ミュルーズに向かって
ベルターク侯爵とロゼッタがラスカ郷を発った後、アルヴェールは執務室ではなく、自室にハンゾウを呼んだ。
「ハンゾウ、ミュルーズに行くことになる。彼の地の様子は調べてあるかい?」
「おおよそのことは……現在、イースガリア王国軍が包囲し、都市の東西の門を封鎖……ミュルーズは第六師団とその他の混成が市街地に籠り、防衛にあたっているようです」
「戦況はどう?」
「ミュルーズの市街地を守る外壁は厚く高いので、すぐに陥落することはありませんでしょうが、後詰めの軍を出さねばミュルーズの民が城門を開けてしまうでしょう……イースガリア王国軍は攻撃部隊を入れ替える際の中断時間を利用して、市民へ降伏を呼びかけております。また、イースガリア王国軍はミュルーズに至るまでに略奪をおこなっておらず、これは意図的にミュルーズに広まっていることから……敵の手によるものでしょうが、これを聞かされている民たちからは、降伏したほうがいいという声があがり始めているそうです」
「……おおよそと言いながら、よく市民の声を拾ってくれたね。助かるよ」
「当たり前のことです」
アルヴェールは思案する。
ミュルーズを解放する軍に参加した自分に、何ができるか、を考えているのだ。
(どうせ戦に行くんだ。勝ちたい)
アルヴェールは、ハンゾウに確認したいことがあった。
「ミュルーズの、東西の門を敵は封鎖し、外壁の外をぐるりと包囲している状況だね?」
「はい。本国からの増援も到着し、その数は三万を超えております」
アルヴェールは、脳内にミュルーズ周辺の地図を描く。
(ミュルーズは北西に山地、西と南に河だ……市街地へ通じる門は西と東……敵は東西の門を封鎖し、周囲を軍勢で囲むが、南側は河が近く大軍を展開できない)
彼は顎を撫でながら、ゆっくりと呼吸をして思案を進める。
(西の門に、味方も敵も意識する。我々は単純に、西からミュルーズに迫り、この門から物資を市街地へと運び入れたい。もちろん、イースガリア王国側はこれをさせたくない。ミュルーズ西側は河と市街地に挟まれた狭い平地だ……大軍を置けないが、河には湊もあるから敵は必ずここに部隊を配置し、我々の後詰めには、河より西側で戦う必要がある)
アルヴェールは、顎を撫でる手の動きを止めてハンゾウに尋ねる。
「イースガリア王国軍は、やはり黒太子が率いているのかな?」
「はい、それは間違いありません。また、彼の軍に配下の者もなかなか近づけず、敵側の内情は探れておりません。不手際をお詫び申し上げます」
「いや、頼んでもいないのによく調べてくれているよ、助かる。ハンゾウ、これからは広く活動をしてもらいたいんだけど、頼めるかな?」
「命じて頂ければ、するのが我々です、若」
「では、頼む。イースガリアの情報を集めてほしい。これから俺が領地を経営するにあたって、あの国が連邦へと侵攻するかぎり関係を強制される。イースガリアの内情を知りたい。あと、ハイランド王国においても、王家や諸侯の動きをこれまでと同じように調べてもらいたい」
「お任せください」
「助かる。行っていい」
ハンゾウは一礼すると、アルヴェールが瞬きをした半瞬で姿を消していた。一人となった彼は、書棚の空いたところに置かれているシングルモルトの瓶を掴み、一人掛けの椅子に座るとラッパ飲みで酒を飲む。
そうしながら、思考を始めた。
(連邦の後詰めがミュルーズに接近している報を敵の黒太子が掴めば、包囲軍を守るために野戦に出てくるに違いない。能力ある有名な人だ……市街地を包囲させつつ、後詰めに現れた我々をも同時に撃破しようと企む……彼とすれば、後詰めの軍を倒せば、ミュルーズの陥落は早まると考えるだろう……)
アルヴェールはこの時すでに、戦い方を決めた。
(連邦の後詰めを倒せば、ミュルーズは降伏する……我々も敵も、これは共通の認識となる。だが……我々の勝機はそこにはない。我々は、迎撃に出て来たイースガリア王国軍を倒す必要は実はなく、包囲する敵軍勢を追い払うことが肝要だ……これをすれば、黒太子がいかに強かろうが、撤退するしかない)
彼はそこで瓶を掴んだまま立ち上がると、つかつかと自室を出て声をあげた。
「エレナ! エレナはいない!?」
居住館の二階廊下で騒ぐ彼に、使用人の一人が「執事室に」と答えた。
アルヴェールは足早に執事室へと向かい、ドアを二度叩いて中へと入る。
彼女は、ランプの灯りを頼りに書類仕事をしていた。
「エレナ、急ぎの仕事がある」
「なんでございましょう?」
アルヴェールは、エレナが立ちあがろうとするところを手の所作で止めながら言う。
「頂いた報奨金で、馬と牛をありったけ買ってほしい」
「……馬はまだわかりますが、牛ですか? アルヴェール様、牛乳はお嫌いでは?」
「牛乳が飲みたいんじゃない。運搬に使うんだ。頼むよ。必ずだよ」
「……ええ、はい。承知しました。明日、早速に王都に遣いをやって、別邸経由で商会に連絡をいれましょう。しかし、いつまでに必要です?」
「すぐに」
「……足元を見られますが、よろしいのですか? 他にも用水路の修復や――」
「いいんだ。高くてもかまわない。あ、火薬もいる」
エレナの諫言をアルヴェールは発言で制し、「絶対に」と念押しをしてドアを閉じた。
-scene transition-
ハイランド王国暦二〇五年、初夏にあたる六月二日。
ミュルーズを包囲したイースガリア王国軍を倒すべく、ハイランド王国の軍が南進を開始した。
この一軍は、連邦各国から既に発しているだろう各軍と、目的地付近で合流する予定だ。
ハイランド王国軍の兵力は六〇〇〇と少し。
この中に、アルヴェール率いるラスカ伯爵中隊も加わっている。
行軍時、馬ではなく徒歩を選ぶアルヴェールは、少し後ろを歩くレオンとの会話で暇を誤魔化していた。
「ようやく、開発に着手となったら戦だ……でも、ミュルーズはたしかに救わないとまずいからなぁ」
「でも、ベルターク侯爵閣下のおかげで、生前相続も無事に済み、税と開発の件も許可が出て良かったですね」
「ああ、それにアメリア商会の人が投資してくれるのはありがたい。ベルターク侯爵閣下のおかげだ」
ベルターク侯爵の口利きで、ハイランドでも有数の商会であるアメリア商会が、ラスカ伯爵領内に店を出してくれることになっていた。ベルターク侯爵に促されたとはいえ、多くの商会が二の足を踏むなかでのアメリア商会の動きに、アルヴェールは素直に感謝を先方に伝えている。
しかし、こうも言っている。
「ま、他の商会が躊躇っているうちに、アメリア商会は先行者優位を得ようと挑戦してくれるんだ。損はさせたくない。彼らが成功すれば、日和見たちが続々と、今度はペコペコして近寄ってくるだろう。そうさせて初めて主導権を握ることができるよ」
「アメリア商会の、ラスカ郷に来てくれる担当者は美人ですか?」
「……お前、また妄想か? まだ誰か来るとかいう連絡はないけど……」
「いえ、期待です……ところで、ミュルーズの状況で追加情報はないですか?」
レオンの問いは、ハンゾウから情報はないのかという意味の問いであったが、アルヴェールは首を左右にふった。
「いや、動きに変化は乏しい……市街地は大変さが増していると聞いたけど、戦況はとくに……」
「……シュトラウス少佐、まだミュルーズにいるのでは?」
「……だとしたら、助けが遅いって怒られそうだ」
言って笑ったアルヴェールだが、案外、冗談では済まないような気がしてすぐに笑みを消した。
ここでレオンが、後方を肩越しに眺めてアルヴェールに問う。
「それにしても……大砲持参なんて……」
ラスカ伯爵中隊は、四門の長射程大砲を分解して運んでいるのだ。牛や馬たちに曳かせている砲身や各部品、火薬や砲弾は現地で組み立てるのである。
報奨金が、運搬用の牛や馬、火薬の購入に注ぎこまれたので、父親やレオンは反対したが、アルヴェールは意に介さなかった。
レオンは牛や馬の世話係になってしまった中隊が、周囲の他部隊から笑われていることへの嘆きで溜息をつき、アルヴェールに尋ねる。
「閣下はもう、ミュルーズは陥落しているとお考えで? それで大砲を? 市街地に入った敵をあれで撃つので?」
アルヴェールは首を左右にふる。
「まさか! 包囲してる敵の背を撃ってやるんだ」
「……組み立てると、移動が大変なので反撃されると厄介ですよ」
「そうだね」
「……城の大砲、外した時はエレナ様が目を白黒させてましたね……」
「婆やは心配症だ。ラスカ郷が攻撃されるなんてこのご時世、ないのにな」
「それにしても、大砲、さすがに旧式すぎませんか?」
「撃って弾が出るなら使えるよ」
レオンは呆れるも、アルヴェールのことだから何か考えがあるのだろうと思うことで詮索をやめた。
彼らは初夏の空の下と、南へと進んでいる。