第12話
ロレッタがリューズナードの家に戻ったのは、日が沈んで辺りが薄暗く染まった頃だった。村人たちから贈られた、毎日の着替えや外出に困らない量の服と靴、そしてそれらを収納しておく為の箱を抱えて、なんとか扉を開く。中に家主の姿はない。
スイッチ一つで点灯する照明などあるはずもなく、ロレッタは薄暗い室内を、目を凝らして慎重に歩いた。床板がギシリと不安定な音を立てる。壁際までたどり着き、ひとまず荷物を降ろした。
ようやく暗闇に目が慣れてくると、昼間に見た寝床とは別に、寝具がもう一式置いてあることに気が付く。その横には、片手に収まるサイズの石、綿や木屑、薄い木の板、油の乗った皿、木枠に紙を張った器のような物、それから書類で見たのと同じ筆跡で記された「勝手に使え」という簡素な置き手紙が並べられていた。どうやらロレッタが触って良い物らしい。しかし、
(これは……恐らく照明器具、よね? どうやって使うのかしら……)
火を起こす為の物であることは察したものの、肝心の使い方がさっぱり分からない。考えている間にも時は流れ、闇が深くなっていく。
仕方がないので、完全に何も見えなくなる前に、と、ロレッタは寝具を広げて早々に眠ってしまうことを選んだ。ベッド以外で就寝するのは初めての経験だったが、長旅と慣れないことばかりで疲弊していた体は、構わず深い眠りへと誘われていった。
翌日。差し込む日光と鳥のさえずりに起こされたロレッタは、ぼんやりと辺りを見回して、そう言えばここは故郷ではないのだったと思い至る。天蓋付きのベッドも、上質なパジャマや履物もないし、部屋の入口で控える付き人もいない。生まれて初めて迎える一人きりの朝に、なんとも言えない感慨を覚えた。
結局、昨夜はロレッタが眠りに付くまで、リューズナードは帰って来なかった。そして今も姿は見えない。さすがに就寝時は戻っていたのだと思いたいが、そうなると彼は、ロレッタよりも後に眠り、ロレッタよりも先に起きて出て行ったことになる。これが彼の日常なのか、ロレッタと顔を合わせたくなかったのか、判断できない。
ひとまず体を起こしたロレッタは、軽く伸びをしてから、顔を洗うべく台所の前に立った。しかし、改めて設備を見て愕然とする。水を出す為の蛇口が見当たらないのだ。流し台と思われるスペースには、底の浅い木の入れ物と、水の入った桶が並んでいるだけ。果たしてこれは、本当に流し台なのだろうか。そこから懐疑的になってしまい、勝手に使用するのが躊躇われた。
迷った末、仕方なく一度家の外に出て、周囲に誰も人がいないこと確認をしてから、自身の魔力で生成した水で顔を洗う。得意としているのが水属性の魔法で良かったと、心から安堵した瞬間だった。
少しさっぱりしたところで、再び家の中へと戻り、住人たちに貰った服を取り出した。シンプルな無地の布に簡単な刺繍があしらわれた、手作り感溢れるデザインだ。村の女性陣は皆、似たような衣服を着用していた気がする。繊細で上品なドレスも好きだが、この素朴な可愛らしさもまた、違った趣があってすぐに気に入った。
実際に着替えてみると、驚くほど軽くて動きやすい。そして、村の一員になれた気がするのも嬉しかった。その気持ちに気が付くのと同時に、本当に王族の一員ではなくなったのだという実感も沸いてきて、言い表せない複雑な感情に襲われる。血縁関係を重要視する王族社会において、姓を剥奪された自分は、もう完全に見向きもされない存在へと成り果てたのだ。
そうだとしたら、今ここにいる自分は、一体何者なのだろうか。生家の姓を名乗ることも許されず、かく言う伴侶にその存在を必要とされているわけでもない。環境が変わっても、居場所がないのは同じ。進歩のない自分に嫌気が差してくる。
気持ちが沈みかけた時、ふとリューズナードの言葉を思い出した。
――だから俺たちは、生まれた国を捨てて、自分たちが心穏やかに暮らせる居場所を、皆で作った。
(……そうだわ。自分の居場所は、自分で作るもの……!)
与えられるのをひたすら待つのは、もうやめよう。自分にできることを、自分のやりたいことを、探しに行ってみよう。たった一歩を踏み出せば、その先には広い世界が広がっているのだから。
決意を新たに、ロレッタは家屋の扉を潜り抜けた。