19:夜会②
夜会会場では来賓たちが長卓の前にずらりと座り、酒やご馳走が盛られた膳がどんどん運ばれてくる。
大庭園のほうには灯りが焚かれた舞台があり、楽士や舞姫が楽し気な催しを開いていた。
来賓たちは白銀城の料理人が腕を振るった高級な食事に舌鼓を撃ち、美しい琴の音や、舞姫の優雅な舞に満足げな溜息を洩らしている。その頃には酒もだいぶ進み、最初に座った席から離れる人も多くなってきた。
高位貴族のもとへ酒を注ぎに行く下位貴族や、商談を始める貴族もいる。若い令嬢や殿方はこっそりと大庭園に下りて、逢瀬を楽しんでいるようだ。
キラ皇国の社交界とは作法が違うが、行われていることはあまり変わらないみたい。
「さぁルキアン様、お酒をどうぞ!」
ルキアン様の盃が空になる度に、わたしはすかさず酒を注ぐ。
すると、最初は「ありがとうな、シェリ」と言ってくださっていたルキアン様の表情が、だんだん強張ってきた。
飲み過ぎというわけではないだろう。龍族はアルコールに強く、酒豪ばかりだと聞いている。
「……シェリは俺の妃であって、侍女ではないんだ。そんなに俺の飲酒の間隔に気を配らんでいい」
どうやら気配りをし過ぎて、ルキアン様に引かれているらしい。
「ですが、ルキアン様のお役に立ちたいので」
「いやいやいや! 役に立つとかそういう次元じゃないだろ!? 俺の盃が空になる瞬間に酒を注ぐし、しかも俺が『そろそろ辛口の酒が飲みたいな~』と思った瞬間に望んでいた酒に変えて来るし、さらに新しい酒に合わせた料理まで用意してくるし! どんな凄腕女官でも無理だろ!?」
「ルキアン様に喜んでいただくことが、わたしの喜びですから」
「いいからシェリも飯を食え! 俺にばっかり構って、自分のことをおろそかにするな! ほら、あーん!」
「もががぁぁ」
ルキアン様の手によって口へ突っ込まれた肉包子をもぐもぐ食べていると、クローブさんがやって来た。
そして二人で何かを話すと、ルキアン様はわたしのほうを向く。
「俺はしばらく席を外す。シェリはちゃんと飯を食ってろ。いいな?」
「はい、ルキアン様」
ルキアン様とクローブさんが行ってしまうと、わたしは皇太子妃の席でポツンとした状態になってしまった。側に侍女が数人いるけれど、一人で食べる食事は味気ない。
ルキアン様に言われた通り、ある程度の食事を取ってから、わたしは席を立つ。
「シェリ様、どちらへ? 我々もご一緒に……」
「少し、人に酔いました。一人で涼んで来ます」
侍女たちの付き添いを辞退して、大庭園に下りる。
舞台やその周囲の灯りが眩しいので、足元が見えなくなることもない。
わたしは白銀城の美しい大庭園で一際目を引く、狂い咲きの紅梅を見に行くことにした。同じことを考える来賓が多いらしく、紅梅へ続く小道にも灯りが焚かれ、衛兵が巡回していて安全だった。
紅梅の周囲にも灯りが焚かれ、紅い花々が藍色の夜空を背景に美しく照らし出されていた。下から見上げると、紅梅の檻に閉じ込められたかのように感じる。呼吸をするだけでほのかに甘い香りがした。
大庭園の紅梅に、ルキアン様の宮の銀木犀、皇后様の宮のジャカランダ、そしてルキアン様と出会ったイチョウ。
季節を問わずに咲き続ける樹木が四本もあるなんて、白銀城は本当に不思議なところである。
「まぁ、シェリ妃殿下だわ! お一人でどうなさったのですか!? ルキアン殿下はいずこに?」
「シッ。指摘しては駄目よ。妃殿下がお一人なのは、つまりそういうことでしょう?」
「ああ、そうですわねぇ。本日の夜会には、あの麗しのレイラーン様がいらっしゃっているもの。クスクス……」
一人で紅梅を眺めていると、貴族の令嬢たちがやって来た。イタチや山猫の獣人らしく、尻尾や耳がモフモフしている。
「あの、レイラーン嬢が何か?」
普段は令嬢たちの軽口など気にならないが、レイラーン嬢の話には何故か胸がざわついた。
わたしはついうっかり聞き返してしまい、令嬢たちは獲物が罠に引っ掛かったという喜びの笑顔を浮かべて、わたしの周囲を囲んだ。
「まぁ、ご存知ないのね。シェリ妃殿下が現れるまでは、レイラーン様がルキアン殿下の一番の妃候補だったんですのよ!」
「あの美しさに、お血筋も確かでしょう? ルキアン殿下とも幼い頃からご交流があって、仲睦まじかったのですよ!」
「妃殿下がいなければ今頃レイラーン様が正妃だったでしょうね、クスクス」
「いいえ、まだ分からないわよ。側妃からのし上がった方だっておられるのだから、レイラーンさまが側妃になれば、あるいは……?」
「まぁまぁまぁ! シェリ妃殿下の前で少し言い過ぎですわよ! おほほほほ!」
ルキアン様とレイラーン嬢はそんなに仲が良かったのね……。
そんなことに何故これほどまでに動揺するのか自分でも分からなくなりながら、息苦しくなってきた胸元を押さえた。
その時、一人の令嬢が「あちらの廊下を見て!」と突然声を上げた。
「ルキアン殿下とレイラーン様が二人っきりで歩いていらっしゃるわ!」
令嬢が指をさす方向には、大庭園に面した渡り廊下があり、そこをルキアン様とレイラーン嬢が並んで歩いていた。
レイラーン嬢は何やら暗い表情をしており、ルキアン様が励ますように肩に手を置いている。二人は何か言葉を交わしながら、廊下の奥へと消えていった。
あまりにも親密そうな二人の姿に、令嬢たちがむしろ静かになった。
そしてこちらをチラチラと窺うように視線を向けてくる。
「え~と、シェリ妃殿下……」
「あの、私たちもまさかこんな決定的な現場を見ることになるとは思わず……」
「気を確かに、シェリ妃殿下! お顔が真っ青よ!?」
「ちょっと意地悪を言ってやるつもりだっただけなんです、妃殿下! ごめんなさい!」
令嬢たちに揺すぶられながら、わたしは思案する。
……そうか。そうだったのですね、ルキアン様。
わたしを抱かないのは、ペット枠だとか、女性として見られないとか、そんな理由だけではなかったのですね。
きっとルキアン様はレイラーン嬢のことがずっとお好きで、操を立てていらっしゃったのだわ。
でも、わたしが逆鱗だから、ルキアン様はわたしを正妃にするしかなかった、と。
もしかするとルキアン様は、レイラーン嬢をいずれ側妃にするのかもしれない。
いいえ、ルキアン様のことだからわたしに遠慮して、レイラーン嬢を側妃にすることさえしないかもしれない。
どちらであるにせよ、それではルキアン様が幸せになれない。わたしが正妃の座に居座っている限り。
わたしはルキアン様に幸せになってほしい。そのためならば何だってする。
……離縁。ルキアン様と離縁をしなければ!
正妃の座から辞し、レイラーン嬢に明け渡さなければならない。そしてわたしは元通りルキアン様のペットに戻り、老後まで可愛がってもらうのだ。ルキアン様とレイラーン嬢が幸せになるのを見ながら……。
そのためにはルキアン様の呪いを根本的に解呪しないと。そうしないと、ルキアン様はいつまで経ってもわたしを正妃として隣に置かなければならなくなってしまう。
それに、ルキアン様に呪いのない健康な体になってほしいと、わたしはずっと願ってきたのだから、これはいい切っ掛けだ。
ルキアン様の呪いを解いて、離縁しましょう!!
わたしの覚悟は決まった。
ただ、どうしてか、胸の奥がジクジクと痛む。もしかすると、離縁してもルキアン様のペットとしてまた飼ってもらえるか、不安なのかもしれなかった。
気が付くと、令嬢たちは地面に両手をついて謝罪していた。
どうしたのでしょうか?




