33:解放への戦い
龍化したルキアン様と少年は、互いに床を蹴って飛んだ。そして激しく体当たりする。その際に黒龍のほうは鋭い爪でルキアン様を切りつけようとしたが、ルキアン様はギリギリで躱し、長い尾で黒龍の腹を叩いた。黒龍は壁際へと吹っ飛ばされ、ガラガラと轟音を立てて石壁が崩れていく。
黒龍は石壁の残骸からすぐに体を起こすと、再び舞い上がる。今度はルキアン様の体に鋭い爪でガッチリと掴みかかり、そのまま大きな口を開けて、矢じりのように尖った牙でルキアン様に噛みつこうとした。
「ルキアン様……!」
「心配するな、シェリ。大丈夫だ!」
ルキアン様は龍気で竜巻を呼び寄せると、容赦なく黒龍へぶつけた。
床に叩きつけられた黒龍は、口から血を吐き出す。
「……ぐぅっ、……なかなか、やるじゃないか」
「というか、お前、馬鹿正直に力押しで戦おうとしているな? もしかすると、龍気の使い方を知らんのではないか?」
「ははは……。私は生まれたばかりの時に生贄にされたせいで、皇族として育てられたことなどなかったからな。龍気の正しい使い方など、知るものかっ!!」
黒龍は再び飛び上がり、ルキアン様の体を石壁へと押し付ける。力任せの攻撃ではあるが、龍気の使い方を知らずとも相手は龍化した龍族である。その力は非常に強く、石壁にどんどん亀裂が入り、石が剥がれ落ちていく。ついには高いドーム状の天井にまで亀裂が広がった。
さすがのルキアン様でも純粋な力比べとなると拮抗してしまい、逃げ場がなかった。
「ルキアン様、このまま地下牢で戦っていては生き埋めになってしまいます!」
「それもそうだな。一度地上に出るか」
ルキアン様の紅い瞳がより一層明るく光ったかと思えば、――ドッドーン!! と天井に大きな音が鳴り響いた。地下牢ごと地中が激しく揺れる。
「一体なにをなされたのですか、ルキアン様!?」
「この上空に雷雲を呼んで、雷を一発落とした。天井が崩壊するぞ」
「お前たちは馬鹿なのか? それでは結局お前たちが生き埋めになるんじゃないか? 私は結局黒魔導の一部だから、生き埋めにされても復活するぞ?」
黒龍の呆れた声に、ルキアン様が一笑する。
「俺は皇太子として色々な稽古をつけてもらっているからな。脱出くらいたやすい。それに床を見てみろ。お前の本体も無事では済まないぞ」
二人が戦っていた影響で、広い空間はかなりめちゃくちゃになっていた。
床がえぐれて魔導の紋様が壊れ、石壁に設置されていた松明があちらこちらに飛び散り、その一つが祭壇のところまで転がっていた。
炎はすでに子羊の頭部に燃え移り、嫌な臭いを漂わせながら、呪いを浄化させていく。
その様子にようやく気が付いた黒龍は、紅い瞳を丸くさせた。
そしてそのまま、大きな口を開けて笑う。
「ハハハハハ! そうか! 私はもうすぐ解放されるのか!」
ドーム状の天井に穴が開き、崩壊が始まった。
ボロボロと落ちてくる大小さまざまの岩を除けて、開いた穴に向かってルキアン様が飛んでいく。黒龍もルキアン様を追って、地上へと脱出した。
地上では激しい雨が降っていた。ルキアン様が呼んだ雷雲のせいだろう。わたしはルキアン様の龍気に守られているから、叩きつけてくる大粒の雨や冷たい風からも無事だが、白銀城は大嵐に見舞われていた。
上空からだと、地上に開いた穴がどんどん大きく広がって、一帯が陥没していく様がハッキリと見えた。あの黒い石碑も地下へと落下していく。
白銀城の人々は、突然やって来た大嵐のために城内を走り回ったり、屋敷の窓から外の様子を窺おうとしているのが見える。落雷の瞬間を目撃した人もいるようだ。龍化したルキアン様のお姿に、目を丸くしている人もいた。
騎乗した衛兵たちの集団もこちらに近付いており、その先頭にはクローブさんの姿があった。
クローブさんは上空に舞い上がったルキアン様の姿を見つけて、指を差し、なにかを叫んでいるみたいだ。この距離では聞き取ることは難しいけれど。
「私は最期まで戦わねばならん。そう命じられているからな」
「そうか。分かった。掛かってこい」
ルキアン様と黒龍はさらに上空へと昇り、雷雲の中を泳いでいく。激しい風雨と稲妻の光景が過ぎると、晴れ渡った夜空が広がっていた。雷雲が途切れた場所からは皇都が見渡せた。まだ灯りの点る家々のお陰で、地上に広がる星のように綺麗だった。
「……なんて美しい光景なんだ。こんなに心震わせる光景を初めて見た。……そうか、私は初めて白銀城の外へと出られたのだな」
黒龍の姿は尻尾のほうから透明になり始めていた。きっと祭壇はすでに炎に飲まれているのだろう。彼はもうすぐ浄化され、この世から消えてしまうのだ。
彼はとても清々しい表情をしていた。彼にとって消失は解放であり、救いなのだ。
「……幽霊さん、今までとても楽しかったです」
「私に今までずっと菓子を強奪されていたくせにか?」
「それはそうなんですけれど……。でも、そのおかげで流行りのお菓子について周りの人に聞くようになって、侍女たちと仲良くなれたところもありましたから」
「……ふうん。まぁ、私も悪くはなかった。菓子は全部うまかった」
「そうおっしゃってもらえて嬉しいです」
わたしたちの会話を聞いていたルキアン様が、「俺の知らん間にシェリと仲良くなりおって。シェリは俺の妃なんだぞ?」と不貞腐れるように言った。
「はい、ルキアン様。わたしはルキアン様の妃です」
「分かっているならばいいが……」
ルキアン様と黒龍は、再び戦闘を開始した。
でも、それは地下牢での戦いよりずっと明るい雰囲気だった。お互い真剣にぶつかり合っているが、もはや生死を賭けた暗い緊張感はなかった。まるで武術大会の決勝戦みたいな爽やかな真剣さがあった。
そして暫く戦っていると、黒龍の体がホロホロと光となって消えていく。まるで蛍火のようだ。
その光がふいにわたしの肌に触れると、古の記憶が脳裏に流れ込んできた。
▽
……ここは謁見の間かしら? 一段高いところに煌びやかな衣装を身につけた男女がおり、その前には、衛兵によって床に押さえつけられた女性の姿が見える。罪人のような扱いを受けるその女性もまた、豪奢な衣装で着飾っていた。
『陛下!! 隣にいる女は一体誰なのです!? そこは正妃であるわたくしこそが座る場所ですわ!!』
『……正妃よ。朕は漸く気が付いた。お前の胸に咲く逆鱗の証が偽者であることに。本物の逆鱗の証を持つのは彼女だ。正妃よ、よくも朕を騙してくれたな』
『なっ……!! こ、この逆鱗の証は、その……っ。陛下を心から愛していたからです!! 例え陛下の本物の逆鱗でなくとも、わたくしこそがこの世で一番陛下をお慕いしておりますのよ!!』
『皇帝である朕を騙した罪は重い。衛兵よ、この罪人を処刑場へ連れて行け。すぐに首を刎ねよ』
『おっ、お待ちください、陛下!! わたくしのお腹にはすでにあなた様との御子が宿っておりますわ!! わたくしを処刑するなら、陛下の尊い血が流れる御子も道連れになりますわよ!!』
『……子を見捨てるわけにはいかぬか。分かった。この罪人を地下牢へと連れていけ。そこで出産した後に首を刎ねよ』
始祖王は冷たい表情でそう言うと、命令を受けた衛兵が女魔導士を引きずっていく。
女魔導士は激しく抵抗し、始祖王の隣にいる本物の正妃に向かって罵詈雑言を放った。女魔導士は衛兵に殴られて大人しくなったが、その瞳は憎悪で燃え盛り、謁見の間の扉が閉まる最後の瞬間まで始祖王と正妃を見つめていた。
▽
松明の灯りに照らされた地下牢の入り口で、役人の衣装を着た男性と老婦人が立ち話をしている。
『産婆よ、陛下の御子は無事に生まれたか?』
『はい、役人様。陛下によく似た銀髪で紅い瞳の、立派な皇子にございました』
『そうか。母親が罪人では、皇太子になることはないが、それでも陛下の息子として立派に国の役に立ってくださるだろう。そのように我々がお育てしなければ。して、皇子は今どこに? 乳母の元へ連れて行かねばならん』
『皇子は今、母親のお乳を吸っているところです。もうそろそろ終わる頃かと……』
『分かった。案内してくれ』
『はい』
老婦人の案内で地下牢の一つに向かったが、そこはもぬけの殻だった。
焦った二人は地下牢をあちこち探し、ついに一番奥に女魔導士が造り出した広い空間を発見した。
中央に用意された祭壇には、女魔導士が今まさに、赤ん坊を生贄として捧げようとしているところだった。
『まぁ、何をなさっているのですか!!?』
『罪人よ、陛下の御子をどうする気だっ!!?』
『決まっているじゃない、この黒魔導で呪ってやるのよ!!! わたくしの血と愛しいいとしい陛下の血を引き継いだこの子を生贄にして、この白銀城に強力な呪いを掛けてやるわ!!! このまま陛下とあの女が幸せになるなんて赦せない!!! 皇族の一代に一人ずつ、呪いに苛まれて激しい苦痛の中で死ぬわ!!! 末代までずぅーっとよ!!! そうして陛下は漸く気が付くのよ、わたくしを愛さなかったご自身が悪いということにね!!! わたくしのことを死ぬまで後悔すればいい!!!』
『おぎゃあ!! おぎゃあ!! おぎゃぁぁ!!』
女魔導士が祭壇に赤ん坊を捧げると、途端に黒魔導が発動した。黒い靄が赤ん坊を飲み込み、彼の銀色の髪が黒く染まっていく……。
▽
再び場面が変わって、祭壇の前に鶏を捧げる黒髪の少年の姿が現れる。
『……私はいつまでこんなことを繰り返さなければならないのだろう。本当に、いつまで……』
彼は自嘲気味に呟くと、そのまま床に小さくしゃがみ込み、長い時間動かなかった。
▽
「シェリ? おいっ、シェリ、どうしたんだ!?」
「……あっ、申し訳ありません、ルキアン様。ぼーっとしてしまいました」
「そうか。急に喋らなくなって心配になったが、単に疲れたのかもしれんな。ほら、シェリ、見ろ。全部終わったぞ」
ルキアン様に言われて顔を上げると、ちょうど、黒龍の最後の光が消えていくところだった。
……わたしも、生贄だった。
わたしはルキアン様に出会えて本当に幸せだったけれど、ルキアン様が本当に怖い存在だったら、わたしも黒髪の少年と同じように苦しみの中をさ迷い続けなければならなかったかもしれない。
そんな可能性もあったのだと思うと、背筋がゾクッと震える。
「大丈夫か、シェリ? やはり疲れたようだな」
「わっ、ルキアン様!?」
ルキアン様に横抱きされて、わたしは慌てた。
重たくないかしら? こんなにルキアン様のお体にくっつくなんて、と恥ずかしいかったが、――同時に彼のあたたかな体温に安心した。
暗い気持ちになりかけていた心ごと、掬い上げられたような気持になる。
きっと黒髪の少年も、今は明るい気持ちになっているだろう。
ようやく彼は自由になれたのだと思うと、涙が出て、でも嬉しかった。




