29:宝石のように輝く恋心
「おい、こら、シェリ!! お前は一体何をやっているんだ!!」
紅梅の生贄を持って帰ると、空はすでに茜色に染まっていた。もうすっかり夕刻だ。
一日中走り回ったので仕方がないことだが、すでにルキアン様が銀木犀の宮へ戻られていた。庭の焚火へ向かう細道のところで、腰に両手を当てて仁王立ちをしていた。完全に悪戯をしたペットを叱るご主人様の図である。その傍にはクローブさんも控えていた。
わたしはシュンとしたが、ルキアン様は「ジャスミンとロドリーが分かる範囲のことはすでに聞いてある」と言った。
「とにかく、この木箱の中身を燃やせばいいんだな? クローブ、すぐに頼む」
「承知いたしました、ルキアン様」
わたしから木箱を受け取ったクローブさんは、どこか興奮した様子で「よく頑張りましたね、シェリ」と言ってくださった。
ルキアン様の呪いの解呪に関わるかもしれないことを知って、期待でいっぱいなのかもしれない。クローブさんはすぐさま焚火がある方向へと走っていった。
クローブさんがいなくなると、完全に二人きりになった。
「俺の呪いに関係することで、城内を駆けまわっていたんだな?」
「……はい」
わたしが頷けば、ルキアン様は深く溜息を吐いた。
「何故、俺のところまで話しに来なかった? この呪いを解呪することは、始祖王時代からの銀龍族の悲願だ。シェリがひとりで頑張らずとも良かったんだぞ。というか、むしろもっと俺を頼ってくれ。俺の目の届かないところでシェリの身に何かあったら怖いだろーが」
「ルキアン様……。申し訳ございません」
わたしがひとりで突っ走ったせいで、ルキアン様に酷く心配をかけてしまったらしい。本当に申し訳ない。
頭を下げて謝罪をすると、ルキアン様がずいっと顔を近付けてくる。
「それで? 何で俺に相談しなかったんだ? シェリにとって、俺はそんなに頼りないのか?」
「そんなことはありません! ただ、わたしは……っ!」
ルキアン様に相談しなかったのは、本当は心のどこかでずっと怯えていたからだ。
わたしはルキアン様の呪いを解呪して、離縁して、ルキアン様にレイラーン様と幸せになってもらうことを計画していた。ルキアン様はお優しいから、離縁してもわたしのことはペットとして飼ってくれると信じていた。
でも、この完璧で素晴らしい計画をルキアン様に伝えるのが、本当は怖かった。
『そうか。解呪が成功すれば、シェリと離縁して、本当に好きな女子を妃にすることが出来るな!』って、ルキアン様に納得されてしまったら、わたしは絶対に子供のように泣くだろう。
だって、わたしはどうしようもなくルキアン様が大好きで、この人の妃でいたかった。
世継ぎも期待されていない役立たずの正妃のくせに、なんて女々しいのだろう。
ああ、そうだ。やっぱりわたしはルキアン様に恋をしてしまっているのだ。
この胸に埋もれた紅い宝石のようにキラキラと輝いては、わたしを強くも弱くもさせる、分不相応な恋を。
「わたしは……、ルキアン様と離縁したくて……」
「はぁぁぁぁ!!? なっ、何か俺に不満があったのか!!? 他に好きな男が出来たとかか!!? その男の名前を教えてくれ!!! 殺すわけにはいかんから、即行で地方に飛ばす!!!」
「でもっ、ルキアン様と離縁したくなくて……」
「結局どっちなんだ!!?」
「ルキアン様が幸せになれるならレイラーン嬢を妃に、と思うのに。ルキアン様と幸せになるのはわたしであってほしいと願ってしまうのです……。だから呪いの解呪についてご相談出来なかったんです……!」
「待て、シェリ。お前の言っていることがほとんど分からん!!!」
わたしは『ルキアン様がレイラーン嬢を好きなのだと思い込み、そのためにはわたしと離縁するべきだろう。そのためには呪いを完全に解呪しなければと思っていろいろ調べていくうちに、黒魔導の生贄を見つけてしまって今に至る』という話を、順序立てて説明した。
最後まで説明を聞いたルキアン様は、両手で頭を抱えて唸った。
「……そうだった。シェリは自分の感情の整理が苦手なところがあったな。だから、こんなにこんがらがった思考をしたのか。……あのな、シェリ」
「はい、ルキアン様?」
「俺の正妃はお前ただひとりだけだ。他の女子を娶ることは絶対にない。俺はシェリが好きだ」
先程レイラーン嬢に会って、彼女の弟さんが行方不明だったという話を聞いた時に、『アニス嬢が言っていた通り、ルキアン様とレイラーン嬢の関係に邪推するようなものはないのかもしれない』と正直わたしは思った。
それでも、レイラーン嬢以外の女性が新たな正妃候補や側妃になってもおかしくない状況だと思っていたから、ルキアン様の『俺の正妃はお前ただひとりだけだ』という言葉がとても嬉しかった。
……それなら、どうしてルキアン様は。
どうしても打ち消すことの出来ないモヤモヤが、わたしの口から出てきてしまう。
「それならルキアン様はどうして、わたしを抱いてくださらないのですか?」
不満を口にした後で、すぐに『言うべきじゃなかった』という後悔が頭を過る。
恋心を自覚したせいで、ルキアン様からの返答が怖い。ルキアン様から『女として見れない。ペット枠だ』と言われたら、傷付いても納得するしかないのに。
わたしは彼の返答で泣かないように、瞼をギュッと瞑った。
「シェリが俺のことを男として意識していなかったからだ」
「……え?」
びっくりして目を開けると、堪えようとした涙が結局零れてしまった。
ルキアン様は手を伸ばし、わたしの涙を優しく拭う。
「そんなことはない、と言いたげな表情だがな。シェリは俺のことを第一に『ご主人様』だと思っていただろう。これは俺がお前に最初に出会った時に、お前を飼ってやると言ったことが原因なんだろう。そのことは本当に悪かった」
「ルキアン様……」
「だが、俺と離縁したくないと、俺と共に幸せになるのは自分がいいとシェリが思ってくれるようになったということは、お前はもうとっくに俺を一人の男として好いていてくれたのだな」
「はい。確かにわたしは今までルキアン様への恋を自覚出来ていなくて、ずっとルキアン様を『ご主人様』としてお慕いしておりました。でも今は、殿方としてお慕いしております」
「そうか。ありがとう、シェリ」
ルキアン様は出会った頃と変わらない、太陽のように明るい笑みを浮かべた。
と思ったら、見ているだけでこちらの背筋をゾクッとさせるような色気を放って、わたしの顎を掬い上げた。
「じゃあ、これからはもうシェリに手を出しても問題ないな。まだ呪いの解呪に関して聞きたいことがあるから寝室に連れ込むわけにはいかんが、覚悟しておけよ」
「ル、キアン、さま」
彼の色香にクラクラしているわたしの唇の端に、ルキアン様はちゅっと音を立てて口付けた。
唇同士が重なったわけでもないのに、わたしは真っ赤にのぼせ上って足がふらついた。
「おっと」
ルキアン様に支えてもらい、呪いの解呪について詳しい話が出来るまでに少々の時間を有してしまった。




