23:皇太子の執務室
銀木犀の宮から白銀城へ移動し、皇太子の執務室で俺は山積みの仕事に明け暮れている。
呪いの発作が頻繁で布団から起き上がることもままならなかった日々は疾うの昔だ。長年皇太子の業務に携われなかったこともあり、最初の頃は何かと手間取っていたが、今では父上からどんどん業務が回されてくる。
最近は衛兵と共に掛かりきりで当たっている件で手がいっぱいだ。正直かなり荷が重い。
だが、父上から、「ルキアンが仕事に励んでくれるおかげで、余は正妃を見舞う時間が増えたぞ。これもお前の逆鱗であるシェリのおかげだな。ハハハ」と、満足げに言われてしまえば、ぐうの音も出ん……。
父上の訪れが増えたことに母上も喜んでいるし、これはこれでいいのだろう。
この家庭平和は全くもってシェリのおかげであった。
そんなことを考えていると、使いに出ていたクローブが両腕に紙の束を抱えて執務室へと戻ってきた。
「ただいま戻りました、ルキアン様」
「ご苦労だった、クローブ。衛兵から新しい情報が入ってきたのか?」
「いえ、別件です。新しい書状が届きました」
「……また父上が自分宛の嘆願書を押し付けてきたのか? 父上と母上の時間が増えるならば、と思ってはいるが、いささか多すぎないか?」
「こちらは陛下に押し付けられたものではなく、ルキアン様宛のものです」
「俺宛? 多くないか?」
「側妃の立候補やら推薦やらで、こんなに来てるんですよ」
「またなのか!? 俺には必要ないだろ!?」
俺には逆鱗であるシェリがいるというのに、何故こんなに側妃の話が出てくるのかまったく分からず、大きな声を出してしまう。
クローブは表情を変えずに俺の机の上へ書状をバサバサと降らせてから、冷たい声で言った。
「そんなの、結婚して二年も経つのに御子が一人もいないからに決まっているでしょう」
「……たっ、確かに、それはそうだが」
痛い所を突かれたが、俺は何とかクローブに答える。
「子がいないからといって、俺がシェリと不仲だと噂されぬように、夜間に定期的に花桃の宮へ渡っているぞ!」
「結果、臣下の間で『シェリ皇太子妃殿下は御子が生めないのでは?』という噂が流れていますよ。実際はシェリ妃と夜通し陶芸をしているような状況だということを、僕は知っていますけれどね」
「そうか……! そうなるのか……!」
シェリが俺に寵愛されていることを示そうとした結果、シェリの正妃としての素質を疑われたわけか。そこまで考えが至らなかったな……。
己の迂闊さに項垂れていると、クローブが深く溜息を吐いた。
「ルキアン様、いい加減にしてください。逆鱗を見つけた龍族がほかの女性を抱くことなど出来ないのですから、さっさとシェリ妃との間に御子を作ってください」
「いやっ、だが、シェリの気持ちがまだ俺に向いていないし……」
「どうせシェリ妃は『ルキアン様のためなら何でもします!』って言いますよ」
「だからっ、それはただの忠誠心だろうが!! 何でも言うことをきいて結婚までしてくれたシェリに、そこまで強要するのは酷だろう!? 俺は、シェリが俺のことを男として好意を持ち、自分から俺を選んでくれるまでは待つつもりだ!!」
「それでもう二年経ってるんですよ!!! 何事も期限を決めて挑戦してください!!! 臣下にとってはもう時間切れだから、こんなに側妃の話が来ちゃうんでしょーが!!!」
クローブの冷た過ぎる正論に、俺は机へと撃沈する。
「……だが、俺だって、シェリにいろいろアピールしているつもりだし、『お前は俺の逆鱗だ』と、きちんと告げているつもりなんだが……」
「それ、シェリ妃には全然伝わっていないと思いますよ、ルキアン様」
「……は?」
「シェリ妃は下界から来た人間ですからね。龍族にとって逆鱗がどれほど大切な存在なのか、ルェイン大帝国の者たちには昔話感覚で刷り込まれていますけれど、シェリ妃はその重みが分かっていないと思います」
「つまり、俺のこの二年間は無駄だった……?」
「無駄というより、空回りでしょうね。人間相手に告白するなら『愛している』の一言のほうが重要みたいですよ」
どうりでシェリは俺が何度『逆鱗だ』と伝えても、ずっと平然としていたわけだ……。常識が違う下界の人間相手では、なかなか意思の疎通が難しいな。
今までのことを反省しつつも、これからどうシェリと向き合うか考えていると、扉の向こう側から騒がしい声が聞こえてくる。
クローブは狐耳をピンと立てて「どうやら見張りの衛兵が困惑しているみたいですね。僕が確認してきます」と、執務室から出て行った。
その後すぐに、クローブが戻ってくる。彼の傍にはレイラーン嬢がいた。
「……先触れもなく急に訪れてしまい、申し訳ありません、ルキアン殿下っ」
いつも令嬢たちの見本であるしっかり者のレイラーン嬢は、すっかり憔悴した様子だった。目元のクマが酷く、その瞳に覇気がない。
見張りの衛兵たちは、先触れなく訪れた者に慌てたのではなく、レイラーン嬢の普段とはまったく違う様子に動揺したのだろうな……。
「でも、もう、わたくし、耐えられなくて……っ!!」
レイラーン嬢の瞳から大粒の涙が溢れ出し、彼女はわっと床へ泣き崩れた。
いつも気丈な彼女の肩が激しく揺れ、あまりにも痛々しかった。




