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後退戦

 夜襲は仕掛ける側の錬度と士気が高く、指揮官の能力も高いことが成功の条件であるが、この時のイースガリア王国はこれらを全て備えていた。


 イースガリア王国軍二万二〇〇〇は、北方五カ国連邦軍二万三〇〇〇を圧倒する。この数字は、全兵力であるから戦闘に参加する兵力だけとなると、イースガリア王国軍は一万三〇〇〇から一万五〇〇〇という規模で、連邦軍は一万五〇〇〇以上であった。


 攻撃されたほうの連邦軍は五つの師団で構成されていたが、最も南に位置していた第五師団が反撃すらできないまま一方的に攻撃された。これによって後退ではなく、生きるために逃げ惑う兵士たちは自然と、味方の師団がいるであろう方向へと一目散に向かったが、多くの者は夜ということもあり、見当違いの方向へと逃げ出してしまっていた。それがさらに彼ら自身と味方部隊の混乱を強めていく一方で、少数の運がいい者達は他の師団陣地へと逃げ込むことができたのである。


 連邦軍の各師団は、逃げ込んできた第五師団の兵らを迎えて、また南の方向が火災で明るくなっていることから、これはまずいと迎撃準備に励んだが、そこにイースガリア王国軍騎兵連隊が猛攻を仕掛けた。


 連邦軍第五師団の周囲に展開していた四つの師団に、イースガリア王国軍の四つの騎兵連隊が突撃し、混乱する連邦軍各師団へとイースガリア王国軍本軍が肉薄し、弓矢と剣、槍、戟、斧によって連邦軍兵士たちはバタバタと倒れた。


 丘陵地帯は広範囲で火災が発生し、連邦軍兵士たちは敵と炎に追われながら懸命に逃げる。


 この中で、アルヴェールは第五師団本部の部隊と合流を果たしていたが、師団長デストアはすでに退避していると知った。そして、逃げる味方を助けながら戦い、後退する部隊を指揮するのは、士官学校の先輩アルネ・シュトラウスであるとも知ることになる。


「先輩……お疲れ様です」

「アルヴェール君、無事だったのね!」

「ええ、他の方々は? お姿が見えませんが?」


 アルヴェールの問いは、問わずともわかることをあえて口にしたというもので、アルネは後輩を咎めるような視線となるも、口調は冷静さを保った。


「退避なさったわ。誰もいないからわたしが最も上の階級。策を言いなさい」

「策もなにもありません。こうなっては逃げるだけに集中しますが、俺の部下達と正規軍を混成させるには時間が足りません……混乱の元です。先輩はこのままどうぞ指揮をなさってください」

「いいわ。で、助けてくれるのよね?」


 汗で濡れた彼女の髪が、喋るたびに滴を散らした。


 アルヴェールはレオンを見る。


「どうだ? 兵たちの疲労は?」


 アルヴェールは、レオンの指揮能力、管理能力を信用しているから、配下の者達の状況を知りたい時、必ず彼に確認する。レオンもそうされることが当然と思っているので、後退中はアルヴェールの補佐をしながら、各小隊の速度、隊列、様子をつぶさに観察し、把握していた。


 レオンは自信をもって答える。


「ほとんど後退していただけなので疲労はそこまで濃くありません。それに、敵さんは後方の別の師団にも攻撃しているようで、大崩れをしていますが実はそうまでの圧力は――」


 レオンはそこで口を閉じたと同時に、右手の剣を一閃する。


 アルヴェールは、飛来していた敵の矢が自分に届きそうであったところを、副官によって叩き落とされたと知った。


「――ありません。少佐殿はこのまま味方を収容しつつ後退してください。我々が殿しんがりとなります。で、いいんですよね?」

 副官は、地面に転がる矢を眺めて言を続けていた。


 アルヴェールは頷き、各小隊の士官たちに届くように声をはりあげる。


「おい! 正規軍の後退支援だ。敵の攻勢を我々で受け止める! 死ぬなよ! 命令だぞ!」


 あちこちから笑い声があがり、アルネは疲労のなかでも目を丸くしアルヴェールを見た。


 図太いのか、鈍いのか、どう評していいのか彼女には不明である後輩であるが、彼女は彼と碁のサークルで一緒であったので、アルヴェールはそこらの用兵家よりもよっぽど優秀であると思っている。


 彼女は頷き、自分を納得させる。


「アルヴェール君、無理を言ってごめんね」

「大丈夫ですよ、さ、早く」

「え……ええ。お願い。なるべく兵たちを帰還させたい」

「それは、俺もですよ」


 アルヴェールは答え、盾を左手に持つレオンの左側に立つ。何かあれば、必ず副官が自分を守ってくれると信じる中隊長は、後退を停止して命令を待つ各小隊に命じる。


「よし! 味方の撤退を支援する! あちこちで大地が燃えているが、炎、黒煙でこちらの動きを隠すこともできる! 火傷するなよ! それから、敵の射撃の合間に応射だ! 撃ってきた先に敵がいる。撃ち返せ! それから盾にささった敵の矢は大事にしろよ!」


 アルヴェールの中隊が、一頭の獣のような雄叫びをあげてゆるりと前進する。それは後退する第五師団本部付大隊と、逃げてくる兵士達とすれ違う動きとなり、イースガリア王国軍は予想外の出来事に追撃しながら動揺した。


「撃て!」


 アルヴェールの怒声と同時に、中隊の隊列前衛を覆い隠していた盾の壁がさっと割れて、弩を構えた兵士たちが矢先を敵へと向けている。


「げ!」

「矢だ!」


 イースガリア語の悲鳴が、王国軍前衛で連なり、彼らは直後、弩の斉射の餌食となった。木製の盾を貫通した矢が、イースガリア人たちの肉を破り、内臓を破壊し、骨を砕く。ある者は腕を半ばで失い、ある者は顔面の一部を欠損して痙攣しながら地に伏せた。


「後退!」


 アルヴェールの指示で、ラスカ伯爵中隊は再び、盾の壁を瞬時に再生すると、追う速度を落とした王国軍との距離を開く。


「矢で射殺せ!」


 イースガリア王国軍の士官たちが叫び、弓兵たちが長弓をかまえ、一斉に空へと放った。


「来るぞー!」


 レオンが闇夜を睨み叫び、発射音と距離、風の方向と強さから矢が到達する瞬間を計る。


「今! 盾!」


 レオンの怒声は、彼がアルヴェールと自らを盾で守ると同時に発せられた。


 一瞬後、強い雨が落ちてくる時のような轟音と共に、雨よりもずっと危険な鋼の脅威がラスカ伯爵中隊へと降り注ぐ。


「動くなよ! 動くな!」


 ドッドッドッドという一定の律動で彼らを襲う鉄の雨が止むと、中隊の前衛が再び盾の壁を開いた。


 弩から長弓に武器を替えた兵士たちが、お返しの矢を追っ手へと放つ。数こそ敵に比べて少ないが、これまでただ逃げていた連邦軍が初めて抵抗するとあって王国軍兵士たちは意識がきりかわらない。


「矢の援護で接近するぞ! 戦っている敵は少数だ!」

「前進。矢の援護で肉薄する」

「攻撃! 敵は少数、びびるな!」


 イースガリア王国軍前衛部隊群を率いる各士官たちの判断で、対第五師団にあたる王国軍前衛一〇〇〇が矢を放ちながら追撃速度をあげた。駆け足となった彼らは、前方の小隊群を睨み、多くても中隊規模しか戦っていないとわかったが、その規模の敵が信じられないくらいに強かった。


 燃える大地を障害物にみたてて、攻撃側が包囲できないようなルートをとりつつ、移動しながら巧みに戦い続けている。


「ばらばらに行くな!」

「一斉に近づけ! 馬鹿もの!」


 イースガリア王国軍の前衛部隊群士官たちは、兵たちを叱責するように怒鳴ったが、自分たちの読み違いが原因であると理解するがゆえに舌打ちを繰り返す。そこに斥候が舞い戻り、叫んだ。


「敵! 後方で部隊を再編している模様!」

「ちっ! あの中隊規模の部隊のせいで……」


 王国軍前衛部隊群のひとつ、第三中隊を率いる騎士のマクアリスタはかぶとを脱ぎ棄て、大地に叩きつけて感情を露わとする。彼は深呼吸をすると、怒気と共に指示を吐きだした。


「後方に伝令。第五師団の敗残兵を追撃するも苦戦。増援請う。行け」


 彼の指示で、伝令が馬へと飛び乗り東の方向へと駆けた。


 このマクアリスタの認識、いや感覚がじつはズレている。彼と彼の味方たちは苦戦をしているわけではない。しかし、これまで容易に事が進んでいたが、途端に難易度が高くなったことで、普通にやれば押しきれるだろう敵を前に慎重になっているのだ。


 アルヴェールはこれを見逃さなかった。


「敵の追撃速度が落ちた。よし、付き合うな。逃げるぞ」


 言うや否や、彼はくるりと身を翻し駆け出す。その背を守るレオンが部下たちに叫んだ。


「逃げろ!」


 それまで、整然と後退していた中隊の各小隊のまとまりが解け、防御よりも逃げることを優先して走り出した。


 イースガリア王国軍前衛は、それでも追えない。


 むやみに追えばやられるという感覚が、彼らの意識を縛ったのである。

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