帰国したいんです
ベリウスは機嫌よく祝杯を傾けていた。
旗下の軍勢はほぼ被害がないままで、連邦の一個軍団を壊滅させることに成功したのだから無理はない。彼は明るくなってから全軍を停止させ、兵たちに休憩を取らせよと命じると、自らは本陣幕舎に主だった幕僚たちを招き、短い宴を開いた。色がない地味なものであるが、酒と珍味が彼らを酔わせ、満足させる。
「皆、よく戦ってくれた。これでミュルーズまでの道に敵の主だった軍はおらん。一日、しっかりと休み西進を再開する」
夜通しの大規模夜襲からの追撃線を成功させた興奮で、皆が明るい声を出す。
ベリウスは杯を傾け、ナッツを齧りながらバイアンの耳打ちを聞いた。
「殿下、ドリーフナのところの現場指揮官によると、第五師団の全滅を救ったのは一個中隊規模の隊であったそうです。昨夜の……あれではありませんでしょうか?」
「……で、あるか」
ベリウスは視線を転じてバイアンの横顔を見る。老騎士は、目を伏せて責めているわけではないと示すことで、ベリウスの笑みを受ける。
「爺やの言に従ったほうがよかったかもしれんな……すまん」
「とんでもありません。十分な戦果であります」
「……完璧なものなどこの世にはないが、完璧を目指すならバイアンの意見を受けるべきだった。すまぬ。ドリーフナと、その現場指揮官を呼べ」
イースガリア王国の強騎士位をもつドリーフナが、彼の部下であるマクアリスタを連れてベリウスの脇に控えた時、第二王子はシングルモルトが入った杯を傾けていた。
「殿下、お待たせいたしました」
偉丈夫のドリーフナが片膝をつき、その後ろでマクアリスタも同じくそうした。
「その者が、連邦の部隊とぶつかった者か?」
ベリウスの問いに、マクアリスタは一礼で応えた。
「名は?」
「マクアリスタでございます、殿下」
「では、マクアリスタと呼ぼう。マクアリスタ、どうであった?」
「は……手強い印象を受けました。こちらが油断していたところもありますが、あの状況の中で、組織としての行動が取れていたのは驚愕です」
「……なるほど、読んでいたな?」
ドリーフナ、マクアリスタ、そしてベリウスの背後に控えるバイアンも首を傾げた。その彼らを眺めて黒太子は口を開く。
「わからんか? その部隊の指揮官は、夜襲を読んで備えていたのだ。であるから、恐慌状態の自軍の中でも、部下たちをまとめて動けたのだ」
「……夜襲を? しかし、これほどの夜襲は戦史上でも滅多にないことです」
バイアンの言に、ベリウスはシングルモルトを口に含み、香りに満足した表情で答える。
「ま、俺がどうして全軍を逃げるように見せかけて後退させ、敵が喰らいつくようにして国内に引きずり込んだか……を見抜く奴がいたというわけだ。だがそいつは、全軍を率いる者ではない。そして、そいつの言を容れる司令官ではなかったのだろう。天神は昨夜、俺に味方したというわけだ」
そう言った第二王子は、連邦軍のその士官に興味をもった。
「マクアリスタ、その部隊の軍旗は?」
「たしか……一角獣の両側に麦の穂、金色の縁取りです」
「やっぱり奴か!」
ベリウスは興奮で立ち上がると、脇に控えるバイアンを見る。
老騎士は頷きを返すのみだ。
黒太子は、戦ってみたいという欲求が強まる自分に笑っていた。その笑みのまま、ドリーフナに尋ねる。
「追えば、そいつは戦うかな?」
第二王子の問いに、ドリーフナが一礼し口を開く。
「は……戦うでしょうが、全軍に休みを言い渡した後です。働けと指示を出すと、不満が続出するでしょう。士気が落ちます」
ベリウスは、ドリーフナの提言は尤もだと認める。
「……そうだな。俺の関心事で兵たちに迷惑はかけられん。すまんな……もういいぞ」
離れる騎士二人の背を眺め、ベリウスは老騎士に言う。
「ミュルーズを優先だ。その者が生きていれば、必ず会えるだろう。俺が連邦を攻めるかぎり、戦いがなくなりはしないのだからな」
「は……次は、必ず殺りましょう。生け捕りなど甘いことがかなう相手ではないと見受けします」
「わかった、わかった……老人は本当に心配症だ」
ベリウスの笑みを受けて、バイアンは皺が刻まれた顔を一礼で隠した。
-scene transition-
アルヴェール率いるラスカ伯爵中隊が、無事に国境を越えて連邦領に入った時、いくつもの騎兵小隊がラスカ伯爵中隊とすれ違うように東へと向かっていた。
ミュルーズにいた第六師団が斥候を東へ放ったとみたアルヴェールは、なんとか無事に合流できそうだと笑みをうかべる。
「若、上層部はどうするでしょうかね?」
レオンの問いに、アルヴェールは頷きながら口を開く。
「再編だろう。五つの師団で構成されていた軍団が壊滅状態……すぐに反撃なんて無理だね……再編してミュルーズの防衛戦力にしつつ、連邦は増援派遣……じゃないかな?」
二人を先頭に、ラスカ伯爵中隊が第六師団へと近づく。すると、第六師団の兵達がアルヴェールたちを迎えるために、座っていた者は立ち、拍手を始めた。それは次第に広がり、連なり、やがて師団全体が彼らを称えるような歓迎をする。
先にここへと到着していた第五師団の敗残兵たちが、アルヴェール率いるラスカ伯爵中隊の奮闘で生還できたと話し、広めていたことで、第六師団の兵たちはアルヴェールたちに敬意を抱いていたといえる。
「ハイランドの勇者!」
「アルヴェール卿を称えよ!」
第六師団の兵たちが、口々に叫んだ。
一人の兵が、アルヴェールに駆け寄り頭をさげる。
「第五師団に弟がいたんです! 貴方のおかげで、助かりました。ありがとう。ありがとうございます!」
アルヴェールは、感謝で涙する青年兵士に笑顔で応じるも、内心では複雑だった。彼はもっと助けることができたのではないかと思っている。自分の兵士たちの命を優先する判断をしたが、それは他者の命を切りすてることに繋がる。そうだとしても、己の決めたことは間違っていないと信じるも、心から喜べるものでもないし、兵たちの賛辞を素直に受けるには死人が出過ぎた敗戦だった。
(ふざけた奴らが軍団、師団の指揮権を持ってることが罪だ)
アルヴェールは、内心を笑みで隠し、兵たちの歓声の中を進んだ。
第六師団本部付の伝令が、アルヴェールを見つけて駆け寄って来る。
「ご苦労様です。お疲れのところ恐縮ですが、師団長閣下と会って頂きたい」
「承知しました。あの……部下たちが休める場所を……」
伝令が一礼し、周囲に怒鳴る。
「暑苦しい! 場所をあけろ! 食物と水! 怪我人の治療も急げよ!」
第六師団の兵たちがさっと割れて、ラスカ伯爵中隊のために場所をつくると、食料や水、医薬品などが運ばれ始めた。
アルヴェールはレオンにその場を任せ、師団長が待つ幕舎へと急ぐ。
「ラスカ伯爵の子、アルヴェール、入ります」
「どうぞ」
幕舎の中には、五名の男たちがいて、アルヴェールが入るなり皆が拍手をする。そして、最も年長と思われる男が彼に歩み寄り、椅子を勧める所作をしながら名乗った。
「第六師団を預かるカリウスだ。目もあてられない敗戦だが、君の勇戦は逃げる者達に時間を作ったと聞いている」
「ありがとうございます。敵が面食らっただけのことで、大したことはしておりません」
アルヴェールは立つことを選び、カリウスは頷くと本題に入った。
「シュトラウス少佐から聞いた。君は夜襲を受ける前、デストア少将に夜襲の可能性を訴えていたそうだが無視されたと。あれがもし、受け入れられていたら結果は変わったと思うか?」
「もしも……あの時ああすればと過去を論じるのはなかなかに難しいことですが、肯定か否定かの二択であるなら、前者であろうと思われます」
「根拠はあるかね?」
「私の部隊は戦う準備ができていたので、すぐに対応することができました。甲冑を脱ぎ、眠りこけていては無理でしょう」
「なるほど。ありがとう」
カリウスはそこで、側近に記録をとるようにと目配せする。
アルヴェールは、どうしてそんなことを尋ねるのかと思い、そのまま口にしていた。
「しかし、閣下……どうしてそんなことをお尋ねになるのです?」
「ん? ああ、まだ知らないか。無理もない。デストア少将は軍法会議にかけられる。罪状は敵前逃亡だが、奴が言い訳に使いそうなことを潰しておきたいと思ってね」
「言い訳?」
「卑怯者は、我が身を守ることに長けている。夜襲の可能性を事前に耳にしていたことの証言を、提言した本人と、同席していた者からとりたかったのだ。迷惑はかけない」
「いえ、二発殴られたので、存分にやってください」
アルヴェールの言に、カリウスは苦笑で応じ、部下に命じた。
「はやり追放処分を提言すべきだな。書類をやり直せ」
「は」
「ところで、アルヴェール卿。なにか望みはあるかね? 第五師団の他、生き延びることができた複数の部隊から、貴公の中隊に特別なはからいをと求める声が俺のところに入ってきていてね。望みがあれば、叶えてやりたいのだがね」
アルヴェールは迷うことなく、帰国したいと口にする。
「帰国をお許しください。父の病篤く、生前相続手続きの最中で今回の出征です。俺が帰らないうちに父になにかあれば……お願いいたします」
「そうか……君には残って戦ってもらいたかったが……事情はわかった。よろしい。帰国を許可するが……それならば早くに発て。連邦首都の本部からは、残存兵力を再編させて、ミュルーズ防衛という方針が報せで来ているからな……のんびりしていると、組み込まれるぞ」
「ご助言、感謝します。ありがとうございます」
こうして、アルヴェールと彼の部下たちは短い休憩をとっただけで帰国すべく発ったのである。