16:婚姻
クローブさんが予言した通り、ルキアン様はその後どんどん皇太子として頭角を現していった。
勉学に関しては以前から成績が良かったらしく、「これで呪いの発作さえなければ……」と臣下や貴族たちから思われていたそうで、発作が緩和出来て龍化まで出来るようになった今は、武芸の才能まで開花させていた。
さらに銀木犀の宮の外へ出て城内外の方々と交流を深めたりと、名実ともに皇太子としての道を歩まれていた。
「これも全部、シェリが俺の元に来てくれたお陰だ! ありがとうな!」
ルキアン様がそうおっしゃってくださるだけで、わたしはとても嬉しかった。
そしてわたしが十四歳になると、初潮が来た。子の産める体になったということで、ルキアン様と正式に婚姻を結んだ。
婚姻を結んだと言っても、キラ皇国の教会で行われていたような華やかな婚儀はない。
どうやら、異界の人間なんかが皇太子の正妃になることは反対だ、という貴族の声が根強かったらしい。
自分の娘を妃や寵姫にしたかった貴族たちにとって、いくらわたしがルキアン様の『逆鱗』であっても、ぽっと出の存在には変わりがないのだ。
そのため白銀城の謁見の間で皇帝陛下と皇后様が見守る中、わたしとルキアン様は婚姻書にサインをして、同じ盃でお酒を飲みかわすという簡素な儀式をした。
婚姻を結んだその日、銀木犀の宮の普段は使われていなかった部屋が初夜のために整えられた。
ロドリーさんが庭から摘んできてくれた花々が花瓶に活けられ、橙色の明かりがぼんやりと灯る静かな部屋の中を、どこか青いような甘い花の香りが広がっていた。
ジャスミンさんが整えてくださった大きな牀の端に腰掛けていると、緊張した様子のルキアン様がやって来る。
ルキアン様はわたしを見ると、何故かすぐに頭を下げられた。あまりにも深く頭を下げるので、土下座のようだ。
どうされたのだろうと、わたしが目を丸くして見ていると。ルキアン様がつらそうな声で謝罪をする。
「すまんな、シェリ。国を挙げての婚儀を行ってやれなくて……」
なんだ。そんなことか。
わたしはホッとして、首を横に振った。
「そんなことは構いません、ルキアン様。わたしはあなたのお役に立てれば、それで幸せですから」
ルキアン様のペットのままでも、わたしは全然構わなかった。この御方の正妃になれただなんて、今でも信じられないくらい。
わたしを必要としてくれたルキアン様のお役に立てるのなら、それがわたしの幸福だった。
それに、来世では自分のために花嫁衣装を選びたいと願ったことがあったが、それを叶えていただけてとても嬉しかった。
ガバッと顔を上げたルキアン様はなんだか難しい表情をして、わたしを見つめている。
「……シェリは、あれだな。生まれたばかりの雛が親鳥を盲目的に愛するように、俺にただひたすら忠誠を誓っているのだな」
「そう、なのでしょうか……?」
「そうだ。だから平気な顔で俺との婚姻を受け入れてしまうし、大々的な婚儀が行えなくても俺を許してしまうのだ」
「それはいけないことでしょうか?」
「臣下としてなら、良いのだろうな」
ルキアン様は「はぁぁぁぁ~……」と一際長い溜息を吐いた。
そして、わたしの隣に腰を掛ける。
「龍族は自分の『逆鱗』と出会ってしまったら、もはや『逆鱗』を求めずにはいられないように出来ている。これはどうしようもない本能なんだ」
「はぁ……?」
ルキアン様のおっしゃっていることの意味がイマイチ分からず、わたしは首を横に傾げた。
「だが、俺は、シェリが同じように俺を求めてくれなければ意味がないと思っている」
「わたしはいつだってルキアン様を求めておりますよ?」
「だからそれは雛と同じ、保護者に対する絶大な信頼だと言ってるんだ! ここで俺がシェリに気持ちを告げてお前が応えても、それは俺と同じ気持ちじゃないっ!」
ルキアン様はそう言うと、そのまま牀の奥へと移動し、布団を被り始めた。
なんだか早々に初夜がお開きになってしまいそうな雰囲気があった。
「あの、ルキアン様、子作りというものはしないのでしょうか?」
「ゴホッ!!!」
「まぁ、大変!! 呪いの発作ですか!? 今すぐにわたしが吸収を……!!」
「違う!!! これはシェリが阿呆なことを言うから、びっくりして咳き込んだだけだっっっ!!!」
布団から顔を出したルキアン様は、瞳の紅よりも尚赤く顔を火照らせていた。
確かに呪いの発作ではないようで、わたしは安堵する。
「ですが皇后様が、初夜に行う子作りの作法をわたしに教えてくださったのですが……」
「忠誠心しかないお前を抱いたところで、俺が物凄く悲しいだけだろ!!! 性欲しか解消出来ん!!!」
「ルキアン様の性欲が解消されるのでしたら、それはとても良いことなのではないでしょうか??」
「いい子だから寝ろ!!! 子守歌でも歌ってやるから、朝までぐっすり寝てくれ!!! あと、布団の真ん中からこっちには絶対に侵入してくるなよ、シェリ!!!」
「はぁ、分かりました……」
ルキアン様はその夜、本当に子守歌を歌ってくださった。
そういえばキラ皇国では、母にも乳母にも誰にも子守歌を歌ってもらうことはなかったな、と思い、ルキアン様の歌声を感慨深い気持ちで聞く。
わたしはそのまま朝までスヤスヤと眠り、起床すると、酷い隈を目の下に作っていたルキアン様が隣にいた。
「おはようございます、ルキアン様」
「良いお目覚めのようだな、シェリ? この状況で本当に寝やがって、このやろう……」
「ルキアン様が寝ろとおっしゃいましたから」
わたしがそう答えると、ルキアン様は「決めた!」と大きな声をあげて、牀から飛び降りた。
「シェリのための宮を用意しよう! お前は俺の正妃なのだ! シェリに威厳を持たせ、城内からの待遇を良くするためにも正妃の宮が必要だ! 母上だって、父上とは暮らしていないのだからな、うん!」
「ルキアン様!? 急に何をおっしゃるのですか!?」
確かに自分の宮があるほうが城内の方々から侮られずにすみ、正妃としての権限も強まるのだろう。
けれどそれでは、銀木犀の宮から出なければならなくなる。
今までのようにルキアン様と気軽に会えなくなるということだ。
そんなの、そんなの――、とてもさみしい。
「呪いの発作が起きた時はどうされるのですか? わたしが銀木犀の宮にいたほうが、夜間でもすぐに駆けつけられます」
「シェリのお陰で呪いの発作もずいぶん頻度が減ってきた。今では数ヵ月に一度という程度だからな。同じ宮で暮らさなくても平気だろう。もし夜間に呼び出すことになったら申し訳ないが、許してくれ。もう俺がそう決めたのだ」
「ルキアン様……」
こうして新婚早々、わたしの引っ越しが決まったのだ。