3話 モブのプライド
モニカにまんまと逃げられてしまったアリスは、仕方なく家に戻ることにした。
この時間はまだ両親が出かけている為、自宅には誰も居ない。
ちぇっ、モニカのやつー。
昔から逃げ足だけは速いんだから!
追いかけ始めた時にはもう跡形もなかった。
さすが『子猿』というあだ名を付けられているだけあって、身が軽い。
アリスはダイニングの椅子に腰かけ、さきほどモニカに教えてもらった内容を復習してみたのだが――やはり一人では処理しきれない情報なので、両親から詳しく話を訊くべきだという結論に達した。
そうだよ、まだ諦めるのは早いって。
まだモニカの思い込みとか悪ふざけっていう可能性も少しは残ってるし。
万が一、モニカの言ったとおりにここが『ときラビ』とやらの世界で、私がヒロインだったとしても、最悪そのヒロイン役を誰かに押し付ければいいだけだしね。
だって乙女ゲームのヒロインだよ!?
こぞってなりたがるだろうし、喜んで私と代わってくれるんじゃないの?
その日の夜。
いつものように夕食を家族三人で囲んでいたアリスは、食べかけの状態でフォークを置くと神妙な面持ちで父に問いかけた。
「ねえ、お父さん。お父さんも『ときラビ』って知ってるんだよね?」
私の普段と違う、真剣な様子に気が付いたらしい。
両親は二人だけで視線で会話をすると、こちらに姿勢を正して向き直った。
おおっ、二人からすごい緊張感が漂ってくる……。
お父さんの顔が劇画調になっちゃってるし。
「とうとう話す時が来たか。アリスももう十歳だものな。いい頃合いか」
「そうですね。アリスも『ときラビ』についてはもう理解しているみたいだし、これからのことを話しておくいい機会かもしれませんね」
下手な演劇口調で話し始めると、うんうんと両親は勝手に納得をしているが、悪いがこちらは全く理解など出来ていない。
そんな芝居には付き合っていられないとばかりに私は正直に話し出す。
「ううん、私は『ときラビ』なんて知らないよ。今日初めてモニカに教えてもらったんだけど、話の途中で逃げられちゃって……」
昼間のことを思い出して口を尖らせていると、両親が息を呑むのがわかった。
「え? アリスが『ときラビ』を知らない? ……はははっ。冗談だよな? 前世で遊んだ記憶があるだろう? ほら、主題歌もポップで話題になったじゃないか」
「あ、もしかして前世の記憶がまだ戻りきっていないのかしら? それならまだこれから思い出す可能性も……」
なんだかめっちゃ驚かれてるよ。
やっぱりこの二人も私がゲームを当然知ってるものだと思ってたわけね。
――なんだか無性に腹が立ってきたぞ。
『ときラビ』を知らない私が悪いっていうの!?
「知らない。遊んだ記憶もないし、音楽どころかタイトルすら聞いたことないよ。他の記憶はちゃんと戻ってるから、ただ単に元から知らないだけ!!」
言い方がキツくなってしまった自覚はあるが、そこは大目に見て欲しい。
私は悪くない……はずだ。
しばらく両親が沈黙したまま静かな時が流れたが、ようやく納得してくれたのか父が口を開いた。
「そうか。てっきりアリスもゲームを知っていて、時が来たらヒロインという自覚を持つものだと思い込んでいた。すまなかった。お前がこの世界の主人公、アリスだという話はもう聞いたのか? 驚いただろう」
急に優しくなった父の眼差しに目頭が熱くなり、アリスは泣き出しそうになってしまう。
「うん。昔からヒロインって何のことだろうって思ってはいたんだけど、モニカに教えてもらって。でもストーリーも知らないし、不安ばかりで……」
「そうよね。ゲーム自体を知らなかったのなら当然の反応だわ。今まで気付けなくてごめんなさいね」
母も眉を下げ、思いやるような優しい目でこちらを見つめている。
よし、今がチャンスかもしれない。
アリスは運命に翻弄される、か弱い哀れな少女を精一杯装って、涙ながらに訴えた。
「ストーリーも知らない私なんて、ヒロイン失格だと思うの。うまくやれる自信もないし。もっとヒロインに相応しい人がいるに決まってる。だから……」
そこで少し間を溜めると――私はキッパリと言った。
「誰かにヒロイン役を代わってもらえばいいんじゃないかな?」
「バカモーーンッ!」
速攻、父の雷が落ちた。
なにゆえ?
「簡単に言うな! 大体誰と代わるつもりだ!!」
「えっと、あまり重要な役割じゃない人とか? ヒロインをやりたがる人が……いるかな……とか思って……みたり」
あまりの剣幕に、しどろもどろに答えてみたけれど。
「モブを舐めるなよ? みんなプライドを持ってモブに徹しているんだ! モブのプライドを甘く見るなーっ!!」
──めっちゃ怒られた。
こんなに怒られたの初めてなんだけど。
え? 私、そんなに悪いこと言った?
キレた父を前にして、アリスは呆気にとられるしかなかった。