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Gemstone  作者: 粂原
第4章 開戦
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第27話

 リューズナードが大人しくカップを受け取り、中身を一気に煽る。鮮度の高い冷水というわけではないけれど、それでも彼の喉はゴクゴクと小気味の良い音を立てた。本人の意思に関わらず、体は水分を欲していたらしい。


 間もなく水を飲み終えた彼が、小さく呟いた。


「……悪いな。起こしたか」


「私のことは、お気になさらず。ご気分はいかがでしょうか?」


「なんともない。……少し、夢見が悪かっただけだ」


「夢、ですか」


 あれほどリューズナードを苦しめた夢が、果たしてどんな内容だったのか。気にならないと言えば嘘になる。しかし、先刻の様子を鑑みるに、これはきっと彼の心の奥深くに根差した問題だ。まだまだ付き合いの浅い自分如きが、軽率に踏み込んで良いラインではない。


 かける言葉を見つけられず、ロレッタは俯いた。戦場で背中を守ることもできないし、心の支えになることもできない。就寝前にも感じた途方もない無力感がぶり返してくる。出会ってからこれまで、自分は彼に一体何をしてあげられただろう。


「何故、お前が暗い顔をする? 気に障ることを言ったか?」


「い、いえ! そのようなことはありません……」


「言っておくが、俺が(うな)されていたのを気に病む必要はないぞ。たまに、昔のことを夢にみるんだ。最近はあまりみていなかったから、油断していた。珍しくもなんともない」


 ロレッタが気付いたのは今回が初めてだったものの、今までにも似たようなことはあったようだ。俯いたロレッタを心配してくれているらしいが、フォローの仕方が下手で、聞けば聞くほど不安が募っていく。


「昔のこと……?」


「…………炎の国(ルベライト)に居た頃のことだ」


「!」


 原石の村(ジェムストーン)の住人たちの中に残る祖国での記憶が、綺麗な思い出のはずがない。リューズナードも、もちろんその一人。夢にまでみて魘されるなんて、よっぽどだ。ここ数日、何かと炎の国(ルベライト)の話題に触れていた為、触発されてしまったのかもしれない。


 沈黙が辺りを包む。炉火の弾ける音が、やけに大きく響いている気がした。薄っすらと、外で雨が降る音も聴こえる。


 やがて、先に口を開いたのはリューズナードだった。


「なあ、ロレッタ」


「は、はい。なんでしょう?」


「俺が炎の国(ルベライト)に居た頃の話……聞いてくれないか」


「え……」


 彼の瞳が、真っ直ぐに見詰めてくる。ただ、普段のような意思の強さは感じられず、どこか不安気に揺れている気がした。


「出立する前に、自分の中でいろいろと整理をつけておきたいんだ。言葉にして吐き出せば、少しは軽くなる気がする」


「それは、その……お話を伺う相手が私でも、よろしいのですか?」


「ああ。お前には、俺のことをちゃんと知っていてほしい」


「……!」


「決して気分の良い内容ではないからな。無理強いはできないが……」


 以前ロレッタが、リューズナードのことを本人ではなくウェルナーに尋ねたのは、まだ踏み込んだ話ができるほどの関係値を築けていなかった為である。ロレッタの中にはリューズナードに対して萎縮する感覚が残っていたし、リューズナードも軽々しく口を開きそうな雰囲気ではなかった。


 それが今、こうして自ら口を開こうとしている。彼のほうから、ロレッタに歩み寄ろうとしてくれているのだ。ここで突き放してしまえば、彼はもう二度とこの話をすることはなくなるのだろう。


 深い話をするのには、勇気が要る。気持ちを踏み躙るような真似はしたくない。本人が許してくれるのなら、彼の内側に触れたい。


「……いいえ。リューズナードさんがよろしいのであれば、お聞かせ願えませんか?」


 己の緊張を押し殺し、可能な限り優しい声音で応える。リューズナードは、ほっとしたように表情を和らげ、「ありがとう」と零した。


 月と炉火の明かり、そして微かな雨音に包まれた部屋で、リューズナードは訥々(とつとつ)と、自身の過去を語り始めた。




 家族のこと、仲間たちとの出会い、騎士団での扱い、疫病の蔓延、妹との別れ、炎の国(ルベライト)からの脱出、そして原石の村(ジェムストーン)の創設。


 話の大枠は一度、ウェルナーから聞いていた為、心の準備はできているつもりでいた。しかし、以前聞いた話は、やはりウェルナー自身が見聞きし、把握できていた範囲の様子のみなのである。リューズナード本人から語られるそれは、また一段と壮絶で、ロレッタは胸が締め付けられる思いがした。


 言葉を選び、何度もつっかえながら、懸命に話してくれたリューズナード。布団の上に乗った両手は、終始薄っぺらい布地を握り締めていた。触れたわけではないけれど、あの手は冷たく凍えているのではないかと思う。


 溢れて止まらない涙を拭っていると、その様子に気付いたリューズナードが、申し訳なさそうな顔をした。


「……嫌な話を聞かせたな。付き合わせて、悪かった」


 その言葉を聞いたロレッタは、堪らない気持ちになって彼の頭を自分の胸元へ抱き寄せた。


「!? ……ロレッタ……?」


 動揺した声が上がる。


 自身の歩んできた人生を「嫌な話」なんて言葉でまとめた上に、勇気を出して語ったことを謝るような真似は、しないでほしい。こんな言葉が出るのは、彼の中にも少なからず自身を卑下する気持ちがあるからなのだろう。


 リューズナードが過ごしてきた時間の全てに、今さらロレッタが寄り添うことはできないけれど、せめてここに居る彼のことは肯定してあげたいと思った。


「……頑張りましたね」


「!」


「今まで、たくさん、たくさん、頑張ってきたのですね」


 こんな稚拙な言葉しか浮かばない自分が厭わしい。それでも、ロレッタは精一杯の気持ちを込めた。


「お話ししてくださって、ありがとうございます。それから……生きることを諦めないでいてくれて、ありがとう……っ」


 改めて、自分とリューズナードの出会いは奇跡だったのだと思い知る。どこかで何かが少しでも違えていたら、こんな瞬間は永遠に訪れなかった。


 行き場を失くしていたリューズナードの両腕が、縋り付くように、ロレッタの背に回される。


「……俺が、生きてこられたのは、皆のお陰なんだ」


「はい」


「だから俺も、皆の、力になりたくて……」


「はい」


「でも俺は、戦うことしか、できないから……っ。だから、皆と居る為に、戦わなくちゃいけなくて……」


「……それは違うと思います。皆様はただ、貴方のことが好きだから、一緒に居たいだけなのですよ」


「……好、き……?」


「はい。例え貴方に戦う力が無かったとしても、皆様の接し方は何一つ変わりません。もちろん、私もです」


「っ……ロレッタ……!」


「はい」


 胸元がじんわり温かい。水を吸って重くなっている感覚がある。彼の頭部にも、ロレッタの瞳から溢れた雫が滴り落ちてしまっているので、お互い様だ。


「……リューズナードさん。炎の国(ルベライト)、一緒に行かせてください。そのような顔をした貴方を放っておけるようなのであれば、私に、貴方のお傍に居る資格などありません。……私にも、貴方を守らせていただきたいのです」


「…………」


 長い長い沈黙。


 やがて、外の雨音に掻き消されてしまいそうな声で、「……うん」と返ってきた。

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