狙わなくていい。撃つだけの簡単なお仕事です。
ミュルーズの西側に展開する連邦軍本軍に隠れるように、ラスカ伯爵混成連隊は迂回する動きでミュルーズ北西の山地を目指す。
大砲を運びながらの行動は目立つので、夜間に移動することになっている。また、砲身や資材が入った箱は緑と茶に塗られ、皆が休む時も同色に塗られた布に身を隠していた。暑い時期にこれは大変であったが、ラスカ伯爵中隊の兵たちは誰も不満を言わない。それは、これまでアルヴェールが命じることには意味があったし、従うことで生きることができているからだ。犠牲はゼロではないのが戦の常であるが、アルヴェールのおかげで助かっているという認識を兵たちが持つことができているのは大きなことである。
そのアルヴェールを支えるレオンは、敬愛する主君の案を成功させるために、斥候や偵察の派遣を緻密におこない、彼らが持ち帰る情報から移動進路を微調整させつつ、時間は最短でと、懸命に頭と身体を動かしていた。
出発から二日が経過し、行程の半分以上を進むことができているアルヴェールの混成連隊で、牛や馬に曳かれる台車の上に座って眺めるアルヴェールが、近くを歩くレオンに愚痴る。
「地図、いい加減なもんだ。俺が責任者だったら、製図をもっと正確にさせる……現地で、地図ではこの山に入ればいいと思うけど、高さの記述が曖昧だし、実際には木々、足場の問題がある。事前に調査したい」
「斥候を出しましょう」
「頼む。あと、山に入ってからが大変だから、それまでは無理ないように行こう。皆の管理を頼むよ」
「お任せを」
レオンは頷きとともに応え、士官に声をかける。ゴッドリーの手配で、ラスカ伯爵中隊に加わっている部隊の隊長で、アイラ人のマクスウェルだ。彼はハイランドの勇者の部隊を手伝えるとあって、気合い十分だった。
「追加の斥候を出す。先に山に入り、ミュルーズを視認できて、我が部隊が展開できる場所を探してほしい」
「了解しました。現地にて、足場を固めておきましょう。その方が時間を稼げます」
「確かに。ぜひお願いしたい」
「お任せください」
こうしてラスカ伯爵混成連隊は順調に進むかに思えたが、山地に入ろうという三日目の夕刻に、イースガリア王国軍の偵察部隊と遭遇してしまった。
昼間に休み、夜が来るから出発だと準備をしていた連隊を、いつもより足を伸ばして活動をしていたイースガリア王国の分隊が発見したのである。
アルヴェールは、短く怒鳴った。
「逃がすな!」
これを受けて、レオンの指示で二個小隊がイースガリア王国分隊を追う。二十人対三人の戦いは、通常であれば一瞬であるが、イースガリア人達は戦うことなく逃亡を選んだ。
レオンが長弓をもち、台車を曳いていた馬の一頭を切り離すと、一瞬で馬上となって加速する。
彼は難しいとされる馬上での射撃も見事にやってみせ、逃げる一人を射殺し、二人目の脚を射抜き、三人目には接近しての抜剣で頸動脈を斬り裂いた。
「鐙もつけずによくやるよ」
アルヴェールの褒め言葉に、颯爽と帰還したレオンが笑う。
「俺くらいになると、余裕ですよ。いつでも美女を助けるために練習したんです」
「動機が不純だ」
周囲の兵たちが笑う。
そこに、負傷したイースガリア兵が運ばれてきた。
アルヴェールは自ら腰の剣を抜くと、その敵兵の首筋に刃をあてて尋ねる。
「ミュルーズの包囲軍は、食料や武器弾薬は問題ないのか?」
アルヴェールの問いに、捕らえられた敵は唾を地面に吐いた。
「ぺっ! 知らねえよ、クソども。さっさと殺せ。天上でお前らの死にざまを見て笑っ――」
イースガリア人の発言が終わる前に、アルヴェールは相手の頸動脈を裂いていた。
地に、うつ伏せとなった敵兵を見るアルヴェールは、兵士たちに言う。
「出発しよう。分隊が還ってこないと、他の奴らが出てくるかもしれない」
彼の言をうけて、兵たちが慌ただしく出発準備を始めた。
-scene transition-
六月二十四日。
アルヴェールが別行動を開始して五日後の朝。
イースガリア王国軍の陣地。
ベリウスは寝所から出て顔を洗いながら、その報告を聞くことになった。
「敵の一部が迂回行動をとっていた?」
「はい。ミュルーズの北西の一部に敵の部隊が動いていると、包囲軍から報告が入りました」
「規模は?」
「遠くて不明ですが、大きくはない模様です。威力偵察を派遣して確認するとのことです」
ベリウスは手で顔を拭い、近侍の少女からシャツを受け取る。そうしながら思案していた。
(北西の山地に部隊? 意味がわからん。大軍を布陣させるならともかく……ま、そういう動きを取ればこちらが邪魔して膠着状態は続くだけだが……ミュルーズ陥落までのらりくらりと時間稼ぎをすればいいだけのことだ)
ベリウスは、アルヴェールの推測とは違い、連邦軍後詰め相手に勝とうとするのではなく、時間稼ぎに徹することを狙っている。これは彼が、アルヴェールが思うよりも狡猾であることを意味するが、実際にはこの考えは正しい。
イースガリア王国軍は、後詰めの連邦軍に勝つ必要はないのだ。
ベリウスはこれを理解しつつも、自ら軍を率いて連邦軍増援の前に立ち塞がっている。包囲軍を自ら指揮して、腹心に敵増援を任せてもいいところを、わざわざ自分で出てきているのは、あの時の中隊が現れないかと期待しているからだった。
戦場で発見すれば、自らの親衛隊で撃破してやりたいという欲求があり、その中隊を率いる指揮官を生け捕り、話をしたいという希望があった。
ベリウスはシャツを着たところで、口を開く。
「発見したのは?」
「今朝です」
「どうして、これまで発見できていない? そういう動きがあったはずだろう?」
「今朝になり、いきなり現れたということで……全くの別働隊が、北方向から侵入したのではないかと疑っております」
「それはありえん。仮にそうするなら、部隊の規模は大きなものになる。連邦の軍制でいれば、師団規模以上となるだろう。それは目の前の敵軍から別行動をとった小規模部隊であろうよ……小規模ゆえに発見が遅れたとみるか……に、してはこうも見つけられないものか?」
「申し訳ございません」
「お前を責めているわけではない。すまんな。誤解を与えるような言い方をしてしまった」
伝令はベリウスの人柄に改めて忠心を刺激されて、深い一礼をする。
「さがってよい。新たな情報が入れば知らせよ」
「承知いたしました」
伝令が一礼し、ベリウスは上着に手を通しながら北の方角を見て悩む。
ミュルーズの城壁を包囲する味方部隊群は、矢、大砲で市街地への攻撃を継続中だ。ここ数日間は抵抗の力も弱く、都市にはもうほとんど元気な者は残っていないと思われるが、連邦の増援が現れたことで頑強に降伏を拒否し続けている。それでも、市民たちの動揺は明らかで、市街地では軍と民の間で戦意に乖離があると掴んでいた。
(ミュルーズは陥落寸前だ。その状況で、小さな規模の部隊を都市北西の山地に派遣する意味はなんだ?)
(山地の高みで軍旗をずらりと並べれば、市街地からもそれを見ることはできる。それで市街地の市民たちを鼓舞しようとでもいうのだろうか? 馬鹿々々しい)
彼は思考をとめ、近侍の少女に言う。
「もうさがってよいぞ」
「はい、殿下……」
去らない少女に、ベリウスは薄く笑う。
彼の近侍は少女であるが、それはベリウスが少女趣味だからではない。彼女は隣国であるサウスガリア王国の姫君で、人質としてイースガリア王国に差し出されている。そしてベリウスが彼女を近侍としているのは、彼の弟が少女に手を出そうとしているのを察知して、王の許可を得て自分の手元に置くことで彼女を守っているのだ。
王には、隣国の姫を近侍としてコキ使うことで、彼の国に己らの立場を突きつけてやりたいと説明すれば良かった。
ベリウスは、自分の弟が控えめにいっても変態で残虐なクズであると認めていたので、他の犠牲者たちの列に、隣国の姫君が並ばないよう配慮したのである。
「どうした? まだ、何かあるか?」
「お飲み物、お持ち致しましょうか?」
「いらん。自分の幕舎に戻っておれ」
「……はい」
ベリウスは少女を守り、その立場を慮っているが、同時に警戒もしている。
(毒をもられてはかなわん)
彼は、侍る親衛隊の騎士に声をかける。
「水を」
「はっ」
ベリウスが水の入った杯を受け取った時、伝令が駆け込んできた。
「申し上げます! 連邦軍前進!」
「芸のない奴め……正面からぶつかり合って勝つには、それだけの強さ、賢さがいるのだ。二つとも持たぬくせに、兵を無駄死にさせるのが望みか」
ベリウスは言い、迎撃を命じる。
伝令たちが部隊間を駆け巡り、兵たちがあちこちで気合いの声をあげる。
イースガリア王国軍は素早く迎撃陣形を整えたが、この時、ベリウスは後方、包囲軍のほうからおかしな音が聞こえてくると首を傾げた。
肩越しに、背後を見たが、連なる幕舎が邪魔をしてわからない。
ベリウスは馬に乗り、それでも足りないとなり、物見台の梯子を急いでよじ昇り、東を見た。
ミュルーズを包囲している軍の、西門を担当している部隊群が陣形を乱している。おかしな音の正体は、逃げ惑う兵たちの声と、攻城兵器が破壊される轟音が入り混じったものであった。
「何だ? どうしたのだ?」
問うたベリウス。
側近たちが、慌てて周囲に叫び声をあげる。どうなった? 何があった? と喚き合う彼らは、その光景を目の当たりにする。
物見台に立つベリウスは、その音を聞いた。
「長射程大砲?」
彼は、自然と北西を見ていた。
ベリウスは、閃光を見た。
木々の隙間で、確かにそれは発生した。そして、直後の轟音で彼は確信する。
「……! 大砲を運んだか!?」
轟音は砲撃音で、空中を弾丸が放物線を描き、それはミュルーズを包囲するイースガリア王国軍へと落ちていった。
密集していたイースガリア王国包囲軍は、兵たちが潰され、攻城兵器が破壊され、反撃しようにも固定されていた砲の向きを変えるにも時間がかかり、またそれを成して大砲を放つも山の中腹に陣取っている連邦軍別働隊には全く届かない。
「そういうことか! 砲の射程外ゆえ押さえていなかったが、そういうことか! こちらは密集し、しかもほぼ動きがない……届けば、あたってしまう」
ベリウスは己の失敗を認めた。彼は射程外となるから、都市の北西にある山地は、警戒のみで良しとしていた。しかし、そこを連邦軍に押さえられ、砲を持ちこまれると包囲軍は一方的に弾丸をくらうということを今、まさに光景を見て、理解した。
「単眼鏡を貸せ」
ベリウスの指示に、物見兵が慌てて単眼鏡を差し出す。
黒太子は、北西の連邦軍別働隊を見た。木々の隙間に隠された大砲とは違い、あえて姿をさらした部隊の先頭に、その軍旗がひるがえっていた。
「……一角獣に麦……あいつか!」
彼は物見台から素早く降りると、状況の急変に慌てて集まった騎士、将官たちに怒鳴る。
「バイアンの軍が危ない。あちらが崩壊すると俺たちは詰む。後退だ!」
彼の怒声で、イースガリア王国軍は迎撃陣形を維持しつつ、後方の部隊から渡河を開始するが、いきなりのことで舟の準備ができていない。
「武器や兵器は遺棄しろ! 運ぶ余裕などない!」
ベリウスの決断は、兵を逃がせというものだった。
連邦軍本軍は、意外なほどに抵抗が弱いことに驚きながらも、北西の山地から届く砲撃の音に勇気づけられ、果敢に追撃戦へと移っている。
同時刻。
ミュルーズ西門を担当していた包囲軍の部隊群が、ついに崩壊した。
着弾する度に兵たちが薙ぎ倒され、肉片と血が大地を赤黒く汚す。ある者は直撃を受けて、弾け飛んだようにバラバラとなり、ある者は着弾した後に転がる砲弾に潰された下半身によって、死を願うほどの苦しみに敵を呪った。
攻城兵器への命中こそ少ないが、操る兵たちの心がすでに折れていて、アルヴェールの混成連隊が大砲を発射するたびに、イースガリア人たちは逃げ惑う。
都市の北部に本部を置いていたバイアンは、目がくらむほどの惨状を受けて、怒りに身体を振るわせるとその場にいた騎士たちに命じる。
「殿下の軍が後退するのを助ける。都市の東に展開していた部隊群はお味方の渡河を支援。西に配置していた部隊はもう好きにさせればよい。どうにもならん……が、これをした敵を許さぬ。騎兵大隊、儂について来い。残りは逃げてくる味方の収容と、都市からの反撃に備えておれ」
バイアンの命令に、騎士たちが反論した。
「バイアン様、大隊を率いて山地の敵を討つおつもりか!?」
「いけません! 伏兵がひそんでいるに違いありませんぞ」
「敗走するお味方の収容、ミュルーズの敵部隊への備え、殿下の軍の支援……これらを同時におこなうに、バイアン様がおらずしてかないましょうか!?」
バイアンは歯軋りをして、苛立ちと怒りを静めると無表情となり、口を開く。
「わかった。儂が指揮するゆえ、それぞれにあたれ」
騎士たちが安堵し、だが一瞬で緊張するとそれぞれの任務へと急ぐ。
仮に、バイアンが騎兵大隊を率いてアルヴェールの部隊を狙っていれば、アルヴェールは大砲を破壊してさっさと逃げ出す予定であった。
しかし、そうはならなかった。結局のところ、連邦軍の部隊がたったの二個中隊規模だけで進出して来ているなどと思う者は、バイアンの周囲にはいなかったのである。彼らは皆、経験ある指揮官であり騎士であるから、当然、連邦軍は中隊の周囲に伏兵を置いていると考えたのだ。
バイアンと周囲は、彼らの常識でたったの二個中隊を前に撤退するしかなかった。
イースガリア王国軍の包囲軍が、崩れた都市西側の一軍に引きずられる形で撤退を始めた光景を前に、ミュルーズ防衛にあたっていた連邦軍第六師団の兵たちが、ミュルーズの外壁上で喚声をあげている。彼らはずっと敵の攻撃にさらされ、死んでいく仲間たちの横で生き抜いてきた者たちだから、助かったという喜びと、敵への怒りで涙を流しながら喚いていた。
誰かが、山々を眺めて叫ぶ。
「見ろ! ラスカ伯爵の中隊だ! ハイランドの勇者がまた助けてくれた!」
これによって、ミュルーズでは歓声が爆発したかのように騒がしくなり、それは山の中腹にいたアルヴェール達にも届いた。
「もういいだろう。やめよう」
アルヴェールの言で、ラスカ伯爵中隊は砲撃をやめる。
「弾、あと十発しかありません」
レオンの言葉に、アルヴェールは笑う。
「もってくれて助かったよ。でも、この大砲は調整をしないともう無理だな……」
大砲に、兵たちが交代で水をかけて砲身を冷やしていた。
「冷えたら、分解して撤収だ」
アルヴェールの指示に、兵たちが声をあげて応える。
彼らは、ただ大砲を撃つだけでイースガリア王国軍を撤退させたことをまだ信じられないでいたし、これを考えて実行したアルヴェールの着眼点に驚いていた。
ある兵士が、レオンと談笑するアルヴェールを横目に見て口を開く。
「若……じゃなかった。閣下はよく思いついたな?」
話しかけられた兵士が応える。
「ああ……大砲なんかを運ばせて何だろうと思っていたけど、ラスカ郷を出発する時にはもうこれを考えていたんだろ? すごいな」
「あの人のところで雇われててよかった」
「本当に……死神の手が届かないところにいられるからな」
彼らは、作業の手を休めることなく談笑を続けた。