領内を見てまわる
帰郷した翌日、アルヴェールは摂政へ手紙を出した後、レオンを伴って領内を見てまわることにした。
生と死の境界線は、春だというのに山々の山頂から中腹にかけて雪で白い。巨大で剣呑な山脈の南側は広大な森林で、その南にラスカ伯爵領がある。そのやや南側に伯爵家の城と、それを中心とした城下町があり、周辺は農場である。これには特に名前などついていないが、それでは不便なので昔からユースタスと呼ばれているが、意味は誰もわらかない。
ユースタスから西へと向かうと海に出るが、湾が連続する地形があり、ここにいくつかの漁村が点在している。ここもラスカ伯爵領内で、ユースタスと漁村は馬車を通すために道で繋がっていた。その道の両脇には等間隔で木が植えられ、急な雨風を凌ぐために使えるようになっている。そして、ユースタスと漁村のちょうど真ん中あたりに、宿場町があり、往来する者相手に商売をしていた。
四月二十一日の朝に、ユースタスを出たアルヴェールとレオンは、昼過ぎにこの宿場町に入った。
昼食を取る間、二人の馬の世話を鍛冶屋に頼むと、食事をするなら蹄交換を割引すると聞いて躊躇なく依頼している。
食堂には幾人かの先客がおり、二人は窓際に座った。
「これは、若様」
注文を取りにきた老婆が、アルヴェールをみて目をまん丸くしていた。
「ちょっとね。おすすめは?」
「牛のすね肉の葡萄酒煮込みが美味しいですよ」
「じゃ、それをふたつ。飲み物は水で」
老婆が去り、レオンが口を開く。
「ベルターク侯爵は、いつ来られるんです?」
「閣下は来られないだろ。五月一日とは答えておいたけどさ……代理の人が来るよ」
「……若、あの時、ロゼッタ様がいるんじゃないかと思って助けたでしょ?」
「……」
曖昧な言い方をしたレオンであったが、アルヴェールには、彼が言う意味の全てを理解できていた。
だからアルヴェールは、運ばれてきた水を飲むことで返答を誤魔化す。
レオンが再び、口を開く。
「あのロゼッタ様なら、戦場に出ていても不思議じゃないですからね」
「レオン、失礼だぞ」
「すみません」
「でも、その通りだ。ロゼッタ様がいるのではないかと思った」
「やっぱり……もしかして――」
「やめろよ、恥ずかしい。相手は侯爵のご令嬢だ、馬鹿」
「若も伯爵のご子息です」
「天と地の開きがあるよ」
「……開きがなければ、そうなりたいってことですか?」
「俺も男だからね……美人には弱い」
「いい逃げ方です」
レオンのからかいに、アルヴェールは「うるさい」と言い、窓の外を眺める。
穏やかな陽光の下で、道を往来する人たちの数は少なくない。
ユースタスと漁村、周辺の農場、その他の未開発地域をあわせて一万人ほどの人々が伯爵領で暮らしている。アルヴェールは、彼らの生活を守るためにも、自分は富を得て、力を持ちたいと考えていた。
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昼食を終えて、漁村で一泊をした二人は北に向かう。
道中、レオンが尋ねた。
「漁村を港に開発なさりたいので?」
「残念ながら、航路から外れているから寄港する船がない。山脈の北が異国だったら賑わうだろうけどね」
「何をお調べになりたかったので?」
「こちらの荷を運び出すことに使うことはできるということを知りたかったんだ」
「どこから、どこに?」
アルヴェールは、進む方向を指でさし示して言う。
「山々の麓から材木をアイラ島や、他国に船で運んで売りたい」
「……王家が怒るのでは? 林業は王家の収入の助けですよ」
「俺がするのではないよ。商人たちがしてくれる。俺は税をもらいたい」
「……商人はどこに? 我が領内に貿易ができるほどの商会はありません」
「今すぐにポンポンと全てがうまくいくもんじゃないのはわかってるよ。神話じゃあるまいし」
「そうですね。こういう時、神話なら絶世の美女が賊に追われていて、俺たちが助けます。その美女は実は商会のご令嬢で、俺たちは恩人になって、協力させてくださいと言われて……共同作業の中で俺は惚れられて、全てがうまくいきます」
「レオン、妄想も過ぎると毒だぞ」
「妄想するだけは罪にはなりませんよ」
「だいたい、こんなところを一人でうろうろしているご令嬢なんていないよ」
二人で笑い、馬たちもつられて嘶いた。
しばらく北に進む。
山々が近くなり、広大な森が広がる光景を前に、二人は馬をとめる。小高い尾根の上で、彼らは先が見えない森に溜息をついた。
「若、この森には、すでに滅んだとされる魔人が生きていると言われていますが、これを見ると信じてしまいます」
「彼らは個々では我ら人間を凌いでいたけど、我々は集団で戦うことに長けていたから、彼らは滅んだとされている……か」
「若、森の部族……亜人種でいうと有名なネルデール人の他は、どういう人たちが多いんです?」
「俺も全ては知らないけど、マニョール人、トロプス人と呼ばれる人たちだ……魔との戦いの時だけは、一時的に俺たちと彼らは協力関係だったらしい……だけど、やはりいろいろと難しいんだろうな。異文化、価値観の違い、信仰、全てが違う者たちが手をとりあってなんて、善人の妄想の中だけの世界だろう」
「ネルデール人の女性は美形が多いと聞きます。俺は仲良くできますよ」
「言ってろ」
アルヴェールは笑い声をあげて、東の方向へと馬首を転じた。
レオンが続く。
「この方向、鉱山を見ていくんですか?」
「もちろん。親方にも挨拶しておく」
二人はそのまま、良質の鉄がとれるラスカ鉱山に向かう。
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ラスカ鉱山は、森を切り開き開発した鉱山で、地下へともぐること深く、長い坑道となっている。良質の鉄がでることが有名で、採掘量の四割を王家へ税として納めているが、これがあるからラスカ伯爵家は破産から免れているといえた。でなければ、納税のために資産を切り売りするしかなかっただろうからだ。
鉱山に向かう途中、五百人ほどが暮らす大きな村があり、二人はそこを訪ねた。夕刻ということもあって、鉱夫たちは作業を終えてあちこちで酔って騒いでいる。
酔っ払いの一人が、アルヴェールに気付いた。
「お! ぼっちゃん! 親方に御用で?」
「ああ、そうなんだ。戦争から帰った報告と、今後のこともあるから」
「戦争の時、俺たちに声をかけてくだせぇよ! 敵をぶっ殺してやりますよ!」
「お前らが戦争いったら、誰が掘るんだよ! こっちのほうが大事だ、しっかりやってくれ」
「がはははは! あ、馬、預かります! おい! わけぇの! 手伝え!」
酔っ払いが、若い酔っ払いを呼び、アルヴェールとレオンは感謝を伝えてその場を離れると、鉱山を取り仕切るジョセフを訪ねた。
彼の家は、集落の中では比較的まともなものだ。
レオンが、玄関を拳で叩いて声をあげる。
「ジョセフ殿! レオンです。若も!」
「おお!」
野太い声が中から聞こえ、少し待つと、大柄な男が二人を出迎える。筋肉隆々の彼はアルヴェールとレオンの背中を歓迎で叩き、二人は咳込みながら室内に入る。
「ご無事でよかったですよ、若。弱ぇから戦のたびに心配してますんで」
「ああ、昨日、帰ったんだ」
アルヴェールは招かれるままに中に入り、子供の頃から通うここは全く変わらないと目を輝かせる。
通された居間には無駄なものがなく、酒、刻み煙草、煙管、そして酒が入っていたはずの空き瓶だ。
「酒、少しは減らさないと身体に悪いぞ」
アルヴェールの注意に、ジョセフは笑う。
「今さら気をつかって長生きすりゃ、若が戦に連れて行ってくれますかね?」
「それは無理な頼みだ」
「だったら、好きにします」
三人で笑う。
それから鉄の量の傾向、鉱山を掘り進める方角や深度と角度のこと、人員に関してなど話し合う。
三人でずいぶんと酒を飲み進めた頃、アルヴェールがジョセフにある頼み事をした。
「そういえば、生と死の境界線の麓、森で暮らす人たちと交渉をしたいんだ。親方は昔から彼らと取引をしていただろ? 窓口を作ってもらえないかな?」
「森? ……まぁ、向こうは、話くらいは聞くと思いますが……どんな用で?」
「開発したいんだ。新たな鉱山があるかもしれないし」
「相手にとっての利益はなんです?」
「利益を折半とすれば、向こうも助かるのではないかな?」
ジョセフは腕をくむ。
彼は、なんと話せばいいかと悩んだが、諦めて思うところを口にした。
「若、それならばネルデール人と交渉したほうがいいでしょう。彼らはまだ現実的で、俺らと取引をすることに抵抗はない。マニョール人は駄目だ。森とともに生きるという彼らは、他の部族とも対立していて、その領域に他の者が入ると問答無用で……」
ジョセフは首をかき切る所作をしてみせる。
「わかった。ネルデール人なら、レオンも仲良くできるそうだから助かる」
レオンが咳込み、酒を溢した。
「馬鹿タレ、もったいねぇことすんな」
ジョセフの注意に、レオンが咳込みながら謝罪する。その横でアルヴェールがジョセフに考えを話し始めた。
「木材を活かした産業をおこない、鉄の他にもうひとつ、柱を作りたいんだ。あと、木材を伐採した地域を農園にすることで、収穫量を増やせるかもしれない。鉄、銅、もしかしたら金や銀が見つかるかも……というのは可能性の話だけど、動きださないといつまでたってもお話だけで終わるから」
「資金は? そもそも、王家が開発事業を許可くれますかね?」
「じつは……」
アルヴェールが、これまでの経緯をジョセフに話す。
「……ということで、褒美は税制と開発の自由を求めようと思っているんだよ」
「わかりました。よく取引をするネルデール人の部族のひとつに声をかけておきますよ。彼らは横で繋がっているから、ひとつに声をかけると広まる。交渉次第でのってくると思いますが……少し時間をください」
「頼むよ。無理をいってすまない」
「なに、こんなの無理には入らねぇですよ。鉄を倍にしろと言われると、両手をあげて降参しますがね」
三人は笑いあい、それから酒がきれるまで飲み続けた。