々、お気を静めてはいただけませんか?」
「俺は冷静だ。それより、お前も早くここを離れろ。さっきも言っただろう」
「大変失礼ですが、とても冷静とは思えません。お一人で王宮へ出向いたとして、一体どうなさるおつもりなのですか」
「国王の首を落とす。それだけだ」
「…………」
一般兵が相手なら、単独の侵攻でも問題ないかもしれない。リューズナードは七年前にも似たことをやってのけた実績がある。しかし、王族が標的となれば話は別だ。聞いた限りでは、炎の国を離れた当時も、彼は王族とは戦っていない。炎の国の王族が戦闘に向いていないという話も何度か聞いたが、それでも勝てる保証はないのである。
(あまり、このような言い方はしたくなったのだけれど……)
一度立ち止まってもらう為に、ロレッタは意を決して訴えた。
「……水の国へいらした際に、ご自分でも仰っていたではありませんか。お一人では、王族には勝てない、と」
「……!」
「それなのに、お一人で立ち向かうと主張するのは、冷静さを欠いた言動のように思います」
「……何が言いたい」
リューズナードの不機嫌が強まった気がした。頭に血が上っていたところに、さらに自身の力不足を指摘され、怒気が増してしまったのかもしれない。
決して責めたいわけではなく、一人で無茶をしようとするのをやめてほしいのだと伝えたくて、彼の左手を自分の両手でしっかりと握った。
「私をお使いください」
なんだか、過去にも似たようなやり取りをしたことがあったなと思い返す。あれは確か、原石の村の付近を通過しようとした雷の国の兵を、リューズナードが単独で迎撃した際の会話だったか。あの時も、今も、やはり彼の中では「誰かを頼る」という選択肢がなかなか浮上しないらしい。何度でも伝え続ける覚悟はある。
「王族に対抗するのなら、王族の力が要るはずです。私も共に戦わせてください」
「っ……俺は、お前を戦力と見込んで連れて来たわけじゃない。これ以上巻き込むのは……」
「巻き込まれてなどおりません。全て、私の意思です。私が、貴方や原石の村の皆様のお役に立ちたいのです。……どうか、お傍に置いてはいただけませんか?」
真っ直ぐ彼の瞳を見詰めて、ぎゅっ、と手に力を込める。
リューズナードが閉口した。ロレッタを見て、しばらく口元をもごもごさせていたが、やがて大きな溜め息を吐く。
「……その言い方、やめろ。拒絶しづらい」
そう語る彼の声音からは、先ほどまでの怒気がいくらか抜け落ちていた。普段と比べればまだ強張ってはいるものの、話が通じそうな雰囲気はある。ロレッタは静かに安堵した。
「お前、俺が相手でも遠慮なく言い返してくるようになったな」
「自分の気持ちは口に出さなければ伝わらないのだと、原石の村での生活の中で学びました。……ご不快でしたか?」
「いや、構わない。おかげで力が抜けた。……俺を守ることよりも、自分を守ることを優先してくれ。あと、危険を感じたら迷わず逃げろ。いいな?」
「はい! 共に戦い、共に帰りましょう」
「ああ」
リューズナードの左手が、ロレッタの手を握り返してきた。信用してもらえたのだろうか。彼の体を、心を、何者からも守るのだと強く誓った。