第25話
「あの……今朝話してから、いろいろ考えてたんですけど……」
少しの間もごもごしていたが、やがてフェリクスは意を決したように頭を下げた。
「シルヴィアと彼女の母親を、この村で安全に暮らさせてあげてもらえませんか」
炎の国への復讐を果たして生涯追われる身となるか、復讐心を捨てて平穏な生活を求めるか。突き付けられた二択に対して、本人なりの答えを出したようだ。
「騎士団の連中が俺を探してるんですよね? じゃあ、最初から実行犯は俺一人だった、ってことにして、俺は自力で逃げるなり自首するなりします。でも、その前に、シルヴィアたちを炎の国から逃がすのだけ、手伝ってもらえませんか。お願いします……!」
軽薄な嘘を並べていた時とは違う、真摯な声音。心からの言葉なのだろう。
少年の後頭部を見下ろすリューズナードは、どこか険しい顔をしている。
「俺は、復讐を諦めろと言ったはずだが。返事は?」
「う…………は、はい……」
「はっきりと、言葉にしろ。お前が復讐を決行すれば、炎の国は本格的にお前の捜索に乗り出すだろう。そうなれば、すでに協力しているお前の仲間もいずれ共犯者として名前が挙がり、最後には道連れになる。安全な暮らしをさせてやりたいなら、下手な真似はするな」
「っ……! ……分かり、ました。復讐は、諦めます……」
「そのシルヴィアという奴も、炎の国を恨んでいると言ったな。そっちは納得させられるのか?」
「……母親の安全の為だと言えば、説得できると思います。あいつは、自分を必死に育ててくれた母親のことが、大好きだから」
「そうか。…………分かった」
黙考の後、リューズナードの眉間に刻まれていた皺が取れた。フェリクスが恐る恐る顔を上げる。
「あ、あの……?」
「偶然だが、俺も炎の国へ行く用事がある。ついでに助けてやっても良い」
「! 本当ですか!?」
「ああ。ただ、俺はお前の仲間の顔を知らないし、お前の名前を出したところで信用されるとも限らない。だから、お前はついて来い。あまり時間がないからな、今度は倒れてもそのまま担いで連行するぞ」
「あ、それは大丈夫です、たぶん。来る時は、なるべく急がなくちゃと思って、夜通し走ってたらダウンした、ってだけなんで……。常識的なペースで進んでもらえれば、問題なくついて行けると思います。よろしくお願いします!」
フェリクスが表情を輝かせる。リューズナードは呆れ顔だが、ともかく話はまとまったらしい。
ロレッタは、以前教えてもらった原石の村と周辺諸国との位置関係を思い浮かべた。
この村では移動手段の確保が難しいので、移動は基本、徒歩になる。水の国までは馬の足でも三日はかかる為、徒歩だとかなりの長旅だ。ロレッタも帰郷を企てた際は事前の旅支度を整えるのに苦労した。というか、整えられなかった。
一方、地図上の目測ではあるが、炎の国までは徒歩で向かえそうな距離だったように思う。そもそも原石の村は、炎の国から逃げ出した面々が、徒歩移動で可能な限り国との距離を取った場所に創っていたはずである。リューズナード以外の人間の基準でも、徒歩圏内と言って良い。
加えて、まだ子供と呼べる年齢であろうフェリクスを連れて行くのだから、リューズナードもある程度ペースは調整するのだろう。それならば、体力面に不安を抱えるロレッタであっても、頑張ればついて行けるはず。
炎の国の研究施設を襲撃し、騎士団とも戦闘を行う。そして恐らく、その帰りにフェリクスの仲間たちを連れ出して国を脱出する。この作戦のうち、自分が役に立てるとしたら一体どこか。ぐるぐると思案を重ねる。
そんなロレッタの様子に勘付くこともなく、フェリクスが別の話題を切り出した。少年の視線は、ロレッタが持つ花束へと向けられているようだ。
「あ、そう言えば……俺、さっき他の人たちに聞くまでちゃんと分かってなかったんですけど……お二人って、夫婦だったんですね?」
「え」
改めて、明確に関係性の名前を挙げられると、まだ少し緊張してしまう。順序が滅茶苦茶だったせいで、「結婚した」という実感が薄いのかもしれない。
しかし、もう一人の当事者であるリューズナードは平然と、当たり前のような態度で答えていた。
「だったら、なんだ」
「いや……その、魔法が使える人と、使えない人が結婚して、上手くやっていけるものなのかなー……と思って」
「俺たちの事情なんて、お前に関係ないだろ」
「それはそうなんですけど、そうじゃなくて……」
「?」
続きを言い淀むフェリクス。リューズナードは訝し気な目をしているものの、ロレッタは察しがついてしまった。
(きっと、シルヴィアさんのことが好きなのね)
祖国への復讐という悲願があったから生きられたと言ったが、彼女の為なら、その人生を懸けた悲願をも諦めるという決断ができる。共通の目的を目指す同士だけではない、それ以上の特別な感情も抱えているようだ。
男性であるフェリクスは魔法が使えなくて、女性であるシルヴィアは魔法が使えるらしい。ロレッタたちと同じだ。人と関わるにあたり、ロレッタは魔法使用の有無など気にしたことはなかったが、使えないことで迫害されてきた人々にとっては違うのかもしれない。
それならば、そんなものは些末な問題でしかないのだと、フェリクスにもリューズナードにも伝えたいと思った。
「……私は、この村の皆様と共に生活できることも、リューズナードさんのお傍に置いていただけることも、心から嬉しいと感じております。ですのでどうか、フェリクスさんと、フェリクスさんの大切な方が、共に穏やかな時間を過ごせる日が来ることを、私に祈らせてください」
「…………」
不格好な花束を抱き締める。ロレッタの大切な人がくれたこの花束には、もちろん魔力なんて欠片も宿っていない。金銭的な価値もない。けれど、ロレッタはこれが良いのだ。彼と共に過ごす穏やかな時間、その象徴のようなこれが、他の何よりもロレッタの心を温めてくれる。
フェリクスは、狼狽えたような様子でいた。魔法が使える人間の言葉を信用するには、まだ時間がかかるかもしれないが、少しでも届いてくれれば嬉しい。
「……おい、『置いていただける』ってなんだ。それだと、俺が仕方なくお前を居候させてやってるみたいだろ」
隣から、不機嫌を隠そうともしないリューズナードの声が飛んで来た。ロレッタも狼狽えてしまう。
「え、あの……実際、そのような側面もあるのかと……」
「ふざけるな。俺が自分の意思でお前を連れ戻しに行ったこと、忘れたのか? ……お前のほうこそ、もう勝手に出て行くような真似はしないでほしい。すごく、嫌だった」
「は、はい。以後、気を付けます……?」
「ん」
怒っているのか、頼んでいるのか、拗ねているのか、リューズナードの機嫌は相変わらず判別が難しい。自分の応答が合っているのかもよく分からなかったが、ひとまず納得はしてくれたようなので、正しかったと思うことにした。
一連のやり取りを眺めていたフェリクスが、「リューズナードさんって、そんな顔できるんですね……」と、驚愕混じりに呟いた。