にやけちゃいます
北方五カ国連邦の連邦首都コペルハーレンは、十の特別街区からなる大都市で、連邦政府庁を中心に円状の市街地を形成している。コペルハーレン単体で七十万人近くの市民がおり、周辺の農場や衛星都市を含めると、百万都市圏を誇っている。これはイースガリア王国の王都テオトニアに匹敵していた。
このコペルハーレンの連邦政府本部の会議室に、各国の代表が集まったのは、アルヴェールの活躍でミュルーズが解放されてから数日後の七月一日、午後早い時間帯である。
ハイランド王国からは、第一王子ハロルド。
アイラ王国は、国王の弟にあたるケイロス大公。
キャルベル王国は王家の外戚として権勢をふるうガノッザ公爵の息子タウセス。
スペイセイ王国は、国王モウリアス三世。彼は国を息子にまかせて、この都市で暮らしている変わり者だ。
そして最後に、アリライズ王国からは国王の娘婿で、宰相の息子でもあるミルー伯爵グレイズ。
五人は円卓につき、様々な事柄を話し合っていたが、議題は夕刻を前に、ミュルーズ解放を成したミュルーズの戦いにおいて、目覚ましい活躍をしたアルヴェールの関してのことに移っていた。
「我がハイランドのアルヴェール卿が此度の武功第一とみて間違いないと思いますが、諸卿は如何か?」
ハロルドはこの場にあって、自国の貴族が活躍したことが今回のミュルーズ解放に繋がっていることで鼻が高い。また、事の発端である大失敗をおかした第五師団の師団長デストアが、ハイランドと連邦内の覇権を競うキャルベル王国出身とあって、それはもう気持ちよかった。
真逆の立場であるタウセスは、苦くまずい薬を飲んだような表情のまま口を開く。
「異論はない。我が王国の将軍が皆様に迷惑をかけた。お詫び申し上げる」
彼が頭を下げたのは、ハロルドを睨みそうであったから、それを避けるためである。
年長者のモウリアス三世が、一同に言う。
「いや、キャルベル王国は連邦内において多大な貢献をなさってこられた。このひとつの過ちで、その国威に陰りが及ぶことはあるまいよ。そう思わんかね?」
「まこと、仰るとおりです」
ミルー伯爵グレイズは言い、目を伏せて口を閉じた。彼はこの場で、最も若いので控えめな態度をとっている。この時も賛意を示すと他の者の発言を待つことを選んでいた。
キャルベル王国のタウセスは、モウリアス三世とグレイズに感謝を伝えると、ハロルドに言う。
「ラスカ伯爵アルヴェール卿は、連邦軍においての階級は中尉と聞きます。彼の才能を活かすために、連隊規模を指揮できる階級に昇進させるべきと考えます。これは我が国の意と理解いただいてかまいませぬ」
「前例がないが、よいのかな?」
モウリアス三世の指摘は、連隊規模を指揮する階級は本来であれば大佐であるから、これに昇進することは、中尉から一気に階級をかけあがる者が現れる影響を気にしたものだった。
「かまいませんでしょう。軍内において、ハイランドの英雄と敬われています。また、今回が未来においての前例となればよいではないですか」
タウセスの言に、グレイズが同意を示す。
「まこと、仰るとおりです」
「では、そのようにとりはかりましょう」
ハロルドが応え、発言をしないアイラ王国の大公ケイロスを見た。
ケイロスは、茶の髪に日焼けした中年の男で、精悍な顔つきはいかにも武人であり、国王の弟にはとうてい見えないが、それは一年の多くを、海上で過ごすからだと言われていて事実だ。
その彼の今回の出席は、病に伏した甥――アイラ王国第二王子の代理である。
ケイロスは、ハロルドの視線を受けて頷くと、咳払いをひとつして発言する。
「異論はござらん。ただ、ラスカ伯は諸侯ゆえ、その部隊は自前のはず……連隊となると金銭の負担が大きくなるのではないかな? ハイランドは加増などをお考えか?」
「それは本国の父上がお決めになることですので……」
「であれば、加増が為されぬ場合、階級だけがあがり、実態は中隊のままとなると軍の編制に支障が出るのではなかろうか……ここは、連邦内において彼に連邦軍部隊の指揮権を正式に与えたらよろしいのでは? 自前の部隊と、正規軍の部隊を編制して一個連隊を任せてみては如何だろうか?」
「まこと、仰るとおりです」
ミルー伯爵グレイズは、それしか言えないのかと思われてもおかしくないが、この場での彼はいつもこうなのである。
ハロルドは、思わぬところからの提案に悩むも、悪い話ではないと思った。褒美で一時的に金を与えるのはいいが、領地を分け与えるとなると話が違うというのが、ハロルドの思考の根にあった。ゆえに加増となると、王家直轄領から領地を割譲する必要があり、これは一時的な支出ではなく、王家の継続的な収入が減ってしまうことになる。
しかし、連邦軍の部隊を指揮させるだけというのであれば、問題がないようにハロルドにも思えた。
連邦軍は、各国の王家直轄軍の混成である。五カ国は過去から現在にいたるまで、大陸の覇権を狙うイースガリア王国と戦うために手を組み、軍制や法律そして税制と通貨の統一、共通の公用語を導入し大国に対抗してきた歴史がある。
ハイランド人の小隊と、アイラ人の小隊が同じ中隊の中に存在するということは当たり前にあり、彼らの指揮官がキャルベル人であることも普通なことであった。
つまり、アルヴェールに正規軍の指揮権を与えた際、ハイランドが新たに何かをアルヴェールに用意する必要はない、という解釈がハロルドの脳で成される。
彼は、いちいち本国の許可をとる必要もないと思い、一同を順に見ながら口を開く。
「皆様に異論がなければ、ラスカ伯爵アルヴェールを大佐とし、連邦軍において正規兵の指揮権も与えるものとしましょう。よろしいでしょうか?」
皆のうなずきをもって、ハロルドは一礼をした。
それから、ミュルーズの再開発に関する話し合いが行われた後、夜となって解散となる。
疲れた様子の彼らが、それぞれの部下たちを率いて引き上げていくなか、室に残り、窓から外を眺めるケイロスは、背後に立った部下の言に耳を傾けていた。
「――ということから、ラスカ伯爵アルヴェール卿がハイランド内で力を増せば、彼の領地は、生と死の境界線の南ですから……我が国に近うございます。ここはハイランド王国の顔色を窺いつつ、アルヴェール卿とも付き合いをしておくべきでしょう」
ケイロスは頷きながら振り返り、側近であるレイモアの肩を叩く。
「任せる」
「は……」
レイモアは一礼し、歩きだしたケイロスの少し後ろに続いた。金髪碧眼の美青年に見えるが、髪を短く切り、胸のふくらみを隠しているだけで本当は女性である。
「レイモア、甥はどうだ?」
「運悪く……病は治りませぬ」
「運が悪いな……では、兄上に使者をたて、第二王子の死期が近いこと……それからアイラ王国の代表を新たに派遣するようにと申し上げるように」
「承知しました」
「病の……原因はわかるか?」
「……表に出るものではございません」
「なるほど……わかった」
レイモアは、ケイロスの表情を見ることはできないが、敬愛する大公は微笑んでいるに違いないと思い、彼女も自然と笑みを浮かべていた。
-scene transition-
アルヴェールは、ラスカ郷に戻ると休みもとらず内政に精を出す。
アメリア商会から派遣されてきたオットーという中年の男は、物腰が柔らかく真面目な人柄で、アルヴェールは会ってすぐに気に入った――レオンは残念がった――そのオットーがアルヴェールに、生と死の境界線から木材をとり、紙にしてから売りに出したいと言った。
「マツやスプルスが豊富ですので、良い紙ができます。伐採して、加工までをおこなうことで、アルヴェール様にも益がございます。もちろん、わたしどもも運搬や加工場所を近場で確保できると物流にかかる費用や手間を抑えられますので助かります。また良い鉄が採れる鉱山をご所有であられますので、製鉄に関しても我々は職人や技術を提供できますよ。お許し頂ければご協力いたします。こちらの製品は我々で売らせて頂きたいと存じます。最後に、商品を運ぶために港の整備をして頂ければ、港も賑わうでしょう」
「わかった。倉庫業も発達しそうだな」
「仰るとおりです。また買付に他所の商人たちが来るようになれば、金が落ちます。ご許可頂ければ、さっそく下見をしたいのですが?」
「一個小隊をつけるので、しっかりとやってほしい。ただ……森に入るのはまだやめておいたほうがいい」
「下見の際は問題ありません。ですが、森に入らねば、木を切れません。いつから可能でしょうか?」
「森に住む人たちがいる。そちらと話をつけないと、オットー殿や商会に迷惑がかかるから少し待て。交渉窓口の用意中だ……工場や作業所などの施設の場所を下見するのはよろしく頼む」
彼の言で話は終わりとなり、オットーは執務室を出て行った。
アルヴェールは、生と死の境界線を生活の場とする者達の一部と交渉をおこなおうとしていて、鉱山の頭領であるジョセフが彼らと接触し、少しずつ話し合いを進めている。
ミュルーズの戦いを終えて、帰郷したアルヴェールはこの交渉を一気に進めようと、ジョセフに手紙を送り、自分が先方の代表と話したいと希望していた。そしてそれは、八月に入ってからという日程で調整が進んでいる。
また、アルヴェールはエレナに依頼し、伯爵家の過去十年間の損益計算書を分析してもらっていた。
「アルヴェール様、結局……鉱山の富を食いつぶす構造を変えないかぎり、当家の貧乏は改まりません。また農業用水路や領内の街道整備の予算をつけることができないので、老朽化が問題になっています」
エレナの報告に、若い当主は「わかってはいたけど」と苦笑する。
「鉱山の鉄で税金を払い、売った金を領政の予算にして……農業生産はずっと横ばいか……自給率は悪くないけど、いいもの食ってないからな」
「漁であがった魚を、こちらに運ぶにしても保存技術が……干し魚でも造らせますか?」
「作り方、わかる?」
「漁民に頼るしかありません」
「こういうことを、これまで放置してたのは、鉄のおかげで現状維持ができてしまっていたからだ……幸か不幸か、鉄に頼って他のことから目を背けていた」
「お恥ずかしい限りです」
エレナの謝罪に、アルヴェールは首を左右にふった。
「エレナが悪いわけじゃない。父上、お爺様、俺もそうだ。俺たち、伯爵家の責任だろう……とにかく、やらないといけないことはすぐに始める。ミュルーズを解放するのに活躍したから、また褒美をもらえるかな? それを全部、投資に回そう」
「……馬と牛、世話をするにもお金がかかります」
前回、褒美の金を牛と馬の購入にあててしまったアルヴェールは、また小言を言われているという感覚で口をへの字に曲げた。
「おかげで勝てた」
「厩舎に入りきらないので……そろそろ厩舎を増やさないと……いきなり、倍以上の数になったのです」
ここで、扉が叩かれてハンゾウが姿を見せた。
「お館様、グラーツから早馬がこちらへ参っております」
「わかった。到着は明日かな?」
「おそらく、明日の昼には……」
「褒美の件だったら、嬉しいけどね」
アルヴェールは言い、脳内で金額を想像する。
(前回、五〇〇万リーグだったから……今回は解放だし、敵を撤退させてるし……三〇〇〇万あればいいなぁ……厩舎増やして、街道の整備をして、港にも金を……四〇〇〇万あったら嬉しいなぁ)
ニタニタとするアルヴェールを、エレナは見ないふりをして無言で室を辞した。