これからも大変だろうけど・・・
アルヴェールが謁見をした三日後の午後、彼はレオンとエレナ、それから商会が用意した商隊を伴ってグラーツを発った。
商隊が運ぶのは、医薬品である。荷馬車二台に満載された医薬品は高価なものであるから、その護衛として傭兵が四名つき、商会の従業員とあわせて十名がアルヴェールに従っていた。
傭兵の一人が、おずおずとアルヴェールに尋ねる。
「あの……サイン、もらえんでしょうか?」
「俺の?」
「ぜひ! ハイランドの英雄殿のサインがほしいっす」
一人にすると、他の者もせがむので、アルヴェールは全員にサインをしてやった。
レオンが言う。
「いいことが続きますので、注意しましょう。悪いことが潜んでいます」
「お前のそういうの、当たるからなぁ……わかった。気をつけよう」
エレナが晴れやかな笑みで、二人の後ろで口を開く。
「それにしても、あのベルターク侯爵家のロゼッタ様をお迎えできるなんて、奇跡中の奇跡ですよ」
「彼女と、ベルターク侯爵閣下のお人柄だよ。士官学校時代の俺を助けてくれて……本当に世話になったんだ。そして今も……すばらしい人たちだと思うんだ」
レオンが笑みを浮かべ、真面目な口ぶりのアルヴェールに言う。
「それはそうと、ちゃんと俺の相手もお願いしてくれたんでしょうね? ロゼッタ様につく侍女や世話人たちは美女で揃えてくれるように頼んでくれましたか?」
「お前は最低の人柄だ」
「ひどい! こんなに忠節を全うしているというのに」
二人のやりとりにエレナが笑い、後ろに続く商隊の者達もつられて笑い始めた。
アルヴェールが笑いながら言う。
「お迎えの準備はエレナ、お願いします」
「お任せください」
「レオンは、ネルデール人との交渉について来てほしい。忠節を全うしてくれ」
「お任せください。ハイランドの英雄を支える側近中の側近として、歴史に名前を残しますので、ひたすら従うのみです」
「……残るかね? そういう残り方あるか?」
「残すんですよ。なになにだったらいいな、とか、なになにが欲しいよぉ、ではなりません。する、手に入れる、です。だから俺は、名を残します」
「レオンは、そうやってふざけるけど、働きぶりは真面目だし、強いから頼りにしてるよ。お前がいるから、俺は勝てたんだ。これからも頼むよ」
アルヴェールは、無言となったレオンを見る。
彼は隣を歩きながら、目を潤ませていた。
「……どうした?」
「……いえ、ちょっと感動してしまって」
「……お前、泣くなよ。キモいだろ」
「ひどい主君です! エレナ様、アルヴェール様は忠臣をからかいますよ!」
エレナが笑う。
彼女は、机を並べて勉学に励んいた二人の成長を見守り、今もこうして後ろから眺めることができて幸せだと感じていた。
そして、これからはこれまでよりもっと大変で忙しい日々を二人は駆け抜けることになると予感する。
彼女は、囁くように祈る。
「光神の加護をどうか二人に」
-scene transition-
ベリウスは、イースガリア王メンフィス二世の書斎で、父親に謝罪をした。
「申し訳ありません。俺の不手際が敗戦の理由です」
「そうではあるまい。軍監より戦況の報告はうけておる。斥候や偵察をしていた者達が、その中隊を発見しておれば負けておらなんだ。違うか?」
「それも含めて、俺に非がございます」
「お前は人格者だ、ベリウス。しかし、王は人格者では務まらん。あの戦闘で、斥候、偵察を担った騎士、兵、全て死罪を申し渡すことにする」
「父上!」
いきり立ったベリウスは、父親が手に持つ杖で肩を突かれ、片膝をついた。
メンフィス二世は長椅子に腰掛けたまま、厚い絨毯に膝をつく息子を眺める。
「ベリウス、戦に常勝はない。負けることがあることを予は知っておる。ゆえにお前の敗戦は、しかたないことだと思うておる。お前が十を戦えば、敗れるのは一度であろうが、今回はそれであったと思うことにする。しかし、誰かが責任を取らねばならん。それはお前ではないというだけのことだ。さがってよい」
「父上……」
「行け。しつこく言うなら、フィリプを王にするぞ」
ベリウスは歯軋りと共に一礼をし、王の書斎を辞した。
それを待ち構えていたかのように、痩せた若者が彼に声をかける。
「よぉ、兄上! 負けたそうじゃないですか! 残念! 残念でしたねぇ!」
「どけ」
弟のフィリプを一瞥したベリウスは、すれ違いざまに彼の声を聞く。
「あの子を早くくださいよぉ……内臓を引きずり出してあげたいんですよぉ」
ベリウスは無表情のまま、足早に離れる。
(痛い敗戦だ……これで主導権が握れぬ。父上の思うようにしばらくは王国が進むことになる)
彼は、自らの思考に舌打ちをし、立ち止まったところで視線を転じた。
窓があり、外の景色が一望できる。
王宮の深部、内宮にある庭のひとつが一望できるはずだが、この時は天候が荒れていて、雨粒が窓ガラスを叩き、風の音がひどく大きい。
「やはり、俺が進む道はこれまでも、これからも困難で、厳しい道だ」
ベリウスは、誰に聞かせるわけでもなく声にしていた。
再び、歩きだした彼は急ぎ内宮を出て、王太子府と称される建物へと入る。そこで騎士たちの敬礼を受けながら進んだ彼は、執務室の扉を開き、集まっている面々の敬礼を受けた。
「楽にしてくれ」
ベリウスが室の奥へと移動して席に着くと同時に、皆が一礼し着席する。
「父上が、先の戦で斥候、偵察をしていた部隊の兵たちを処すると仰せだ」
どよめきが生じるも、ベリウスが手を払う所作で黙らせる。
彼は、一同を眺めて言を続けた。
「一人息子、子供をもつ親、できる限り逃せ……罪人で身代わりにできそうな者を選び、すりかえよ。名簿の改ざんなど急ぎあたれ……全ては無理だとしても、マシな道を進みたい。やれ」
ベリウスの言を受けて、複数の騎士が席をたち、室から出て行く。
「兄上と話をする。場所を用意するように」
複数の騎士が、さきほどと同じように室から出て行った。
ベリウスはここで、バイアンに言う。
「お前の提言をいれなかったせいで負けだ。許せ」
「とんでもございません。誰が予測できましょうか?」
「連邦の、一角獣と麦を軍旗とする諸侯がどこの家か、誰が当主かを調べよ……イースガリアで倍の領地を与えるといって誘いたい」
バイアンがここで、伺いをたてる。
「断ってきた場合はどういたします?」
「その時は、戦場で再会し、殺すことになる。次は……俺が勝つ」
ベリウスの言に老騎士は一礼で応え、命令を実行に移すために離れるという体で移動しつつ、自身の部下たちに目で合図を送る。
バイアンが王太子執務室を出た時、複数の騎士たちが彼に従った。
老騎士は、廊下を進みながら口を開く。
「殿下の命に修正を加える。一角獣と麦を軍旗とする諸侯を調べ、殺せ。方法は問わぬ」
「よろしいので?」
「よい」
騎士の一人が、老騎士の一存で決めた修正に問うも、バイアンは迷いなく答えた。
別の騎士が、口を開く。
「汚い仕事を生業とする者どもがおります。やらせてよろしいでしょうか?」
「ギガス、お前のところで飼っているのか?」
バイアンに問われた発言者は、進む老騎士の背に答える。
「はい……本来であれば騎士にあるまじきことではありますが、いつか殿下のために役立つこともあるかと」
「よい。金は惜しむな。儂が許可する」
「は」
ギガスは短く答えたのみだった。
バイアンは、ベリウスが優秀な者を好む人であることを認める一方で、それが敵であっても同じく評価し、なんとか自分の手にと望む悪癖を憂いている。ゆえに、彼は独断でアルヴェールを暗殺すると決めたのだった。
「殿下には、断られた際に騒ぎとなり、やむをえずと報告すればよい」
老騎士は、進みながら背後の部下たちに命じ、誰からも異論はあがらなかった。
【第一章】彼は英雄と呼ばれた
おわり