第26話
フェリクスが避難所へと戻るのを見送った後、村周辺の見回りへ出ると立ち上がったリューズナードを、ロレッタは引き留めた。
「私も、炎の国へ同行させてください」
炎の国へ向かうのが確定事項となった以上、出発は少しでも早いほうが良い。あまり悠長にしていると、水の国と炎の国の戦争が激化し、取り返しのつかない被害が出てしまう。
原石の村から水の国までは、馬の足でおよそ三日。炎の国騎士団は昨日の日暮れ時点で村の付近を通過していたはずなので、本日分を差し引いて、あと二日もすれば騎馬兵が国境付近の街までたどり着く。
一方、二人によると、原石の村から炎の国の王都までは、急げば三日もかからないそうだ。水の国での開戦には間に合わないものの、傷が浅いうちに手を打てるかもしれない。戦争については、フェリクスには関係のない事情だが、彼も追手に捕まる前に行動しなければならない為、明日にはもう出発する方向で話がまとまったのだった。
「断る」
緊張しながら伝えた申し出に、リューズナードが難色を示す。
「何故でしょうか?」
「むしろ、なんの為について来る気でいるんだ。お前、対人戦闘なんてできないだろう。人間を抱えて走る体力があるわけでもないだろうし、ただ危ない目に遭うだけだと思うが」
「お姉様と対峙した時のように、直接戦うことはできなくとも、貴方をサポートすることくらいはできるかと思います。水の国を助けることに繋がるのなら、私もお力添えしたいのです」
「必要ない。俺一人で十分だ」
「ですが……」
「俺のサポートを、と言うなら、ここで待っていてくれ。意地でも生き延びて、帰りたいと思える家を守っていてほしい。頼んだぞ。……この話は、これで終いだ。今日は、俺の分の飯の支度は要らないから、先に休め。行ってきます」
「お待ちください、リューズナードさん!」
取り付く島もなく、リューズナードはさっさと家を出て行ってしまった。
彼が同行を拒むのは、ロレッタの身を案じてのことだろうと思う。そう言えば、祖国ではミランダが出した帰還命令をグレイグが握り潰しているのだと聞いた。ロレッタを戦争の脅威から遠ざける為に。
守られてばかりで何もできない自分が、心底嫌になる。途方もない無力感に呑み込まれそうになり、心臓の辺りを強く掴んだ。
悲しみを堪えて床に着いたロレッタが、次に目を覚ましたのは真夜中だった。昼間、仮眠を摂ったせいで、おかしな時間に目覚めてしまったようだ。
一寸先も見渡せない闇の中を、窓から差し込む淡い月明かりが暴き出す。不自由な視界の端に、リューズナードが布団に身を横たえているシルエットが映った。彼が寝ているということは、かなり深い時間なのだろう。
再度就寝するべく、ギュッと目を閉じる。今日は早起きしなければならない。彼が村を出てしまう前にもう一度、同行を願い出るのだ。起床が遅れると、目覚めた時にはすでに出発した後……なんてことになりかねない。
ロレッタが必死になって意識を飛ばそうとしていた、その時。
「う…………ぐ、ぅ……っ」
(……?)
微かに、けれど確かに、男性の声が聴こえた。この家に居る男性はリューズナード一人のはずなので、声の主も彼なのだろう。まさか話しかけられたわけでもないだろうから、いびきや寝言の類か。ならば、あまり気にする必要はない。一時はそう感じたロレッタだったが。
「ぅぅ……ぅあ、ぁぁ……!」
「! ……リューズナードさん……?」
低く呻くような、苦悶に喘ぐような声が、ロレッタの意識を覚醒させた。明らかに、魘されている。気だるい体を跳ね起こし、慌てて彼の元へと向かう。
懸命に目を凝らして様子を窺えば、リューズナードは異様なほど汗を掻き、布団の下で大きな体を縮こまらせているようだった。食いしばった歯の奥からは、不明瞭な音が不規則に漏れ出ている。
異常事態であると判断したロレッタは、囲炉裏に火を点けて明かりを確保し、申し訳なく思いながらもリューズナードの体を揺すった。
「リューズナードさん、起きてください、リューズナードさん……!」
命にかかわる体調不良でないことを祈りつつ、何度も声をかけた。囲炉裏の熱と焦りが入り交じり、ロレッタの額にも汗が伝う。
どれくらい経った頃だろうか。突然、苦し気な声が途切れた。強く閉じられた目蓋が震え、徐々に持ち上がっていく。
「ぅ……あ……?」
「! リューズナードさん、大丈夫ですか!? 私のことが分かりますか!?」
「…………」
焦点の定まらない瞳が、ゆらゆら揺れ動く。光源に背を向けている為、眩し過ぎるということはないと思うが、どれだけの視覚情報を獲得できているのかは不明である。
やがて、体の向きはそのままに、首だけがゆっくりとロレッタのほうを向いた。
「……ろれった……?」
聞いたこともないような頼りない声で名前を呼ばれる。前のめりに返事をすると、リューズナードは何度か瞬きを繰り返し、一つ大きな深呼吸をしてから、のそのそ上半身を起こした。
起床直後だと言うのに、肩で息をしている。相変わらず、汗も凄い。ひとまず水分を摂ったほうが良いかと考え、カップに水を汲んで差し出したところ、彼はなんとも不思議そうな顔をした。
「大丈夫ですか?」
「……? 何がだ?」
「え、あの、ひどく魘されていたようでしたので……」
「は……?」
どうやら、自分の状態がよく分かっていないらしい。しばらくキョトンとしていたが、次第に息苦しいことを自覚し、額の汗を乱暴に拭って、不快そうに眉を顰めた。