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夜となって

 アルヴェールは夢を見ているとわかった。


 何度も繰り返し、見る夢だからだ。


 彼は夢の中で、まだ士官候補生として士官学校に通っている。ヴァスラ語の授業を受けるために、その教室に入ると水をかけられた。


 ずぶ濡れになった彼を、誰かが笑う。


 それは次第に大きくなり、やがて教室にいた全員が笑っていた。


 北方五カ国連邦に属するハイランド王国は、大陸の北西部にある。その王国の、さらに北端に小さな領地をもつアルヴェールの家は豊かではない。また当時の彼は、北方五カ国連邦の標準語であるペリエ語に不慣れで訛りもひどかった。それでも爵位をもつ家の子であったから、裕福な商家や軍人家系の子たちからのやっかみがあった。ここにアルヴェールの容姿がひどかったことも加味して、他の貧乏貴族の子らは自分が被害者にならないように加害者側につくことで身を守ったのである。


 こうして、大勢が一人を虐めるという図が成立してしまった。


 笑い声が大きくなり、こらえきれなくなったところでアルヴェールは、目を醒ました。


 満天の星空と、大樹によりかかり立ったまま眠るレオンの姿を同時に見る。


 ふと、レオンが目を開いた。


「お目覚めですか?」

「……ひどい夢を見た」


 レオンが腰にぶらさげる水筒を手にとり、アルヴェールに差し出そうとするも動きをピタリと止める。


 副官の様子で、アルヴェールは素早く立ち上がった。


 直後、自軍陣地の遠くのほう、等間隔で連なっている篝火の列が乱れ始める。


「東の部隊がやられています」


 レオンは言いながら歩きだし、伝令や斥候を口笛で呼び、士官たちに叫んだ。


「敵襲! 防御陣形で後退するぞ……斥候は周囲を索敵。伝令は本部へ急げ」


 アルヴェールはレオンの肩をつかみ、士官たちを見る。彼らの視線を受けて、彼は口を開いた。


「くだらん戦争で死ぬことはない。さっさと離脱する。言い訳のしようがない負け戦に付き合うなよ」


 士官たちが笑みで離れていく。


「若、師団長閣下はどうなさるでしょうか?」

「……一番に逃げるだろ」


 アルヴェールの言に、レオンは溜息で応えた。




 -scene transition-




 アルヴェール率いる中隊は、彼の実家であるラスカ伯爵家で雇われた兵たちで、連邦軍の正規兵とは違い、ラスカ伯爵家の私兵といえる。諸侯には軍務の義務があり、こうして戦争のたびに軍兵を派遣するその負担は莫大だが、それこそハイランド王家の望むところであるといえるだろう。


 王家は、諸侯に金を使わせたいのである。そうすることで、優位性を維持したいのだ。


 そんな中でも、はやり豊かな諸侯はいる。彼らであれば、正規軍の師団に参加することなく、自分たちで連隊を組織して独立した作戦行動をおこなうことも許されるが、ラスカ伯爵家は爵位こそ伯であるものの、とてもそのようなことができるほどの資金も人員ももっていない。


 こうして、金がない諸侯は連邦軍の正規軍に参加するので、正規軍からすれば、自分たちに紛れ込む諸侯の部隊は、つまり貧乏貴族の部隊だとわかるので見下し馬鹿にしていた。


 その蔑まれる側となっているアルヴェールであるが、生き残ることだけを優先すれば実は正規軍に紛れ込んでいるほうが楽だという目論見もあった。


 彼は、自分の領民に死なれたくないのだ。だから訓練も他所の諸侯に比べてしっかりとおこなうし、装備も限られた予算とはいえちゃんとしている。また軍律も厳しく、アルヴェールの命令に背いて自分勝手なことをする兵士などいなかった。


 規模が中隊であるから、できているのかもしれない。しかし、中隊でできないことは、大隊でも連隊でも師団でも、もちろん軍団でもできるものではないだろう。中隊とはいえ、一〇〇人近くの人員をまとめる彼の指揮能力は低くなく、部下からの人望は厚い。まさしく彼は、人を見た目で判断しては駄目という典型といえるかもしれない。


 徒歩で進むアルヴェールは、味方部隊群が敵夜襲によって逃げ惑うなかで、指揮下中隊をまとめて西への後退戦を展開している。


 イースガリア王国軍の大砲が、律動的に轟音を発していた。自分たちが被弾してはたまらないと、レオンは空を睨み、星空を違う報告へと飛んでいく砲弾を視認する。


「こちらは撃ち返す余裕すらないから、やられっぱなしか!」


 彼の愚痴に、アルヴェールが違う愚痴で応じた。


「我々の陣地で焚かれていた篝火がそのまま転倒して大地を燃やしている……夜襲とはいえ、こちらの様子は敵から一望できる……まずいぞ……慌てることなく整然と後退するぞ!」


 アルヴェールが声をはりあげ、兵たちが気合いの声で応じた。


 十人ずつの小隊が十個あるアルヴェールの中隊――ラスカ伯爵中隊は、他の部隊が逃げ惑うなか、整然と後退戦を始める。ほどなくして、レオンが逃げ惑う部隊のひとつを指でさし示しながら叫んだ。


「若、あそこ! 摂政家の連隊では!?」


 アルヴェールが見ると、ハイランド王国摂政家であるベルターク侯爵家の旗を掲げた部隊が、味方の混乱と敵の攻勢を前に逃げ崩れるところだった。彼は、侯爵軍旗の近くに指揮官がいるものと思い、軍旗を探すも混戦のなかで見つけられない。


(ご長男か!? ご次男か!? まさかロゼッタはいないだろうな!?)


「若! ベルターク侯爵閣下には世話になったと仰っていたでしょう!? 助けないので!? あれ、崩れる寸前ですよ!」


 アルヴェールはレオンに頷きを返し、手振り身振りを交えて命令を下す。


「ああ! 侯爵家連隊と敵の間に割って入る! 敵の横面に打撃を与えるぞ」

「転進! お味方を助けるぞ!」


 レオンの指示で、ラスカ伯爵中隊は方向を転じ、大地を燃やす火を避けながら侯爵家の連隊へと接近する。


「第五師団の近くで夜営していたのか」


 アルヴェールは考えを口にしていた。


 レオンが、質問されたと勘違いをしてアルヴェールに尋ねる。


「え? なんです?」

「なんでもない。弩だ」


 アルヴェールの指示で、ラスカ伯爵中隊の盾の連なりがさっと開き、弩をかまえた歩兵たちが、ベルターク侯爵連隊に肉薄する王国軍に狙いを定めた。


「撃て!」


 至近距離で弩の矢を受けた者は、悲惨な末路となる。ある者は甲冑を貫いた矢で肉体を破られ、内臓を破壊され、即死できないことの地獄を味わうことになった。またある者は、自分の右腕がいつのまにか肘から先がないことに気付き、きょとんとしたところで次の矢を頭部に受けて倒れる。


「よし! 距離がとれた。俺たちも離れる!」


 追撃していた王国軍前衛は、予想外の攻撃を側面から受けて混乱をきたし、追撃を継続できる状態ではなくなった。


「若、伝令です」


 ベルターク侯爵連隊からやってきた伝令が、疲労でかすれた声をあげる。


「指揮官は!? 主君より伝言です! よろしいでしょうか!?」

「許可する!」


 伝令は、アルヴェールの返事で指揮官が誰であるかを知り、残念な容姿の若者に驚くも表情と声に出すことはなかった。


「申し上げます! 助けて頂き感謝いたす! このことは、王陛下、摂政である我が父に必ず報告し、後日、貴公が恩賞を賜るよう配慮いたす! デクラン・ベルターク。以上」

「承知しました。ハイランド諸侯として当然のことです。また、私によくしてくださった御家への恩はまだまだ返しきれておりません。お気遣い無用と、お伝えください」


 去る伝令が馬蹄を轟かす。


 アルヴェールは、幼馴染が戦場に出て来ていないことを知ると同時に、その兄が指揮官だったことを知った。面識もあり、誠実で信頼できる人柄であることもわかっていたので、助けることができてよかったと安堵するも、レオンの言葉で思考を止める。


「若、敵が態勢をたてなおしたようです」

「つきあうな。逃げるぞ」


 アルヴェールの言いように、レオンが苦笑する。


 ラスカ伯爵中隊は盾を並べて、隊列を維持し、一定の速度を保って後退する。それは空中からみれば、まるで亀の甲羅を連想させる陣形となった各小隊が整然と、相互の距離を絶妙な間隔で保っており、今夜のこの場所では攻撃側の指揮官の目には、それは異様に映った。


 丘陵地帯の高みに、イースガリア王国軍の指揮官はいた。


 戦場は、松明が倒れて倒れ燃え広がり、その延焼が広範囲に及ぶ今、黒煙と炎に邪魔されるとはいえ、逃げる敵の姿は見えなくもない。そのような視界で、イースガリア王国の指揮官であるベリウス第二王子には、アルヴェール率いるラスカ伯爵中隊の見事な動きが、周囲のだらしない部隊のせいで一際目立ったのだ。


「おい、あそこの部隊……数は多くないが、やる奴が率いているな、見事なものだ」


 黒太子と大陸各国から呼ばれ恐れられる彼が、黒髪をかきあげながら敵を褒めたので、側近騎士のバイアンは、ベリウスと同じ方向を睨む。


「どうだ? 爺にも見えるか?」


 バイアンは一礼で応え、ベリウスの笑みを受けた。


 社交界のご令嬢たちが、ベリウスの美貌と声に心を奪われるとは大袈裟な言いようではないが、甲冑をまとって戦場に立つ姿こそが本来のものだろうとバイアンは思える。だから彼は、敵の小さな部隊の動きすら見逃さないベリウスの慧眼を認めた。


 しかし、老騎士は提言を口にする。


「殿下、騎兵で蹴散らしましょう」

「いや、あれが全体の戦況を変化させることはあるまい。この混乱のなかで、自らの指揮下だけでも後退をしようという意図であろう。敵ながら見事だ。愚かな指揮官の下で死ぬには惜しい奴が率いていると思う。軍旗は……一角獣と麦か」


 老騎士バイアンは敬愛する王子の言に頷きを返すも、慎重であるがゆえに諦めなかった。


「将来、面倒な相手となって再会したくはありますまい。殺しておきましょう。今であれば、殺せます」

「バイアン、臆病になったな?」

「殿下ほど若くもありませぬし、長く生きれば、ほら、そこの草の揺らぎすら敵が潜んでいるのではと気になる次第」

「はははは! 年寄りの言、なかなか興味深いが……」


 白い歯を見せて笑う美男子は、長身を翻して控える騎士たちを眺めながら言を続ける。


「その時は改めて叩き潰すだけのことだ。違うか?」


 バイアンは一礼し、若者の実力が自信の源であることを知るがゆえに口を閉ざした。


「バイアン、これで面倒な敵は消える。夜が明けたら休みを与え、その後はミュルーズに一気に迫る。兵站はそれから整えればよかろう」

「は……騎行で進軍しますか?」


 黒太子は顎を指でつまみ、少し伸びた髭を弄びながら考える。


(やがては我が国土だ……物資は後から届くし……)


「いや、騎行はせぬ。また、途中の宿場町、村々での略奪も禁止とする。それだけの褒美を俺が皆に与えるゆえ安心せよと全軍に通達だ」

「承知しました」


 騎士たちが一礼し、左右に割れてベリウスの道をつくる。


 第二王子は優雅な足取りで、自らの愛馬へと向かった。


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