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お客さんが来る

 ラスカ鉱山で一泊をした二人は、出発から三日目となる四月二十三日の昼前にラスカ郷に帰った。


 アルヴェールはレオンに調練を任せると、自分は執務室に戻る。


 留守中の書類仕事をしてくれていたエレナが、主の帰宅を一礼で迎えた。


「おかえりなさいませ」

「戻りました。話があるんだけど、いいかな?」

「もちろんです」


 アルヴェールは執務机ではなく、来客用の卓に向かって椅子に座り、対面にエレナを誘った。


「失礼します」


 彼女の着席を待って、彼が口を開く。


「生と死の境界線……この麓に広がる森を開発して、耕作面積を増やすこと、新規事業を始めること、新たな鉱山を増やすことをしないと、豊かになりようがないってわかった」

「それを知るために、見回っておられたので?」

「そうです……狭い領地は広がらないけど……誰のものでもない土地が北側に広がっているからね……これを使う」


 エレナは頷くと、人員はどう工夫するのかと尋ねる。


「ですが若、人手はどうなさいます? 道具は? 税に関してこちらで決めることができるようになったとしても、すぐに集まるものではありませんよ?」

「いい訓練になるから、まずは兵を使う。動きながら、人を集める」


 ラスカ伯爵家は常時、二個中隊規模の戦力を雇っている。これは二〇〇人で、十人で一個小隊となるので、二十個の小隊がそれぞれ働いていた。


 城の警備、領境警備、領内の見回り、などなどである。


 ここに戦時となると民兵、いわゆる領民たちが武器をもち軍属となるが、その数は五〇〇ほどだ。彼らは主に、主力が出征をしている間の留守役という意味が強い。


「領境警備は、狼煙台などに切り替えて最小化する。いきなり軍勢がここに入ってくることはない。その時は、必ず事前に予兆があるからだ。それからでも遅くない。城の警備も、今の半分ほどの人員でいいだろう」


 エレナは一度、席から立つと書棚から地図を抜き取る。そして、再び着席しながら地図を卓に広げた。


「生と死の境界線に近づきすぎると、太古の昔に人間社会を脅かしていた魔がまた出てくるかもしれません。森深くまではやめておいたほうがよろしいでしょう」

「うん、ジョセフに会った時に、マニョール人とは交渉にならないと忠告を受けているから、彼らの領域には手を出さない。こちらと協力してくれる部族が許可をくれた地域だけを対象とするつもりだ」

「……では、事業計画を作成しておきましょう。予算も試算します」

「頼むよ。予算は大枠で出しておいてほしい。工面はどうしようかな? 取り急ぎの着手にも金がかかるから、それを集めないといけないな……」

「国内の商会で、金融業をやっているところに相談してみては?」

「担保で鉄を取られたら詰む。少し……考えさせて」

「ええ、ですがあまり時間が経つと……物事には必ず期限があります。そうと認識していなくとも……です。お気をつけくださいね」

「やはり、商人たちを招き入れて、彼らに投資をしてもらい設けてもらうほうがいいかな? ……彼らからの税収を、開発予算に回して……次第に当家主導の割合を増やしていくほうがいいかな?」

「体力のある商人でなければ無理でしょう……組織で動く商会を誘わねばならないでしょうが……現在の当家が声をかけたところで笑われるのがオチです。いくらかはこちらで育てて、将来性があることをわかりやすく伝えねばなかなか厳しいのでは? 若の案ですと、投資とそれに伴う危険性を商会に丸投げですから、警戒されませんか?」

「……忠告、ありがとう」


 アルヴェールは耳に痛いことを言ってくれる婆やに、感謝を伝えたが表情はふてくされたものであった。




 -scene transition-




 五月一日の正午、一騎の騎兵がラスカ郷に入った。


 彼はまっすぐに城へと向かい、城門の前で用件を叫ぶ。


「ベルターク侯爵閣下の遣いである! 半刻ほどで到着するゆえ、城門を開けて頂きたい。以上」


 これを聞いて、アルヴェールは侯爵の代理がご到着だとエレナに言い、彼女に庶務を任せて出迎えるべく絹服の袖に手を通す。


 城に常駐している兵の数は四個小隊で、一個小隊ずつが交代で働くが、この時ばかりは四個小隊がそろって働いていて、使用人たちも忙しくしており、城の中はひっくり返した騒ぎとなっている。


 広間には、普段はとても食べられないような豪華な食事を並べるための卓が置かれ、椅子も大袈裟なほどにたくさん並べられた。


 厨房では、料理人たちが今日のために仕入れた材料をさばいている。


 地下倉庫ではレオンが、酒はどれにしようかと棚に並ぶ酒瓶を見比べていた。


 城の門に、アルヴェールが自ら出て待つこと半刻で、ベルターク侯爵の一行が到着した。


 本来であれば、ベルターク侯爵側がアルヴェールを呼んでもかまわない。それほどの身分差であるが、代理の者をたてたとはいえ、侯爵側がラスカ伯爵家を訪れたというのは、これそのものが侯爵の感謝がとても大きいものであることを証明している。


 よって、代理の者といってもただの家臣ではなく、有力な譜代家臣だろうとアルヴェールは予想していた。


 騎士たちが停止し、次に馬車が停車した。そして、開けられた扉から現れた男を見て、アルヴェールは考えるよりも早く片膝をつく。


(おい! 本人じゃねーかよ!)


 一礼するアルヴェールに、ベルターク侯爵ウェイルズが駆け寄りアルヴェールの肩を抱く。


「頭を下げるのはこちらだ、アルヴェール殿……いや、アルヴェール、ひさしぶりだな」


 五十半ばの侯爵は、整った顔立ちで髭の形もよい。長身で細身の貴人だが、アルヴェールの肩を抱く手は剣を握る手である。


 アルヴェールは、懐かしさもあって親しみを声に込める。


「閣下、ご無沙汰しております」

「おい、よしてくれ。堅苦しいぞ」

「おたわむれ――」


 アルヴェールが思わず言を止めたのは、侯爵本人に続き、馬車から降りて姿を見せた美女のせいであった。


 長身に金色の長髪を誇るように降りたった彼女は、アメジストを思わせる輝きを発する瞳をアルヴェールに向けると、一度だけ瞬きをして、勢いよく駆け寄ってきた。


 その美しい顔は、喜びで満たされている。


「アル!」


 美女――ロゼッタは、自分の父親からアルヴェールを引き剥がすと、彼を抱きしめその背中を何度も叩いた。


「イダダダダダダダ……」

「さすが! さすが! よかった……よかった! アルが無事でよかった!」


 娘に恩人を取られたベルターク侯爵ウェイルズが、微笑みながらアルヴェールに言う。


「娘はいつも、お前が出征するたびに心配していたんだ。君のお父上のこともあって、なかなか君も王都に出てこられなくなっていたし、会えなかったからな……連れてきた」


 解放されたアルヴェールが、背中が赤くなってるはずだと愚痴るのを見て、ロゼッタが笑う。


 しかし、彼女はとたんに真面目な顔になり、次に涙を流した。


「無事でよかった……よかったよ、アル……アルが無事でよかった」


 心からの安堵がロゼッタに涙を流させ、アルヴェールはズキリと痛む胸に苦労する。


(……そんな顔、見せんでくれよ……もう)


 内心を隠す彼は、侯爵と娘に改めて一礼した。


「遠いところをありがとうございます。さ、中にどうぞ。食事の用意をしています」

「気を遣わせてすまんな。食べながら、話をしよう。これからのことで、少し相談したいこともある」


 ベルターク侯爵の言に、アルヴェールは二人を先導すべく歩きながら問う。


「また戦争ですか?」

「避けられない。ミュルーズが包囲された……王陛下の増援策はもう覆りようがなくなった……仕方ないことであるが、ミュルーズが陥落すると財政云々と言っていられんしな」


 アルヴェールの案内でウェイルズとロゼッタが広間に入る。彼女は、大きな卓ではなく、隅っこに寄せられていた小さな円卓を指し示して言った。


「あの円卓、ちょうどいい大きさ。お父様、あれにしよう」

「お前はもうちょっと女らしい言葉を使え」

「服装は譲歩してあげたんだから、そっちも譲歩しなさい」


 アルヴェールは懐かしくて、自然と笑っていた。


 士官学校に通っていた時、休日はよくロゼッタに誘われて、彼女の家、つまりベルターク侯爵家王都別邸に遊びに行っていたのだ。そこで彼女の父親である侯爵本人や、母親の他、兄弟たちとも面識を得ていた。


 士官学校でいじめられ、社交界で居場所を失っていたアルヴェールが、それでも王都で暮らし、笑うことができていたのは、ロゼッタと彼女の家族がいたからだと改めて彼は感謝を覚える。


(とはいっても、本人が娘つれてくるとは思わなかったわ……)


 内心を隠すアルヴェールが、小さな円卓を広間の中ほどに運び、それに三人でついた。そして、運ばれてきた料理を楽しみながら、思い出話もひとくぎりがついた頃、ウェイルズが杯を眺めながら、アルヴェールに尋ねる。


「俺と陛下の関係が、よくないことは耳に入っているかな?」

「恐れながら……」

「悲しいことに事実だ。しかしながら、あちらもこちらを立てないわけにはいかぬゆえ、増援に関して、俺主導で編制をおこなうことで落ち着きそうだ。ミュルーズを解放するために、大きなものとなる」


 アルヴェールは、ロゼッタが切り分けてくれたチーズを齧りながら頷き、口を開く。


「いかほどの規模になるのでしょうか?」

「正規軍を五〇〇〇以上、追加で出す。各国も出す。二万から二万五〇〇〇は集まろう。夏前には……ミュルーズは包囲されているから、真夏になると……地獄だ。それまでになんとか、包囲するイ軍を追い払い、都市を解放したい」


 アルヴェールはベルターク侯爵の言から、彼が自らここに現れた理由がわかった。そこには、顔見知りであったからというものも当然あるだろうが、ウェイルズとて政治家である。私情のみで時間を費やすことはしないだろうと理解できた。


「閣下、その増援に参加せよ……と仰せになられますか? 俺に……」

「すまぬ。今、お前は国内外で有名になった。まず兵士が喜ぶ。頼まれてくれないだろうか?」


 ウェイルズは、言いながらチラリと娘を見る。


 ロゼッタは、蒼白な表情となっているも、口を挟むことなく感情を堪えていた。


「ベルターク侯爵閣下の頼みとあれば、二つ返事でお受けいたします。閣下に頼って頂くなど末代まで自慢できるというものです」

「無事に帰国したばかりというのに、すまん……ただ、できる限りのことはする。相続の手続きは王宮にて最短で処理するように手配するし、他に希望があれば聞く。今回の恩賞なども、アルヴェールに望みがあれば聞こう。ただし……」


 ウェイルズはここで言葉を止めて、ロゼッタを見た。彼女はアルヴェールが再び出征とあって消沈していたので、彼は彼女を笑わせようと、質の悪い冗談を言うことにする。


「……娘をくれと言われたら、それは駄目だ」

「……お! お父様!」

「顔をあげてくれたな」


 笑うウェイルズに、赤面するロゼッタと呆れるアルヴェールは、侯爵につられるかたちで笑い出し、やがて三人で葡萄酒を注ぎあってまた笑った。


 ベルターク侯爵が、窓から望める庭を眺めて口を開く。


「懐かしい。あの頃、お前たちの碁を観戦しながら葡萄酒を飲んでいた……馬鹿話をしながら……アルヴェール」

「はい」

「褒美、何がいいか?」


 アルヴェールは姿勢を正して、一礼をすると述べる。


「では、税と開発の自由をお許しください」

「……」


 ウェイルズは、真っ直ぐにアルヴェールを見つめる。


 アルヴェールは、彼の視線から逃げなかった。


「わかった。叛意があって望むわけではないと、お前だから俺は言える。計画を教えてくれたら、許可する」

「承知しました」


 アルヴェールは言う。


 ラスカ伯爵領は、このままだと破産してしまうと。それはすぐになるわけではないが、鉄が取れなくなったら真剣に悩まなくてはいけなくなる。先祖からの土地、家、領民をそのような目に遭わせるわけにはいかない。


「よって、継続性のある収益力を得たいのです。複数の稼ぎを得れば、ひとつひとつがその時は落ち込んでも、全体では大きな負にはならないでしょう。また、戦乱の世です。物が売れる時代でもあります」

「わかった。販路は考えているか?」


 アルヴェールは項垂れた。


「そこはなんとか、商いを育てていかないといけません。残念ながら、俺の領地には貿易や開発ができるほどの商会がありませんので」


 ベルターク侯爵は頷くと、杯の葡萄酒を飲み干した。


「よし、俺の領地で商売をする商会の会長たちに声をかけておこう。ラスカ伯爵領で儲け話があるがのるか? と問えば、興味をもつに違いない」


 アルヴェールは、思わぬところで悩みのひとつが消えそうだと喜色を浮かべた。


「ありがとうございます」

「うまくいけば、俺も嬉しい。さて……おい!」


 ウェイルズが、部屋の外に声をかけると、護衛の一人が現れてメロンほどの大きさの革袋を手にしていた。彼はそれを、一礼の後に卓上に置くと室を辞した。


 ウェイルズが、革袋を手にしろと顎でしゃくってアルヴェールに促す。


 ずしりと重い中身は、金貨だった。


「閣下……」

「軍資金の当てにしてくれ。減るものではない」


 ウェイルズの言いように、アルヴェールは微笑みで応じる。


「では、アルヴェール、君のお父上にご挨拶をさせてもらっているから、ロゼッタを頼むよ」


 ウェイルズの言で、昼食会は終わった。


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