ファ!?
アルヴェールは、グラーツの王宮にいい思い出はない。
晩餐会、舞踏会が開かれて、招待をされているので出席するしかないのだが、そこでは士官学校よりも惨めな扱いだった。それでも、ラスカ伯爵家の子として、その場にい続けることで家の体面を保つことに懸命だった過去が、王宮に入ったアルヴェールの心臓をキュっと締めつけるのである。
「どうされました?」
レオンの気遣いで、アルヴェールは歩みを遅らせていたと気付いた。
「いやな記憶しかなくてね……ここに来ると思い出す」
「そいつらを片っ端から見返してやりましょう」
「君は単純でいいね?」
「単純でいいんです。そもそも、世の中は単純でいいはずです。善人が幸せになり、卑怯な者は不幸になり、悪人は死ぬ。わかりやすい」
「……」
(悪人が死ぬって……逆に怖いだろ)
「アル」
アルヴェールを、この呼び方をする人を彼は一人しか知らない。
アルヴェールが視線を転じると、広間から着飾ったロゼッタが供を連れて現れたところだった。
こういう場では、アルヴェールが片膝をつき彼女を迎える側である。
彼はその場で膝をつき、ロゼッタは戸惑うも周囲の目があることから表情を消して、アルヴェールに歩み寄った。
「父上から聞いていて知っていたの。アルが王宮に来ること……これから謁見でしょ? 終わったら教えて。エトワールの庭にいるから」
「承知しました」
離れていくロゼッタ。
彼女の姿が、廊下の角を曲がって消えてから二人は立ち上がり、謁見が行われる客間へと向かう。
「ロゼッタ様、お綺麗ですね。稽古用の木剣を振り回していた人と同じ人とは思えない」
「うるさい。お前は侯爵閣下のご令嬢に失礼だぞ」
「あれ、アルヴェール様に着飾ったところ、見て欲しくて豪華で素敵なドレスをお召しになられていたんですよ」
「……主君をからかうと、俺になぐられるぞ」
二人が冗談を言いあって進むと、近衛騎士の一人が二人に会釈をした。
どうやら、迎えのようだとアルヴェールは察して、会釈を返した。
「ハイランドの英雄殿にお目にかかることができて光栄です。近衛騎士連隊のクセルスキと申します」
「アルヴェールです。これは供のレオン」
クセルスキと名乗った騎士が、アルヴェールのみを室に通し、そこで扉を閉じた。
扉の左右に、クセルスキとレオンが立つ。
騎士が、伯爵の供に尋ねる。
「先日の戦闘、レオン殿も参加されていたのか?」
「ええ、副官として閣下をお支えいたしておりました」
「すごい!」
思わず大きな声をだした騎士は、周囲をうかがうと咳払いして続ける。
「先日の戦い、くわしく聞かせてもらえないだろうか?」
「ここで? ですか?」
「ぜひ」
レオンは苦笑し、騎士のためにラスカ郷で大砲の取り外しをおこなったところから説明を始めることにした。
-scene transition-
アルヴェールが通された室でしばらく待っていると、彼が入った扉とは別の扉が開き、四十過ぎの威厳ある男が姿を見せた。
王ではないと、アルヴェールにはわかっていたが、席を立ち、片膝をつく。
「よい、王室長のルーデスである。ラスカ伯であるか?」
「はい、左様でございます」
ルーデスは、ミルナー侯爵家の当主であり、摂政であるベルターク侯爵家に匹敵する家柄だ。アルヴェールは、王の代理として彼が現れたのだと理解し、片膝をつき頭をたれたまま口を開いた。
「この度は多大なる恩賞を賜りましたこと、厚く御礼申し上げます。つきましては、御礼の品々もご用意いたしました。お受けとり頂きまして、誠にありがとうございます」
御礼の品は、すでに手配し王宮に運び込まれており、受け取ってもらってありがとうという意味のことをアルヴェールは言った。
ルーデスは席につき、アルヴェールに着席を促す。
深く一礼したアルヴェールは、ルーデスの対面に腰掛け、背筋を伸ばした。
「ラスカ伯……先日の戦いぶり見事であったと王陛下も仰っておる。もちろん、この俺もだ。次も頼むぞ」
「もちろんでございます。王陛下、王家の皆様、ミルナー侯爵閣下に頼りにして頂くのは誉れでございます」
(自分で戦え、クソが)
内心を完璧に隠すアルヴェールは、相手の満足そうな笑みを前に笑みを維持する。
「して、伯よ……貴公はまだ妻帯しておらんな?」
「……お恥ずかしいかぎりです」
(嫌味かよ!)
「俺のところに娘がいるが、どうだ? 嫁にせんか?」
「ファ!?」
(ファ!?)
混乱したアルヴェールがおかしな声を出し、ルーデスが目を丸くした。
アルヴェールが慌てて取り繕う。
「し……失礼しました。と……突然のことで……まことにありがたいお申し出ですが、ミルナー侯爵閣下のご令嬢ともなると、それはもう私のような容姿の男だとご不満であられるでしょう……畏れ多いことでございます」
「会ってみればいい。それで娘が失礼なことを言うなら、俺のほうが詫びねばなるまい」
「……閣下のご配慮には、感謝の言葉をいくつ並べても足りません」
席を立ち、片膝をついたアルヴェールが深々と礼をする。
「おい、マリーを呼べ」
(今かよ! ……てか、これはもうこのために謁見が許可されていたな?)
マリーという名のご令嬢が現れるまで、片膝をつくことを選んだアルヴェールを、ルーデスが笑う。
「そんなに畏まるな。貴公は英雄だ」
「畏れ多いことです。閣下はハイランドの名門中の名門……かたや私は北の田舎貴族……同じ諸侯、貴族であると口にすることが憚れるほどの開きがございますゆえ」
「不遜な者が多いが、貴公は貴重な人柄であるな」
「恐縮です」
ここで扉が叩かれ、ルーデスが入ってきた扉が開く。
「マリー、おいで。彼がアルヴェール卿だ」
「アルヴェール様?」
アルヴェールは、現れた少女に困惑する。
(十歳は……超えてるかな?)
少女は、笑顔でアルヴェールの前に立つ。
「アルヴェール様! ローズマリーです」
「アルヴェールと申します」
「丸いお顔ぉ! かわいい」
(かわいい……褒められているのか?)
「父上ぇ、アルヴェール様、ルンに似ててかわいい」
「失礼だぞ。さ、挨拶が済んだらあっちに行っていなさい」
(ルン? なんだろう? ともかく、俺は利用されかけているな)
アルヴェールは、政略結婚の相手にされかけていると理解すると同時に、どうして自分がそうされるのかと素早く思考した。
(ミルナー侯爵は、ベルターク侯爵閣下を圧倒したいんだな? 国内では今、二番手のベルターク侯爵と三番手のミルナー侯爵は拮抗している。それを逆転して、差を開くために、ベルターク侯爵陣営だと思われている俺を引き抜きたいわけだ……)
ベルターク侯爵が、アルヴェールを褒めたたえたことが、彼の評価が一気に高まる流れを加速させたのは事実で、さらに侯爵本人が、ラスカ伯爵領を訪ねて感謝を伝えたことは国内に広く知られている。
また、数年前の記憶をもつ貴族、諸侯であるならば、社交会一のチビ醜男と、ベルターク侯爵家のロゼッタが仲良くしていたのは知られたことであるから、覚えているはずだった。
アルヴェールは、ベルターク侯爵陣営についた覚えはないが、ベルターク侯爵と家族には恩を感じているし、親しさを覚えている。またなによりも、ロゼッタが可愛い。
可愛いと言うと、彼女は怒るかもしれないが、彼はそう思うのである。
友達の関係でいられることが、せめての救いというアルヴェールは、彼女と彼女の家族が、自分達の陣営に加われと言えば、素直にそうするだろうと自覚した。
ふと、疑問が生じる。
ミルナー侯爵と、ベルターク侯爵は対立しているとは聞いていない。
仮に、そうであるならハンゾウが報告するはずだという彼への信頼が、アルヴェールにはあった。
ミルナー侯爵が、窺うような目でアルヴェールを見ながら口を開く。
「どうだ? 伯……マリーまだ子供だが、婚約するには問題ないと思う」
「ありがたきお言葉……私に良いも悪いもありませぬ。侯爵閣下とローズマリー様のお心しだいと存じます」
「そうか!」
ルーデスは笑みを浮かべ、腰を浮かした。
この場は、これで終わりという意味だと受け取ったアルヴェールは、一礼で彼を見送る。
「では、また連絡する。使いを遣わす」
「承知いたしました。この度は、貴重なお時間を賜りまして感謝申し上げます」
「うむ! では伯、また会おう」
扉が閉じる音がしてから、アルヴェールは顔をあげた。
無人となった室内で、彼は悩む。
(断ることなどできないとわかっているからぶっこんできやがった……それにしても、何歳?)
ふと、先ほどの疑問が蘇った。
(両侯爵は対立をしていない。しかし、王家とベルターク侯爵の関係は冷えたもの……ミルナー侯爵は王室長、王の代理で今日、俺と会った……そういうことか。ミルナー侯爵は王派で、王のために動いている……か)
彼は思考を終えて、深呼吸をしてから室を出たのである。