ミュルーズ解放!
ミュルーズには、カリウス少将率いる第六師団と市民たちが、イースガリア王国軍に包囲される中でも懸命に生き抜いていた。ただ、死人、怪我人が多く、都市が味方によって解放された直後の現在、真っ先にしなければならない作業は死体の運び出しと、怪我人の手当てである。
人口一万人の都市であったが、半数が死亡あるいは負傷とあり、国境の要衝は悲惨な状態となっていた。建物の多くは半壊で、全壊しているものも少なくない。河川から水を引き込んでいた水道を、イースガリア軍が破壊したせいで水不足も深刻だった。それでも、アルヴェールのラスカ伯爵中隊が伯爵旗を掲げて市街地に入った時、人々は作業の手を止めて彼らへの歓声をあげる。
それは、憎らしいイースガリア王国軍を撤退させた立役者であるのが、ラスカ伯爵中隊であることを彼らが知っていたからだ。というのも、この都市の防衛をしていた第六師団の兵たちは、春の撤退戦の際にもラスカ伯爵中隊の活躍を知っている。だから今回も、ラスカ伯爵中隊とアルヴェールが活躍したとあって、まず彼らがアルヴェールを称え、騒いでいたので、それが市民たちへと広まっていたのだ。
市民たちが口々に、アルヴェールの名を連呼する。
ラスカ伯爵中隊の兵たちは、アルヴェールが皆に認められて自分のことのように嬉しく感じていたようで、笑顔で手をふり市民たちに応えながら歩いた。
「閣下、手を振って」
レオンの促しに、アルヴェールは仏頂面で頷くのみだ。
「照れちゃって……」
副官のからかいに、アルヴェールは反論できなかった。
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ミュルーズが解放された六月二十四日の夜。
市民たちは蝋燭に火を灯し、それを市街地のいたるところに置いた。死者の魂を慰めようという慰霊を目的としたものだったが、城壁の上からそれを眺めるアルヴェールには、素晴らしい絶景に映っている。
解放を祝う宴が、市街地のあちらこちらで開かれていて、兵士たちも市民たちも、肩を抱き合いお互いの無事を喜び、死者のために泣き、酒を飲んだ。
誰かが、歌を歌いはじめた。それは、ハイランドのアルヴェールと、彼の部下たちがイースガリア王国軍を撤退させたことを称えるもので、即興で作られたにしては人々の胸を打った
酔っ払いたちは次々に、これを歌った。
「閣下、よかったですね。皆が閣下を褒めてくれていますよ」
レオンの言いように、アルヴェールは頷きつつも晴れやかとはいかない表情だ。
「どうしたんです?」
「レオン、俺は領地のことだけを考えて、よくしようと思ってた」
「……立派なことですよ」
「たくさんの人が死に……たくさんの人が怪我をした。見たか? 子供が脚を潰されて……それでも彼は生きていく。これからの彼の人生は……大変なものになるだろう。まだ五つか、六つくらいの子だ」
「アルヴェール様が、イースガリア王国軍を追い返していなければ、その子は死んでいたかもしれません。生きていてよかったと……思えませんか?」
「思えないな……いや、生きていて良かったと思わないという意味じゃなくて」
「ええ、わかります」
「レオン、俺は駄目な奴だ……英雄だなんだと褒められて、いい気になりかけていた」
「英雄です。それくらいのことを閣下はなさいました」
「だとすれば、俺はもっとすごい人間になりたい」
「……どういう意味です?」
「俺がいれば、不幸が減る。そんな人になりたい。ゼロにはできない。でも、くだらん奴らが上でふんぞり返っているよりも、マシなことにはなると思うよ」
アルヴェールが、右手を握り、レオンに突き出す。
レオンは、アルヴェールの拳に拳をぶつけた。
「閣下、お支えします」
「イースガリアは、また攻めてくる。次も……勝とう」
レオンは、微笑んで頷くことで、どこまでもついていくと伝えた。
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「アルヴェール君!」
帰国の日の朝、ラスカ伯爵中隊を訪ねてきたのはアルネ・シュトラウス少佐だった。
「お疲れ様です」
帰国準備に忙しいアルヴェールは、背後に仁王立ちするアルネを肩越しに見て、睨まれていると知り首を傾げた。
「あの……何か悪いことしました?」
「あんたね! わたしの女としての自信をへし折ってくれてそんなこと言う!?」
「……女? 自信……ですか?」
荷物を肩に下げたアルヴェールが幕舎から出ると、その隣にアルネが並ぶ。レオンや兵たちが荷馬車に荷を積む光景を前に、アルネが口を開いた。
「覚えてないの!? 約束!」
「約束……ああ」
アルヴェールは、撤退戦の際にアルネに言われたことを思い出し、照れた表情となる。
「いえ、冗談を本気にすると怒られるから……」
「……冗談で言うわけないでしょ!」
目を丸くしたアルヴェールは、アルネに腕を掴まれた。
「さっさと帰国しちゃって……で、今回も再会できたらと思っていたら有名人になっちゃって近づけやしない! ようやくこうして会えたこっちの身にもなりなさいよ」
「……ご無事でなによりです。いえ、ご無事であったのは名簿を見て知ってい――」
アルヴェールは発言を、アルネに唇を奪われたことで遮られた。
レオンや兵たちが、横目に眺めて失笑を連ねる。
たっぷりと十、数える時間の接吻から解放されたアルヴェールは、自分の口を触って、嘘じゃないと確かめ、ゆっくりと顔の赤みを濃くしていった。
アルネが言う。
「時間ないから、約束は今度ね。今日はこれでおしまい。じゃ、気をつけて帰国してね、アルヴェール君」
さっさと離れていく先輩に、アルヴェールは惜しいことをした、あれは本気だったのかなどと後悔していると、レオンに声をかけられた。
「閣下、行きますよ」
「あ? ああ……行こう」
歩きだしたアルヴェールに、レオンが続く。
「閣下、ロゼッタ様には黙っておいてあげます」
「……うるさい。お前、主君をからかうと、俺に殴られるぞ」
からかいに、からかいで返したアルヴェールはそこで笑い、レオンも破顔する。
「さ、帰ろう……よし! 出発だぞ!」
アルヴェールが大きな声を出し、伯爵中隊がゆっくりと進み始めた。
北方五カ国連邦は、ラスカ伯爵アルヴェールの活躍によって、春から夏にかけての戦いに勝利することができた。いや、勝利というには被害が甚大であるが、勝利と記さねばやっていられないというところだったのである。
この一連の戦いは、ミュルーズの戦いとして記録されている。
英雄アルヴェールの名前が、歴史に初めて登場した戦いとなった。