22:黒い石碑
アニス嬢は素早い身のこなしで駆けて行き、二人組の下働きの元へ突っ込んでいくと、「ねぇねぇねぇ、その盗難事件について、詳しくお話しなさいな」と彼らに詰め寄った。
彼らは鳥の獣人で背中に翼があり、突然現れたアニス嬢に驚いて翼をバサッと広げた。だが相手が貴族令嬢であることに気が付き、慌てて姿勢を正す。
「あなたたちが話していたのって、『白銀城の怪談』の一つ、『消える家畜』の話でしょ。気になるわ」
「『白銀城の怪談』というものがあるのですか、アニス嬢?」
わたしがようやく彼女に追いついて話に加わると、下働きの二人は「貴族令嬢だけじゃなく、皇太子妃殿下まで現れぞ……!」と焦ったようにお辞儀をした。
アニス嬢はこちらに振り返る。
「始祖王時代からある古いお城だもの。怪談話には事欠かないのよ。仕入れた家畜が定期的に一頭ずつ消えるという奇妙な事件の話は、大昔から今の時代までずっと続いているのよ、シェリ妃殿下」
「そうなのですね……」
「私が実際に出くわしたのは初めてだけれどね。さぁ、あなたたち、事件について教えてちょうだいな。私はイタチの獣人だから嗅覚が鋭いのよ。事件が発生してからあまり時間が経過していないなら、まだ犯人を追いかけて、子羊を取り返せるかもしれないわよ?」
アニス嬢が促すと、下働きの者たちは緊張しながらも話し始めた。
「城内に住む高位貴族のお屋敷で今度開かれる宴のために、最高級の子羊を仕入れていたんです。そろそろ子羊を絞めて血抜きをしようと準備してたんですが、隔離していた場所から少し目を離していた隙に、子羊が忽然と姿を消していたんです」
「目を離していた隙にってことは、遠くへ行っていたわけじゃないのよね? 犯人が子羊を連れ去った時に、子羊がメェメェ鳴いたりしなかったの? 鳥の獣人は嗅覚が発達してないけれど、聴覚は普通でしょ?」
「はい。道具を取りに、本当に少し離れただけなんです。盗人が子羊を連れ去ろうとする時にまったく鳴かなかったのか、鳴き声はまったく聞こえませんでした。隔離場に戻って、子羊がいないと分かってから周辺を飛んでみたんですけれど、盗人の姿も子羊の影すらもなかったんです……」
「ふ~ん。本当にお化けが子羊を連れ去ったみたいな話ねぇ」
彼女の台詞に、ふと、わたしが『幽霊さん』と呼んでいる黒髪の少年の姿が浮かんだが、さすがに関係がないだろう。
あの少年が子羊を一頭独り占めして食べているところが思い浮かばないし。ペットを飼うような性格にも見えない。
「子羊を隔離していた場所に案内してよ。そこなら匂いが残っているはずだわ」
「は、はいっ」
下働きの者たちに付いていこうとするアニス嬢を見て、わたしもその後に続こうとすると、彼女は呆れた表情をしてわたしを見た。
「ちょっと、シェリ妃殿下。あなたが付いて来てどうするの? お付きの者たちが心配するでしょ」
「先程アニス嬢とお話しするために時間をいただきましたから、大丈夫です」
「お喋りの範囲を超えちゃってるでしょ。シェリ妃殿下はただの人間なんだからいても役に立たないし、私がお付きの者たちに怒られそうで嫌だわ」
「確かにわたしは役立たずですけれど、アニス嬢が好奇心のままに怪談話に首を突っ込むのを、放っておくわけにはいきません。危険なことがあったらどうするつもりなんですか。それにわたしの侍女も護衛も、そんなことでアニス嬢を叱ったりしませんし」
「えぇー……」
彼女は嫌そうに顔を顰めたが、「まぁ、確かに、本当の怪談話だったら、人数が多いほうがいいか……」と渋々頷いた。
「シェリ妃殿下のお付きの者たちに叱られそうになったら絶対に庇ってよね」
「ないとは思いますけれど、はい」
わたしが頷くと、彼女は同行を許してくれた。
子羊が隔離されていたというのは、木の柵で囲われた小さな場所だった。
柵は頑丈に作られているので子羊が体当たりして壊せそうにもないし、隙間から脱走してということもなさそうだ。誰かが外から柵の入り口を開けなければ、子羊は絶対にここから出られないということだ。
アニス嬢は周囲の匂いを嗅ぐと、「犯人の匂いは分からないけれど、子羊の匂いがまだ残っているわ。あっちね!」と指を差して言う。
「じゃあ、匂いを辿ってみましょう!」
「あ、あの、お嬢様……」
意気込むアニス嬢に、下働きの者たちは恐る恐る声を掛けた。
「俺たちも捜索に加わりたいのは山々なんですが、とにかく今回の件を上に報告しに行かなきゃならないんです。さっき庭園を歩いていたのは、その途中でして……」
「あら、そうなの? でも私の嗅覚で犯人を捕まえて、子羊を取り返せるかもしれないじゃない!?」
彼らはアニス嬢の希望的観測を信じていないみたいだ。
確かに、長年続く奇妙な盗難事件がそんなに簡単に解決出来るとは思えないだろう。むしろ、早く上に報告して、新しい最高級の子羊を仕入れ直したいという心境だろう。
「あなたたちは上に報告へ行ってください。捜索はわたしとアニス嬢でやってみますから」
「はっ、はいっ! よろしくお願いいたします、皇太子妃殿下!」
わたしの言葉にこれ幸いと頷き、彼らはその場から去っていった。
「ちょっと、もう、妃殿下ったら!! 犯人を捕まえるための人数が減っちゃったじゃない!!」
「それは申し訳ありませんでした。もし犯人を見つけたら、どちらかが衛兵を呼びに行きましょう。取りあえず、子羊の匂いを辿ってみませんか?」
「まぁ確かに、犯人を捕まえるなら衛兵のほうがいいか。仕方がないわね、もう……」
彼女は渋々納得すると、子羊の匂いを追って歩き始めた。
▽
庭園内をひたすら歩き続け、辿り着いたのは、北側にある黒くて巨大な石碑の前だった。
「おっかしいわねぇー!? この石の前で、子羊の匂いが不自然に途切れているわ!!」
「けれど、この石碑以外、他になにもありませんし……」
石碑の周囲をぐるりと歩いてみるが、子羊を隠すことが出来そうな場所などどこにもない。犯人の姿も見当たらなかった。
華やかな白銀城の敷地内にしては、この北側の地はひどく寂しい場所だった。
「あ~あ、結局空振りね。残念だわ。戻りましょうか、シェリ妃殿下?」
「はい……」
アニス嬢に返事をしつつも、何故か黒い石碑が気になってしまい、わたしはその前から動けずにいた。
……そうだ。そういえば皇后様が白銀城の四大『狂い咲き』大木の話をしていた時に、この石碑の話が出てきたことがある。
『東の青いジャカランダ、南の赤い紅梅、中央の黄色いイチョウ、西の白い銀木犀だ』
『そうなのですね。それだと北側には何もなくて、ちょっと寂しいですね』
『北か? あそこには黒い古い石碑が一つあるくらいだなぁ。確かに東西南北に中央で『狂い咲き』の大木が揃っていれば、面白かったよなぁ。わはは!』
皇后様はこの石碑のことを言っていたのだろう。
そもそもこの石碑は、何故こんな寂しい場所にあるのだろう? 人通りもほとんどなくて、人々から忘れ去られたような場所に。こんな場所にあるわりにはとても大きな石碑で、風雨に晒されたせいで読むことは出来ないが、何か文字が彫られていた跡がある――……。
「シェリ妃殿下? どうなさったの?」
「いいえ、アニス嬢、なんでもありません」
わたしは後ろ髪が引かれながらも、その場を後にした。




