君にちゃんと伝える
「エトワールの庭、行かないのです?」
「ちょっと話がある」
アルヴェールは、ロゼッタが待つエトワールの庭と呼ばれる庭園にはすぐに向かわず、王宮の主塔と行政府の建物を繋ぐ連絡通路で、ここなら誰か来たらすぐにわかると言い、レオンにミルナー侯爵との話の内容を伝える。
「――ということで、政略結婚の話だった」
「おめでとうございます……で、よろしいでしょうか?」
「複雑だ」
「二つの意味で、複雑ですね?」
「ふたつ?」
レオンは、左右の手を広げると、人差し指だけを立てた。
「ロゼッタ様と、政略結婚。二つの理由で、閣下は複雑なのです、きっと」
「……」
「そして、王派に加わることになってしまうことに、くらぁい気持ちになられています。となると、答えは出ているではありませんか?」
「どう……出てるんだ?」
レオンは苦笑する。
「アルヴェール様は、すでに心で決められています。だから、ミルナー侯爵閣下の申し出を、複雑な心境で受け止めておられると俺は思いますが? 断ることができるなら、断りたいとお考えでしょ?」
「……レオン、お前、賢いな?」
「よく言われます」
「うそつけ」
二人で笑った。
レオンが、笑顔のままで言う。
「アルヴェール様は、ロゼッタ様と……ベルターク侯爵閣下と対立する道は選びたくない……だとすれば、それが正しい道ですよ、きっと。単純です。心に従えば単純ですよ」
「わかった。ここは単純に行こう。レオン、すまないが先に別邸に帰って、ベルターク侯爵家王都別邸に遣いをやってほしい。すぐ会いたいと俺が頼んでいると」
「ロゼッタ様に、この後、お伝えすれば?」
「駄目だ。これは俺が、閣下にお願いしないといけないことだ」
「承知しました」
アルヴェールは、笑みのまま一礼するレオンの背中を叩いた。
「いたい!」
「主君をからかうと、こうして殴られるんだぞ!」
「反省いたします」
笑顔で去る腹心を見送り、エトワールの庭に向かうアルヴェールは途中、若い貴族たちの集団と遭遇した。
彼らはアルヴェールを見つけると、親し気に声をかけてきた。
「アルヴェールじゃないか」
「えらく有名になって! 鼻が高いよ!」
「どうだい? これからジニアス殿下のサルーン会があるんだ。政策や外交の勉強会で、意見を言いあうのさ」
「君も来ないか? 自由闊達な空気があり、すばらしいぞ」
ジニアス殿下とは、ジニアス第二王子のことだとアルヴェールにはすぐにわかったが、ずらずらと喋りかけてきた彼らが、どこの誰であるのかよくわからない。おそらく、士官学校か社交界で出会っていたのだろうと思うも、そうであるならよけいに腹が立つというものだった。
(俺がどれだけ苦しんでいたかも知らず、からかい、仲間はずれにし、いじめ、暴力をふるっていたお前ら側は、今こうして会えば、親し気にしてくる理由はなんだ? 頭がおかしいのか? いや、おかしいから、あのようなことができたんだな)
アルヴェールは固い表情を作ると、彼らに言う。
「悪いが、人を待たせている。失礼する」
そそくさと離れるアルヴェールの背に、誰かの声がぶつかった。
「せっかく、仲間に入る機会を与えてやったのに! 英雄だなんだと偉そうにしやがって! 戦場でのたれ死ね!」
嫌な気持ちとなって足早に進むアルヴェールは、苛立ちを呼吸で静めながら歩き、いくつかの建物を通過してエトワールの庭に入った。
バラやマーガレットが美しい庭園の奥、人工の小川と池がある辺りに進んだアルヴェールは、そこで子犬をあやすロゼッタを見つけた。少し離れたところに護衛の兵たちがいて、皆がアルヴェールを見て一礼をする。
アルヴェールは兵たちに会釈を返して進み、しゃがみこんで子犬の頭を撫でているロゼッタに声をかけた。
「ロゼッタ様、お待たせしました」
ロゼッタは立ち上がり、子犬を抱えたままくるりと振り向く。
「その口調、ぶっ飛ばされたい?」
「ごめん」
「見て、すっごく可愛い。ここにいたの」
「母犬が近くにいるのでは?」
アルヴェールは言い、少し離れた場所に小屋があるのを見つける。それは庭師たちが道具をしまう小屋だとわかり、彼はロゼッタを誘い、その小屋へと近づいた。
少しだけ開いていた戸を全開にしたアルヴェールは、中で寝そべる母犬と、スヤスヤと寝ている子犬三匹を見た。
母犬がゆっくりと起き上がり、耳を倒して鼻を鳴らしながらも、子犬を守るような体勢をとる。
「あ、ごめんね。君の赤ちゃんなのね?」
ロゼッタが子犬をおろし、母犬に返すと彼女は尻尾を振った。
アルヴェールは周囲を窺い、遠くで作業をしていた庭師を呼ぶ。
「はい! なんでしょう?」
「この犬、君らは知っているのかい?」
「ああ、メルです。俺らが世話してるんで」
「だったら安心だ」
庭師に感謝を伝えたアルヴェールが、ロゼッタを誘って遊歩道を歩く。
彼女のドレスは、胸と肩のあたりが汚れていて、それは先ほどの子犬を抱きあげていたからだが、まったくそれを気にしないご令嬢にアルヴェールは自然と笑みでいられた。
「約束、守ったよ、ロゼッタ」
必ず生きて帰ると約束したことを、彼は口にした。
ロゼッタが、手を伸ばしてアルヴェールの手を握る。
「うん、さすがアルだよ。ミュルーズの人たちを救ったって、イースガリア王国軍を撃退したって、皆がアルを褒めているから、わたしもすごく、すっごく嬉しい。アルが褒められると、嬉しいぃ! てなる」
「……ちょっと照れる」
「でも、寂しい……王都に来るっていうのに、どうしてわたしに手紙をくれなかったの? 父上が教えてくれたから、王宮で待つことができたからこうして会えたけど、もしかして、わたしに会いたくない?」
アルヴェールは、悲しそうな笑みを浮かべたロゼッタの表情に慌てた。
「違うちがう」
アルヴェールはロゼッタの問いをすぐに否定すると、自分の失敗を認めた。
「図々しく、会いましょうと伝えるのは迷惑かなと……勝手に……あの頃に比べて、少し大人になった俺はそういうのを気にするんだよ。ごめんなさい。ロゼッタを嫌な気持ちにさせて悪かったよ……俺がおかしな遠慮をしたのがいけない」
「……わかるよ。そういうの、気にする人だっていうのは知ってる……あの頃も、やっぱり気にしていたし、でも……碁や乗馬、一緒に絵を描いたりする時はニコニコしてくれて、いろいろ教えてくれて……アルが数学を教えてくれたらから、わたし、数学を好きになれたし」
彼女はそこで背後を肩越しに見て、空いている左手をヒラヒラと払ってみせた。それは、護衛の兵たちに、ついて来るな、という意思表示だったが、兵たちも慣れたもので、一度、停止してすぐに歩みを再開する。
「アルは、付き合いとか、諸侯の序列とか、貴族の爵位とか、そういうのを気にするから、わたしがこうして仲良くしたいという気持ち……迷惑をかけてるなら謝る……謝るけど……でも、わたしはアルと仲良くしたいんだ……駄目? 迷惑になる?」
言った彼女は、不安に染まった瞳でアルヴェールを見ていた。
二人は立ち止まる。いや、アルヴェールが止まり、ロゼッタを優しく自分のほうへと引き寄せた。
向かい合った時、アルヴェールは目を伏せて口を開く。
「ロゼッタ……俺のほうこそ、ごめん。それに、今日、ちゃんと言いたいこともできたんだ」
彼はそう言うと、顔をあげて彼女を見つめた。
彼女は、少し照れながらも目をパチクリとさせて、首を傾げた。
「なに? 美人だってことはもうわかってるよ」
「ちがうよ! いや、美人だってことは間違ってない。すっごく美人」
「じゃ、なに?」
照れた笑みのロゼッタに、アルヴェールはベルターク侯爵に会う前の今、伝えておきたい彼の、彼女と彼女の家族への気持ちを口にする。
「俺は……君が好きなんだ。女性として……意識して好きだという意味だ。だから、こうして会うと……その気持ちを抑えるのに苦労するし、大変だ……今も君が綺麗で可愛いから……チビでブサイクな俺が、こんなことを言うと迷惑だろうけど、謝りたいから、正直に話した。好きになってしまって、ごめん」
ロゼッタは目を潤ませ、頬を紅潮させるとアルヴェールの手を握る手に力を少し加えた。
何も言わない彼女に、アルヴェールは小さな声で続ける。
「俺のこの気持ちは……君のお父様にも迷惑だと思う。大事なご令嬢を……こんな貧乏諸侯で、他人から揶揄される容姿の俺が……でも、この気持ちは嘘じゃないし、君のお父様や、ご家族が俺に親切にしてくれたことへの感謝はとても大きいし……勝手に親しみも感じている。だから……これから王国や連邦はいろいろとあるだろうけど、君と君のご家族と対立することがないようにしたいと決めた……今日、決めたんだ」
「うん……うん」
ロゼッタは返事をして、俯く。そして空いている手を、護衛の兵たちに向かって三度、払ってみせた。
兵たちが、笑みをうかべて二人に背を向ける。
彼女は顔をあげると、少し屈んだ。
「アル、わたしもアルが好きだよ」
彼女はそう言うと、彼の頬に口づけをする。
それは短いものだったけれど、アルヴェールに幸せで穏やかな情を与えてくれた。
ロゼッタは、照れたような笑みで何度も頷くと、アルヴェールの耳元で囁く。
「アルが、わたしと同じ気持ちだってわかって……嬉しい。アルは背が低くて、顔も個性的だけど、賢くて、優しくて、誠実で、とっても素敵だよ。わたし、アルは素敵な人だと思う。だから、わたしはずっとアルが好き。……アル、ありがとう」
アルヴェールは彼女を抱きしめて、しばらくそのままでいることを選ぶ。
彼女も、それを望んでくれた。
二人のせいで、護衛たちはその場から動くことができなくなったが、皆、これでいいと思ってくれたようである。
その場にいる者達は皆、微笑んでいた。