知と勇の男女
ハイランド王国暦二〇六年。
長かった冬が、ようやく去ろうかという頃合いの三月中旬。
雪上では、人間たちが激しく争っている。
それは多数と多数が殺し合う壮絶なもので、東から西へと突進するのはイースガリア王国軍兵士たちだ。彼らを迎え撃つのは、北方五カ国連邦軍の兵士たちである。
駆けるイースガリア軍兵たち。
盾をかまえ、声を張りあげる北方五カ国連邦兵たち。
激しい波が岩壁にぶつかるように、両軍の先頭が衝突する。
怒声と罵声と絶叫が、一瞬でわき起こった。同時に、大量の矢が射出される発射音が風を切り、大砲が発する轟音が指揮官たちの鼓膜を刺激する。
イースガリア王国軍の攻勢は激しい。それは司令官として戦場後方に控える第三王子のフィリプが、前進命令を出し続けているからだ。現場の部隊指揮官たちは、他に指示はないのかと困惑するも、ともかく攻撃あるのみだと「前進! 前進!」と叫び続けた。
この考えがないようなイースガリア王国の攻勢を前に、北部五カ国連邦軍はさすがに後退をして被害を最小化しようと努める。連邦軍司令官のカリウス中将は、馬鹿みたいな敵の攻撃につきあう必要はないと周囲に話すとともに、作戦通りにいこうと参謀たちに命じる。
「おびき寄せる必要がないので楽ができる。しばらく後退し、敵が目標地点に到達したら英雄殿に合図を出せ」
「承知しました」
こうして、カリウス中将は巧みに後退し、イースガリア王国軍は攻撃一辺倒で前進を続けた。
丘陵地帯の北側には木々が立ち並ぶ森林が現れはじめ、南側は高低差で見通しがきかなくなった窪みに両軍が到達した頃、カリウス中将の命令に従い、伝令が信号弾を空に撃った。
三発の花火が、厚い雲の下で赤、赤、白と花を咲かせる。
「アル、合図だよ」
「よし、前進する。レオンに合図だ」
アルヴェールの指示に、彼の婚約者であるロゼッタはうなずくと、周囲の伝令へと身振りで行動開始を命じた。
アルヴェールが指揮するベルターク侯爵連隊一二〇〇が、雪原で戦う両軍の北、林の中で行動を開始した。彼らは主戦場から離れた位置にひそみ、戦闘開始とともにイースガリア王国軍の後背を急襲する算段である。
白一色で統一されたベルターク侯爵連隊のなかに、朱色の甲冑が鮮やかなロゼッタの姿が映えた。その隣で、彼女より頭ひとつ背が低いアルヴェールが口を開く。
「目立つから白にしろって言ったのに」
夫となる予定の男に、苦言を言われた美女は華やかに笑い、兵たちもつられて皆が笑った。
彼女は言う。
「白にしてても、美人は目立っちゃうからね。結局は一緒」
「……これからも、戦場に出たがるんだろうね……どうなのさ?」
「アル、弱いから守ってあげるの。感謝してね」
「……ありがとうございます」
戦場で、奇襲を成そうという連隊の指揮官とは思えない緊張のなさである男と、その婚約者に率いられた兵たちは、その先頭がついに林から平原へと出た。ほぼ同時に、少し離れた林から、雪をまきあげ疾走する軽装騎兵の大隊が、北方五カ国連邦軍へと肉薄するイースガリア王国軍の右翼へと突撃する。
レオンに率いられた三〇〇の騎兵は、ベルターク侯爵家の精鋭たちであったが、誰もが先頭を駆けるレオンの技量に舌を巻く。うっすらとはいえ、雪が大地を覆う平原を難なく駆けつつ、弓に矢をつがえ放つと、敵兵に命中させたのだ。
騎兵たちは、英雄の副官に足る実力者だとレオンを認め、戦意を高めて雄叫びをあげると、レオンに続けと速度をあげて敵軍へと突っ込んだ。
騎兵に蹂躙される兵たちは味方の助けを求めるように、我先にと隊列から離れて後方へと逃げ出す。
イースガリア王国軍右翼の混乱は、司令官であるイースガリア王国第三王子のフィリプの苛立ちを招いた。軍後方、近衛連隊に守られた本陣内でフィリプは声を荒げる。
「何をやっている? 愚民ども! お前ら、誰か行って敵を押し返して来い」
彼の側近たちは、皆がお互いを見合って「お前が」「いやお前が」と視線を会話したが、物事が進まない。
フィリプは立ち上がり、腰の剣を抜くと右隣にいた騎士の首へとためらいなく振り下ろす。斬られた騎士の首は鮮血とともに宙を飛び、卓上に赤黒い液体を撒き散らした後に地面を転がり、一人の騎士の足元で止まった。
その騎士は、頭部だけとなった同僚と目があい、喉を鳴らして嘔吐すまいと懸命にこらえる。その周囲で、騎士たちの動揺は、沈黙で表された。
フィリプは返り血で半身を赤く濡らし、騎士たちを眺める。その目に怒りはなかったが、口から吐かれた言葉は苛烈であった。
「敵を前に逃げてくるバカは射殺せ。さっさとやれ」
「ですが、殿下――」
反論しかけた側近騎士は、一瞬で斬られる。甲冑のつなぎ目を正確に断った一閃は、騎士の首から肩を裂くことで、その絶叫と血液と肉の残滓をばらまいていた。
フィリプの狂気と技量と愚かさを見せつけられた騎士たちは、言葉を失う。その彼らに、第三王子は血に濡れた剣を見せつけながら口を開いた。
「俺は他人を殺すのが好きだ。ゆえに、他人を殺して遊びたいが、あまりこれをやると王家の権利を奪うと父上に脅されていてな……わかるか? そうされては困るから我慢しているだけだ。しかし、命令無視や反逆は殺してもいい理由となるわけだ……どうだ? 一斉にかかってきて俺を殺せば、お前らは殺されずにすむし、命令に黙って従っても助かることができる。俺はどちらでもかまわないぞ」
数人の騎士たちが席を立ち、フィリプの命令を実行に移すべく離れていく。そして残る者たちは皆、口を閉じてただ地面を見つめた。その彼らへと、フィリプの声が届く。
「俺が兄上と似ているのは容姿だけで、あれほど甘くはないのだ。よくよく理解していろ、下級生物ども」
フィリプは口を閉じると同時に、剣を一閃させていた。
さらに一人の騎士が、自身の体から流れ出た血溜まりに沈む。その男がどうして斬られたのか、理由は誰にもわからないが、ただの戯れであったと説明されても常人は困惑するだけだろう。
戦場にあって、この場だけが静寂に包まれているかのようなフィリプの周囲で、騎士たちは自分がこの狂人に害されないようにと懸命に沈黙を保っていた。
王子として生まれたうえに、暴力に長けたことで危険な生き物となった若者は、静まる者たちに命じる。
「己ら、戦って来い」
第三王子の命令で、騎士たちは一斉にその場を離れた。
-scene transition-
ミュルーズ防衛軍司令官のカリウス中将は、ベルターク侯爵連隊から反撃の合図が為されないままであることに違和感を覚え、物見櫓の兵に大きな声で問う。
「どうだ!? 万が一、ベルターク候の連隊が苦戦していれば作戦を変更して攻勢に出るが、様子はどうであるか!?」
「敵は敗走と攻勢が入り混じるグチャグチャな状態です! 候の連隊はいなしておりますので、少し時間がかかるものと見ます!」
「よし!」
カリウスは頷きとともに、指を動かして参謀を招く所作をした。
ベルスワインという若い参謀が、カリウスの脇に控える。
「一度、押し返して候の連隊の支援をする。銃兵の部隊群を前に出す」
「は……戦費が高いと文句を言われませんか?」
「死んでからは遅いと言い返してやる……ったく、中央のクソども……偉い奴らはいつも無茶しか言わん」
カリウスの愚痴に、ベルスワインは笑うと指示を行動に移すべく伝令たちが集まる待機所へと向かった。
このカリウスの判断の原因となった物見櫓の担当兵は、ベルターク侯爵連隊の状況を大事ないという内容で伝えているが、現実は少し違う。
ベルターク侯爵連隊の急襲を受けたイースガリア王国軍右翼の一部は、後退というよりも逃げ出すといった有り様となるも、味方に射殺されるという恐怖によって兵たちは恐慌状態となり、それがかえってアルヴェール達を苦しめることになってしまっていた。
「馬鹿な! 味方ごと撃つか!?」
アルヴェールの声は怒りと驚きで大きく鋭く、隣のロゼッタは思わず彼の手を握っている。
「アル、落ち着いて」
「味方ごと……イースガリアは兵をなんだと思っている!? 後退! 距離をとらねば混乱に巻き込まれて陣形が乱れる」
彼の指示で、攻勢から後退へと移ったベルターク侯爵連隊と敵右翼の狭間に、レオン率いる騎兵大隊が突っ込み、味方歩兵部隊郡の後退を助ける。
アルヴェールは距離をとることを選択し、隊列を整えながら隣の婚約者に尋ねた。
「敵は間延びしている。分断の好機に見えるけど恐怖にかられた敵の攻勢は激しい。それでもぶつかるべきかな?」
「皆、アルを信じてる。もちろん、わたしが一番、アルを信じてる。自分の読みを信じて」
アルヴェールは、北部五カ国連邦軍を攻撃し続けることで間延びしたイースガリア王国軍の横っ腹へと、隊列を整えた連隊で突っ込むことを決める。しかし、それは敵の一時的な勢いが削がれてからだとも判断していた。
(味方に殺されるとあって暴れている兵たちも、疲労でどうにもならなくなる。その時が勝機だ)
その勝機は、半刻と待たずして訪れることになる。
イースガリア王国軍は、攻勢一色で前進を続けているが、それが兵たちの疲労を貯め、全軍が同時に動きを鈍くし始めることになる。兵たちの疲労管理をする部隊指揮官たちも、前進命令しか出されておらず従うしかなく、その上の士官も同じくそうで、そして上層部はフィリプの理不尽な暴力を恐れて口出しができないでいることで、書物や物語では知ることが難しい現実を突きつけられた。
経験ある士官、参謀、騎士の意見をきかない指揮官が上に立てば、このような惨状となるのだろう。しかし、自滅に近い彼らであるが、彼らの敵にアルヴェールがいたことで、その被害は甚大を二乗するに匹敵する規模となる。
「今だ。攻撃合図を出せ」
アルヴェールの命令は、短く発せられた。
ベルターク侯爵連隊から、三発の信号弾が空へと撃たれた。
それをみて、北方五カ国連邦軍は大逆襲に移る。
カリウス率いる本軍は、迎撃戦から反撃へと行動を移し、砲撃と大量の矢の援護をうけた前線はイースガリア人たちを殺すことだけのために武器を振るった。
戦場南の丘陵地帯から、隠されていた部隊群がそれぞれの役目を果たすべく行動を開始する。
巨大な狩場となった戦場にあって、猟犬のような鋭さをみせる騎兵の一団がイースガリア王国軍右翼を斬り裂いた。
レオンが率いるベルターク侯爵連隊の騎兵たちだ。
彼らがイースガリア王国軍の部隊と部隊を分断し、そこにベルターク侯爵連隊が突撃陣形で一気に攻めかかった。
アルヴェールはこの時、戦いのなかで初めて馬上となった。彼は、個人の武に自信があるわけではないが、兵たちの見本となるべく速度をあげる。その彼の隣で馬を駆けさせていたロゼッタは、アルヴェールに届きそうだった矢を短槍で弾くと、美しく通る声をあげる。
「勝利を掴め! おまえたち! わたしは! おまえたちと共に勝利の祝杯をあげるぞ!」
叫ぶやいなか加速した彼女は、それだけで兵たちの戦意をすさまじく高めていた。
アルヴェールは、お転婆のまま大人になったとしても足りない婚約者の背を見ながら、間違いがおきないかと焦るも追いつけるものではない。しかし、彼の心配は杞憂となる。
ベルターク侯爵連隊は、レオンの騎兵大隊に続き、歩兵部隊軍がイースガリア王国軍右翼に突撃を成し、これはイースガリア王国軍全体が東西に間延びしていたなかで強力な一撃となった。
また、北方五カ国連邦の逆襲に、イースガリア王国軍は対応できない。
対応できる指揮官がいないのだ。
カリウス中将は次々と伝令を走らせる。
「後方の予備も全て回して攻撃しろ」
「全軍に遠慮なく敵を倒せと命じよ」
「後方の特科大隊は敵後方着弾にて砲撃させろ」
彼の指示は的確で、イースガリア王国軍は強烈な反撃をまえに後退ではなく、敗走を始めたが、半包囲状態の中では逃げる者たち同士でぶつかりあい、罵り合い、無様なことこの上ない。
東側を、アルヴェールはあえて包囲しない作戦にしたのは、慈悲深いからでも甘いからでもなく、完全に包囲された敵が必死になって戦っては味方の被害が増えるという計算である。
その計算通り、イースガリア王国軍は東へと一目散に逃げていく。
フィリプは? 彼が逃げるな、戦えと叫べば、まだ抵抗は続くかもしれなかったが、指揮官である第三王子は、誰よりも早く戦場を離れていた。
東へと逃げ崩れるイースガリア王国軍を追撃するベルターク侯爵連隊は、朱の甲冑が鮮やかな女性騎士を先頭に、騎兵と歩兵が連動した追撃戦を展開していたが、その連隊指揮官は嘆いていた。
「これからも、ああして暴れたいのかね……」
アルヴェールの視線の先では、馬上のロゼッタが短槍を武器に、追撃戦を指揮している。
彼の嘆きで、周囲にいたベルターク侯爵家の譜代家臣たる騎士たちが笑い始めた。
「閣下、姫様は昔よりは随分とおしとやかになられています。閣下の前だからですよ」
「そうですとも。俺は姫が獅子を倒した時は驚きのあまりチビりました」
「豹を狩った時もすごかったですよ。一撃です……」
騎士たちの言葉に、アルヴェールは彼らが言う光景を脳裏に描き、誇張とは思えない自分がいることを認めたのである。
その時、ロゼッタの声が彼らに届いた。
「追え! 勝利を掴むまで戦うことを止めるでないぞ!」
兵たちの雄叫びと、ベルターク侯爵連隊の突撃は同時だった。
こうして、アルヴェールの指揮によるベルターク侯爵連隊の敵右翼への急襲がこの会戦の潮目を変えたが、これが逆転することはなかったのだ。
イースガリア王国軍は、昨年夏に続けての完敗、敗走となった。
完勝した戦場で、北部五カ国連邦軍の兵たちがアルヴェールの名前を連呼する。
カリウス中将は、汗に濡れた笑みで周囲の参謀たちと勝利を喜びあった。
「よかった。英雄殿には昨年から助けられっぱなしだ」
「彼が味方でよかったですよ」
ベルスワインの同意に、カリウス中将は頷きながらも危惧するところを口にする。
「しかし、これで彼はよけいに……愚者の嫉妬の対象となろう。くだらん奴らは、他人を貶めるしか己を慰める術を知らぬからな……おかしな噂をたてられて困ることもあるかもしれん……俺はその際、彼を助けるゆえ、お前らも手を貸せ」
「もちろんです。生きていられるのは、彼が助けてくれたからです」
「そうです。ミュルーズで死ぬものだと、昨年の夏は思っていましたから」
「両親と再会できたのは、アルヴェール卿のおかげですから」
参謀たちの口々から同意が出て、カリウスは、彼らとならこれからもミュルーズでふんばれると思えていた。
北方五カ国連邦東部方面軍首脳陣が、このような会話をしているとは知らないアルヴェールは、意気揚々とひきあげてきたロゼッタを迎えたところだった。
「……返り血、拭きなよ」
「水浴びしてくるね」
「水は貴重だから、使い過ぎないように」
「……このまま抱擁したい?」
「……しっかりと洗ってください」
「うん!」
騎士たちやレオンが賑やかに笑う中で、アルヴェールも安堵の笑みを浮かべることができた。
-scene transition-
ハイランド王国歴二〇六年の三月に、アルヴェールはベルターク侯爵代理として、その連隊を率いてイースガリア王国軍と戦った。
これはベルターク侯爵家の長男アルフレッドと、次男のデクランがともに流行り病にかかってしまい――発熱はひどいが命を脅かすものではなかった。しかし大事をとることにしたというのが第一の理由である。次に、ベルターク侯爵家内への、アルヴェールの顔見せ的な意味合いがあった。
無事に、いや最高の顔見せとなった第二次ミュルーズ会戦の戦いを終えたアルヴェールは、四月の二日にラスカ郷に帰った。この時、ロゼッタはそのままアルヴェールにくっついて、ラスカ郷に入っている。これは、侯爵の許可をとらない勝手なものだったが、帰還した譜代家臣たちからこれを聞いたウェイルズは、苦笑いをして許したそうだ。
花嫁となる予定の女性が、突然、予定にない訪問をしたことでラスカ伯爵家は慌てて迎えの準備をすることになったが、使用人の誰もがロゼッタの行いを迷惑がらず、大喜びであった。これは、「この若のところへ来てくれてありがとう!」という感謝が巨大であるからだろう。
すさまじく巨大な感謝の気持ちに囲まれたロゼッタは、ラスカ伯爵家の城に舞い降りた天神の遣いのような美しさで、領民たちの話題を独占することになる。誰もが一目見たいと城へおしかけ、兵たちが止めても城門のあたりをうろつくので、人だかりができていた。
ロゼッタは気さくなので、彼らの前に出て、小さな子供にはしゃがんで言葉をかけ、大人たちには「ラスカ伯爵家に迎えてもらえて嬉しい」と伝え、また「これからもよろしくお願いします」と丁寧に挨拶をするものだから、皆は、すばらしい花嫁が、残念な花婿のところにやって来たと話題にして、いっそう騒いだのである。
この、異色の男女は帰還して数日の休暇をともに過ごすと、一個中隊を率いて北へと向かった。
昨年の夏からおこなっている、亜人種たちとの交渉が目的だった。
ハイランド王国暦二〇六年の、四月七日に出発したことが記録に残っている。